「咲き行けば 我が身は詩人 分かち得る 華を撃たれば 半ば残して」

人は皆、泣きながら生まれてくる。
指を握り締める力もないままに。

そして、人は最期の瞬間、何かを握り締めて独り逝く。
人々の涙を誘って。

握り締めたものは、誰が心か。
残された心は何処へと舞う。

残されたものはキミの隣の空白。埋めるは我が身の半身。
ボクの隣には新しい空白を。ただキミのためだけに。

悲しみに暮れ堕涙に咽ぶキミを、ただ見つめるしか出来なかった幼きボク。
涙を流せなかったボクが、涙の代わりにキミへ贈る、最期の言霊。

「先逝けば 我が身半身 別ち得ず 放たれし思慕 泣かば残して」


放たれた言の葉は、緩やかに攪拌し空間に満ちてゆく。
キミのいる世界とボクのいる世界を、優しく染める。

そして、キミとボクとの隙間にも…



20代のキミから、今のボクへ。
今のボクから、20代のキミへ。

-プロジェクト. キミとボクとの隙間にも-
オープン記念・出血大サービス、一挙7エントリ公開!?


#前半のできが余り芳しくないため、ボツにしようかと思ったけど、ただの文章公開とは趣旨が異なるため、複数話公開により、全体アベレージの平準化を狙う作戦に( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン

##「今のボクから20代のキミへ」の趣旨で、コメント追記する予定であったが、取り急ぎ開設まで漕ぎ着けたい気分だったので、それは後日修正という事で!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン

※付記:2016/3/2現在 コメント追記完了済み


※2017/10/4追記
度々言及されていた「裏日記」の存在。
気になりつつも、それがどこに保存されているのか完全に失念していたが、ちょっとしたきっかけで「表日記」を反転させる事で表示が切り替わる事が判明。
当時、ブログを書きながら表と裏の日記も書く。よくもまぁと奇妙に感心すると共に、我ながら手の込んだ事をと呆れもする(苦笑)

ちなみに表裏のそれぞれの定義は、表は思考を、裏は行動もしくは表へと至る思索を。
つまりは所謂日記が裏に当たり、通常とは逆の発想となっている。
つか、行動面は時を経た現在、客観的に判断しても碌なものではないので、裏として秘匿したのは賢明な判断だったとも評価できる(笑)

という事で、裏については公開に耐えられるもののみ追記したいと思う。
耐性の許容範囲は他でもない、私のメンタルに左右される(爆)


ところで…
「rebirth」と言うとどんなシチュエーションを思い浮かべるだろう?
恐らくはもう一度同じ人生を繰り返すのではなく、何らかの過ちをやり直すような今とは違う新たな生を想像するのではないだろうか。
その意味では、「reverse」とは「verse(韻)」を超えた相性の良さを感じる。

では、反転した生の表現に当たっては、「or(論理和)」と「xor(排他的論理和)」、どちらが相応しいだろうか?

回答を焦る必要はない。
その評価が可能となるのは、「今のこの生(concrete)」を終えた時と考えるのが妥当であろう。
「創造的な生(create)」を送る可能性は、確信を抱くに至る最後の瞬間まで留保され続けよう。

だからボクは、せめてもの代わりに、「implication(含意)」の後件に「二つのRE」を捧げる。