局所局所の記憶が不鮮明だ。
突然浮かび上がっては消え行く記憶が酷く曖昧だ。
記憶の記録が必ずしも内在的記録と一致しない。
映画のフィルムのように連なった記憶の断片を
無神経にそして恣意的に切り抜き,
一見珠玉の宝石の様に散らばる記憶の断片を
無遠慮にそして作為的に掻き集められた様でもある。
実際そのような事が起こっているのであれば
それは誰の仕業でもなく
私自身の防衛システムが機能したに違いないであろう。
自分にとって不都合な記憶は無意識に忘れ去られ
自分にとって都合の良い記憶だけが長期的に保存される。
「見たいもの」しか見えていないのである。
所詮記憶など曖昧であり極めて信頼性の低い記録なのである。
然しながらそれは自らを生かす為に必要な仕様であり
謀略的な記憶の支配から逃れる為の当然の機能なのかもしれない。
私が望めば全ての記憶は「記録」として残らない。
そして何時しか自分が人であるという記憶でさえも失われる。
意味のある情報など無ければ,必要な情報も皆無だ。
それでも私の中には記憶の書庫がある。
そしてそれは増え続ける。
決して生きる記憶を忘却の彼方に捨て去る事など出来ないのだから。
空虚とも自嘲ともとれない感情に浸りながら夜道を歩いていると
それでもこうして生きている事実を冷静に捉えると
強ちこの記憶フィルターの閾値も不適切とは言えず
同時に私自身を悲しい衝動から守っているのではないかと思えた。
【22歳 1月23日のキミへ】
私見ではあるが、このフィルター、恐らく記憶だけに働くものではない。
自分で閾値を任意にコントロールできる代物ではないと思われるが、それでも、自己の生存を利するものである事は間違いないだろう。
自身でコントロールできない事を嘆くより、まずは自分を取り巻く世界に、適合できる余地があるという事実に一縷の希望を繋いでみよう。
突然浮かび上がっては消え行く記憶が酷く曖昧だ。
記憶の記録が必ずしも内在的記録と一致しない。
映画のフィルムのように連なった記憶の断片を
無神経にそして恣意的に切り抜き,
一見珠玉の宝石の様に散らばる記憶の断片を
無遠慮にそして作為的に掻き集められた様でもある。
実際そのような事が起こっているのであれば
それは誰の仕業でもなく
私自身の防衛システムが機能したに違いないであろう。
自分にとって不都合な記憶は無意識に忘れ去られ
自分にとって都合の良い記憶だけが長期的に保存される。
「見たいもの」しか見えていないのである。
所詮記憶など曖昧であり極めて信頼性の低い記録なのである。
然しながらそれは自らを生かす為に必要な仕様であり
謀略的な記憶の支配から逃れる為の当然の機能なのかもしれない。
私が望めば全ての記憶は「記録」として残らない。
そして何時しか自分が人であるという記憶でさえも失われる。
意味のある情報など無ければ,必要な情報も皆無だ。
それでも私の中には記憶の書庫がある。
そしてそれは増え続ける。
決して生きる記憶を忘却の彼方に捨て去る事など出来ないのだから。
空虚とも自嘲ともとれない感情に浸りながら夜道を歩いていると
それでもこうして生きている事実を冷静に捉えると
強ちこの記憶フィルターの閾値も不適切とは言えず
同時に私自身を悲しい衝動から守っているのではないかと思えた。
【22歳 1月23日のキミへ】
私見ではあるが、このフィルター、恐らく記憶だけに働くものではない。
自分で閾値を任意にコントロールできる代物ではないと思われるが、それでも、自己の生存を利するものである事は間違いないだろう。
自身でコントロールできない事を嘆くより、まずは自分を取り巻く世界に、適合できる余地があるという事実に一縷の希望を繋いでみよう。