厚生労働省の一次調査

震災孤児は現時点で82名、今後増える見通し。既に阪神時の68名を上回った。


読売新聞3/31


「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」。

覚えたばかりの平仮名で、昆愛海ちゃん(4)は母に手紙を書いた。東日本巨大地震が引き起こした大津波の後、沿岸の街々に残された数多くの子どもたち。
震災から20日が過ぎた今も、両親との再会を信じて海を見つめる子がいる。込み上げる寂しさを吹き飛ばそうと、いつも以上に笑顔を振りまく子もいる。


本州最東端の岬に近い岩手県宮古市の千鶏地区。この小さな漁村で、愛海ちゃんの父親は、養殖ワカメで生計を立てる漁師をしていた。

地震の日。保育園にいた時に強い地震があり、迎えに来た母親と自宅に戻った。入り江を望む高台の家は、震災時の避難場所となっている小学校とも隣接している。もう怖い思いはせずに済むはずだった。
だが、帰宅した瞬間、巨大な津波が襲った。地元の災害対策本部によると、入り組んで狭くなった小さな湾に押し上げられ、波は30メートル以上もの高さに達したのだという。両親と2歳の妹は引き潮にさらわれ、行方不明になった。
愛海ちゃんだけは助かった。すぐに駆けつけた親族によると、背負っていた通園用のリュックが漁に使う網に引っかかったようだ。同地区の別の親族宅に引き取られ、道路と橋が寸断された孤立状態の地区で約4日間を過ごした。

「表情が沈んでいて、何も話さないし、言葉も忘れてしまうほどショックを受けたのかと……」。市内の内陸部に住む祖母の根木静江さん(58)は、震災の1週間後に愛海ちゃんと会えたが、普段の元気な姿との余りの違いに不安が募った。
徐々に笑顔が戻ったものの、1階部分の室内すべて流された自宅は今も近づくのを嫌がる。変わり果てた入り江を見下ろす時は、ふとつらそうな表情も見せる。

余震の心配もあり、静江さんは愛海ちゃんを自分たちの家に避難させたいと考えている。しかし、愛海ちゃんは「ママが帰ってくるまでここで待ってる」と言って聞かない。

「パパから電話かかってくるかな」。

同地区は現在も携帯電話が通じない。それでも、電源を入れたままにしている父の銀色の携帯を、ぎゅっと握りしめた。