三丁目の夕日とカンボジア | 個人的な、余りに個人的な

三丁目の夕日とカンボジア

以前よりアンコール・ワットを見たかったから8月の頭にカンボジアに行った。


アンコールワットの街シェムリアップで、移動手段をバイクタクシー(原チャを2穴できるようシートを伸ばしたもの)として、街で声をかけてきた男をハイアーした。


当初は彼が4日間、運転手をすることになっていたのだが、3日目から、自分よりいい仕事が入ったのか、彼の弟に急遽変った。


兄貴は英語が達者で、観光客慣れをしており、お金の交渉もしたたかであった一方で、弟は英語はあまり喋れず、また口数も少く、純朴な印象を第一に受けた。


その後、2穴しながら話をするうちに彼は自分と同じ歳で、小学校の先生をやっており、ちょうど夏休みで、今回仕事をしているとのことだ。

どうして先生なのにこんなことしている?理由は簡単だった。


「教師の給料は1ヶ月30ドルだから生活が苦しい」


カンボジアの物価は安いとは言え(多分1日1ドルあれば暮らしていけるだろう)、非常に少ないと感じた(因みに、自分は1日10ドルで彼らをハイヤーしている)。


この話にショックを受けたが、続きの話を聞くと更に大きくなった。


「教師を辞め、兄貴と同じように観光客相手のバイクタクシーをしようと考えている」


言い方が荒いかもしれないが、バイクタクシーなんて道行く観光客に声をかけ、通常の何倍の運賃を吹っかける、教師は将来のカンボジアを担う子供達を教育する職業、この話を聞くまではそんな考えでいた。


ただ、彼の話を聞くと、こんなことも言えず、またやめろとは言えなかった。

外国からの観光業に依存しているカンボジアの国の実情を垣間見、暫し、言葉が出なかった。



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ところで、往路の飛行機内でちょっと前に流行った映画「Always3丁目の夕日」を見た。


図らずも心にぐっと来てしまい、ちょうどお絞りを配り来たシンガポール航空のスッチーもびっくりさせてしまうぐらい、目に涙を浮かべてしまった。


貧しいけれど、周りの人間と力をあわせ一生懸命に生きていく、心温まる戦後間もない日本の話。


今回のカンボジアを旅行して、確かにそういう人々の暖かさ、友好さ(カンボジア人同士よく話しをする)、生きていくことに対する力強さ、

そういう、浅薄な言い方になるが、この映画で描かれているものも感じた。


しかし、一方で、今回のカンボジア教師、おそらくお金の価値も分からないまま親に言われたのだろう物乞いする子供、地雷で手足を失った人達。


これらからは、このような暖かさ、奇麗こととしては決して言い包めることが出来ない、厳しい現実を感じたのも確かである(勿論、当時の日本にもあったのだろう)。


自分達には色々な悩みや問題があり、彼らに比べると些細なものであるとか、よくある、自分達は幸せな方、だからそんなことでくよくよするな、

とかそういう議論に持ち込みたくないし、必ずしもそうだとも思わない。


だた、世の中にはそのような状況で生きている人達もいる、そのことは心に刻んでおきたい。