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このいちご大福は、あるご婦人の手作り大福です。

今まで食べたどのいちご大福より、心のこもった温かいなんとも言えない素晴らしく美味しいいちご大福。

それは、亡き娘さん(あっちゃん.享年39歳)とのたくさんの思い出と愛が詰まっているからだと、私は感じています。


今週、滋賀県守山市に住む、あっちゃんのご両親に会いに行ってきました。

とはいえ、実は、私とあっちゃんは、友人だった訳ではありません。

関係性としては、私の母の古くからの友人が、あっちゃんのお父様(Iさん)。

母が私の住む大阪に遊びに来た際には、必ず守山のIさん宅まで伺い、逆に私の実家のある熊本にも来て頂いた事もある、家族ぐるみで仲の良い元同僚という間柄です。

このいちご大福は、私もその守山へ一緒に遊びに行った時に、Iさんの奥様と娘のあっちゃん(当時はまだ独身だったからご両親と同居していた頃)が、大量に二人で手作りしてお土産として持たせてくれたものだったので、私には最初で最期のあっちゃんからのプレゼントになりました。

今から三年前、あっちゃんが亡くなったというまさかの知らせを聞いたのは、これまた偶然にも、守山市に嫁に行っていた私の友人のYが送ってくれたメールでした。

たまたまYのご主人とあっちゃんは、地元の同級生だったという偶然が重なり、そんなところから私に来た訃報。

当時、Iさんは、落ち着くまでは あえて私の母にはこの訃報を知らせないようしておこうとされていたらしく、私の方が先に意外なルートからいち早く情報を教えて貰った為、すぐに母に電話をして知らせました。

あまりにも急で、まだまだ若くて、あんなにも元気だったあっちゃんがなぜ…

熊本に住む母は、訃報を聞いてもすぐに駆けつける事が出来ない為、母の代わりに私が告別式に向かうことになりました。

その日は雨。涙の雨。
あまりにも早すぎる彼女の訃報に、大勢の方々が悲しみにくれていました。

なぜこんなに人がたくさん集まっているのか?なぜ皆涙を流しているのか…?
そんなことは何も知らずに、生後1ヶ月余りの赤ん坊が、告別式会場でひときわ大声で泣いていました。

あっちゃんの初めての息子さんです。

そう。あっちゃんは、その息子さんを産んでから3日間だけはおっぱいもあげたのに、突然くも膜下出血を起こしてしまい、それから意識不明となり30数日後に還らぬ人となりました。

そのたった3日間で、一生分の愛情を与えて、あっちゃんは天国へと旅立ちました。

あっちゃんの旦那様は、再婚でした。
当時小学生の息子さんも一緒でした。

その息子さんの告別式のスピーチで、会場にいた全ての人がすすり泣き、さらなる悲しみに包まれたのをよく覚えています。

「あっちゃん。僕のお母さんになってくれてありがとう」


きっと、お母さんっていつかは呼びたかったんだろうな…

その子に最初はなかなか馴染んで貰えずに、あっちゃんも悩んだ事もあったみたいだけど、徐々に本当の母子の様な関係になりつつあった矢先の出来事。
彼のショックもさぞかし大きかったと思います。

私は、あんなに涙を流した告別式は初めてでした。

しかも、それほど私とあっちゃんは友人同士でもない関係だったのにも関わらず、すごく身近な存在であったかのように、泣き腫らした事を思い出します。


その日を境に、まるで古くからの友人だったかのように、私はIさんのご自宅を訪ねる事が増えました。

亡くなったあっちゃんがまだ生きていて、彼女と話してる感覚が不思議とそこにはあるんです。

昔からすごく気の合う友人だったような。

彼女の性格、行動、考え方。どれもがまるで私のようで、なぜもっと早くに友達になってなかったんだろう…と、今ではとても後悔しています。

でも、ご自宅に伺う度に、仏壇の前に座るたび、あっちゃんのあの笑顔が思い出されて、温かい陽だまりのような空気がいつも私を包んでくれるのです。

命をかけて産んだ息子さんももう3歳。

あっちゃんは嫁に行った身だから、Iさんご夫妻はそのお孫さんとも一緒に暮らすことは叶いません。
段々と疎遠になっていくのを悲しんでおられました。


あっちゃんの死後、私には一つの思いが芽生えました。

アクティブでポジティブでチャレンジ精神旺盛だったあっちゃんのような人でも、突然天国へと旅立つ事があるんだ。

きっとあっちゃんは、濃い人生を生き抜いたんだ、と。

人生は期間が重要ではない。
大切なのは、どう生きたか。

私は、彼女の分まで、いや、彼女のように、濃い人生を生き抜こうと、真剣にそう思いました。
大切な事を、私に気づかせてくれたあっちゃんに、心からの敬意を込めて…

あのいちご大福の味、絶対忘れないよ。

私は、私の人生を、豊かに生き抜きます!
誰かの笑顔の為に…