この世界で起こるあらゆる現象に対する
科学的論証をトレースしたくなるのは
私自身のこの世界に対する強い関心を示唆するものに他ならないであろうか。

否。

抽象的,精神的な身の回りの現象全てを
数値に置き換え定義する事で
この世界の不思議を一つ一つ丁寧に数値や公式に置き換えて物理化して行く。
何の為に ??
きっと理由なんて無い。それが楽しいからだ。
科学的に定義する事が楽しいのではない。
そうする事でこの世界を極めて冷静に味気ない物にしていく仮定が楽しいのだ。きっと。

自分を取り巻く世界に関心があるのではない。
生物に対する興味の欠落が齎す奇妙な性癖であろうか。

いずれにしてもこの世界自体に大した魅力は感じていない。
そして興味の対象外から真っ先に排除されるのが生物なのである。
ヒトを構成するシステムや生理学に興味が無い訳ではない。
然しその根本を辿れば帰結する先はやはり興味の欠落となろう。

科学的興味が人間らしい興味を数字の暗号に変換する。
屈折した私的な解釈が加わればそれは一層加速を増す。

ヒトの持つ思考プロセスや基本アルゴリズムは
対象としては非常に面白い物ではあるが
統合的なモデルとして有機的に見た場合
不規則に流れる液体が急速に凍結するようにそれに対する興味は低下していく。
眼を逸らしたくなると言った方がより適切かも知れない。

一見複雑な構造のオブラートで包んではいる物の
本質的には単純なモデルによって共通モデルを構築出来るのかも知れない。

結局全ては作り物だ。



【22歳 1月31日のキミへ】
結局全ては作り物だ。
しかし、それが紛い物だとは限らない。
但し、単純な共通モデルによって作られる関係性は、単純故に本質が見えなくなる恐れがある。
そしてそれは、紛い物に他ならない。