この孤独な世界も
夫々の思いを大切に我が道を歩む人々も
生きる事さえも否定した
まだ見ぬ希望の光も
溢れる思いに涙を流す事も
生きる喜びさえも
自らの意思で望んで放棄した
与えられる優しさに対しても
欺瞞に満ちた偽りのものとして目を背ける
不信に駆られた高慢が
大切なものから自分を遠ざける
それとは裏腹に日々大きくなる一つの感情
漠然とした"不安"
論理的思考が生み出す全ての物への拒絶に対する
確かなる"寂しさ"
- パンドラが開いた開けてはならぬ禁断の箱
- そこには神が人間への戒めの為に封じ込めてあった
- あらゆる災厄,疫病,辛苦が世界に蔓延した
人間らしく生きる有り触れた人生観に疑問を持ち
自分を苦しめる全ての事象
即ち,生を全うする事の無意味さに鮮烈な虚無間を覚える
- 最後に残された"希望の声"に
- パンドラはその耳を傾けることは無かった
パンドラの過ちは自分の行いに絶望し,後悔し,逃避に走った
輝ける将来の希望の光すら受け入れる事が出来なかった事
本当は誰もが疎外感を恐れ,孤独を恐れ
微かに見える光を目指し,光溢れる世界を築き上げる為
そこに内在する素晴らしき世界に向けて歩を進める
不安も寂しさも絶望も苦悩も全てを受け入れ
存在すら危うい微かな光に向けて突き進んで行く
今にも消え去りそうなか弱き灯火が暗闇に変わらぬよう
- ホロン
- 局部的な事象は同時に全体性を伴う
感じ取れる全てのものが真実であり
それが自身,自我を形成している事も真実
例え生きる事で普遍的に存在する醜さに気付き全てが色褪せようとも
言葉にならぬ思いに胸を突き上げられ涙を流す純真さに喜びを
悩む事で人間としての成長を遂げられる魅力ある世界に喜びを
その目を開き周りを見れば何時も傍らには大切な人が
それが生きる力
それが本当の自分
例えこの世界が幻想であっても生ある事に感謝を
まだ見ぬ絶対的な寛容の光に向かい一歩ずつ確実に歩んで行こう
せめて人間らしく
【21歳 6月14日のキミへ】
抽象的だけど、せめぎ合いの果てに疲弊した心が見て取れる。
でも、人間なんて、結局はそういう微妙なバランス感覚で、何とか生きていくのがやっとなのかもしれないね。
個人的で恣意的な見解だけど、この文章の中で、最も重要なのは”寛容”だと思う。
寛容の精神…心の余裕、遊びの隙間みたいなものがないと、きっと人は誰にも優しくできない。
他人にも、自分自身にも。
そして、素直に感心した点が1つ。
21歳のキミよ、良くもまぁ「ホロン(全体子)」なんて言葉知ってたなぁ(笑)
直接関係ないけど、昔読んだ「ノルンの永い夢」を思い出した。
自分の記憶通り、検索ヒット数/ レビューを見る限り、純粋な読者評価は高いとは言い難いけど、ボクはこれを純愛小説として読んで、感銘を覚えた事を、はっきりと記憶に留めている。
新書サイズのJコレ特有の装丁、1ページ2段組の細かい文字の羅列、SF特有の専門用語の表記、誰もいないバスの中で座った席、曲がり角から視界を掠めた風景、窓から差し込む日の光、そんな読んだ時の周辺記憶まで鮮やかに思い出せる。
多分、セオリーから外れた読み方なんだろうけど、この作品を読んだ時の、純粋で透き通るような感情に共感を覚え、無意識に作り出された心象風景は、今でも確かに残っている。
いかなる過去からも、いかなる未来へも接続しない現在はありうるのだろうか?
時空を、因果律を修復するために走る主人公が持つ、確かな愛の形に、ボクはホロンの性質を見た。
そして、この時期のせめぎ合う心が解釈した、一つ一つのエピソードは、ボクの中でホロンを形成して、今でも留まっているのだろう。
(´-`).。oO(あ、これ、別のブログテーマの方でも、文章起こせるかも(笑)
夫々の思いを大切に我が道を歩む人々も
生きる事さえも否定した
まだ見ぬ希望の光も
溢れる思いに涙を流す事も
生きる喜びさえも
自らの意思で望んで放棄した
与えられる優しさに対しても
欺瞞に満ちた偽りのものとして目を背ける
不信に駆られた高慢が
大切なものから自分を遠ざける
それとは裏腹に日々大きくなる一つの感情
漠然とした"不安"
論理的思考が生み出す全ての物への拒絶に対する
確かなる"寂しさ"
- パンドラが開いた開けてはならぬ禁断の箱
- そこには神が人間への戒めの為に封じ込めてあった
- あらゆる災厄,疫病,辛苦が世界に蔓延した
人間らしく生きる有り触れた人生観に疑問を持ち
自分を苦しめる全ての事象
即ち,生を全うする事の無意味さに鮮烈な虚無間を覚える
- 最後に残された"希望の声"に
- パンドラはその耳を傾けることは無かった
パンドラの過ちは自分の行いに絶望し,後悔し,逃避に走った
輝ける将来の希望の光すら受け入れる事が出来なかった事
本当は誰もが疎外感を恐れ,孤独を恐れ
微かに見える光を目指し,光溢れる世界を築き上げる為
そこに内在する素晴らしき世界に向けて歩を進める
不安も寂しさも絶望も苦悩も全てを受け入れ
存在すら危うい微かな光に向けて突き進んで行く
今にも消え去りそうなか弱き灯火が暗闇に変わらぬよう
- ホロン
- 局部的な事象は同時に全体性を伴う
感じ取れる全てのものが真実であり
それが自身,自我を形成している事も真実
例え生きる事で普遍的に存在する醜さに気付き全てが色褪せようとも
言葉にならぬ思いに胸を突き上げられ涙を流す純真さに喜びを
悩む事で人間としての成長を遂げられる魅力ある世界に喜びを
その目を開き周りを見れば何時も傍らには大切な人が
それが生きる力
それが本当の自分
例えこの世界が幻想であっても生ある事に感謝を
まだ見ぬ絶対的な寛容の光に向かい一歩ずつ確実に歩んで行こう
せめて人間らしく
【21歳 6月14日のキミへ】
抽象的だけど、せめぎ合いの果てに疲弊した心が見て取れる。
でも、人間なんて、結局はそういう微妙なバランス感覚で、何とか生きていくのがやっとなのかもしれないね。
個人的で恣意的な見解だけど、この文章の中で、最も重要なのは”寛容”だと思う。
寛容の精神…心の余裕、遊びの隙間みたいなものがないと、きっと人は誰にも優しくできない。
他人にも、自分自身にも。
そして、素直に感心した点が1つ。
21歳のキミよ、良くもまぁ「ホロン(全体子)」なんて言葉知ってたなぁ(笑)
直接関係ないけど、昔読んだ「ノルンの永い夢」を思い出した。
自分の記憶通り、検索ヒット数/ レビューを見る限り、純粋な読者評価は高いとは言い難いけど、ボクはこれを純愛小説として読んで、感銘を覚えた事を、はっきりと記憶に留めている。
新書サイズのJコレ特有の装丁、1ページ2段組の細かい文字の羅列、SF特有の専門用語の表記、誰もいないバスの中で座った席、曲がり角から視界を掠めた風景、窓から差し込む日の光、そんな読んだ時の周辺記憶まで鮮やかに思い出せる。
多分、セオリーから外れた読み方なんだろうけど、この作品を読んだ時の、純粋で透き通るような感情に共感を覚え、無意識に作り出された心象風景は、今でも確かに残っている。
いかなる過去からも、いかなる未来へも接続しない現在はありうるのだろうか?
時空を、因果律を修復するために走る主人公が持つ、確かな愛の形に、ボクはホロンの性質を見た。
そして、この時期のせめぎ合う心が解釈した、一つ一つのエピソードは、ボクの中でホロンを形成して、今でも留まっているのだろう。
(´-`).。oO(あ、これ、別のブログテーマの方でも、文章起こせるかも(笑)