風呂に入る時何気に鏡に写る私の姿をぼんやり眺めてみた。

 

今,この鏡に映っているのは紛れも無く私である。
そして私が見ているものも間違い無く私自身である。

 

然しながら視神経は光の反射を伝えるのみで
物体の認識は行わない。

認識・判断の役割を担うのはあくまで瞳に写る映像を処理する脳である。

 

今,私が見ているのは私自身である。
そして,この私は現実の私(第三者が認識する私)と同じ姿であろうか。
自分自身の姿だけに多少なりとも脳が歪めて認識させている事はないであろうか。

 

徐々に鏡に靄がかかってゆく。
鏡の中の世界が霞がかってゆく。
この鏡に映る私の様に自分自身を自分自身で見る事は出来ないのかもしれない。
曇る鏡を前にしてふと思った。

 

 

 

【22歳 1月8日のキミへ】
光の運ぶ像は純粋な情報に過ぎない。
そして、自分の姿は広義の第三者を通して、相対的にしか把握できないとして、これもまた純粋な情報。
現実、或いは実体があるとして、それは光にあるのだろうか?光により浮き彫りになる闇の輪郭の方であろうか?
何れにせよ、それは流動的なるものである。
靄がかかったように、絶えず形を変え、認識主体によっても変化する無定形のもの。