岐阜県の多治見市美濃焼ミュージアムで「没後100年 成瀬誠志とその周辺」展が開催されている。

作日のその美術館の女性学芸員のTさんから、「あなたが所蔵されている成瀬の作品を当館に預託して貰えませんか?」という電話が来ました。成瀬の特別展を開催しているという事で、美術館に成瀬作品を所蔵している旨を連絡をした返電でした。

アップした成瀬誠志の所蔵作品は「総透彫錦出花瓶(そうすかしぼり、にしきでかびん)」というもので、花瓶は花瓶なのですが、胴と胴の中に入れる花瓶が写真のようにセパレートに分かれるもので、からくり物のような凝ったものになっています。

また、頸部に描かれた精緻な紋様や、胴部の緻密な連続の透かし彫り、モースが絶賛した呉須で描かれた昆虫の絵など卓越した技術が凝縮された貴重作品です。

しかもこの作品は貴重であるだけでなく稀少な作品でもあるらしいのです。というのも成瀬は78歳で亡くなっていますが、その78歳の時に制作したもので成瀬の最晩年の作品でもあるようです。(箱の蓋裏に制作年の記載あり)

また、モースの名も出しましたが、本名は「エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse)」という名で、明治期に訪日した米国の動物学者で東京帝国大学の教授を務めた他、東京の大森貝塚を発見した学者で、日本の陶磁器コレクターとしても有名な人物なのです。

また、成瀬誠志の優れた陶芸家であることを示す有名な逸話ですが、日光東照宮の陽明門の美しさに感動し「陽明門」をモチーフにした作品を3年の歳月をかけて完成させました。

その作品を、明治26(1893)年のシカゴ万国に出品するために船便で発送しました。ところが輸送中に荷崩れを起こして作品が破損してしまいます。しかし、破損した作品を見た主催者が、その素晴らしさに驚き、残った屋根の部分だけでもと展示しました。

ところが残欠作品でありながら審査員から賛辞を浴びて、工芸部門の一等賞を受賞してしまったのです。

アメリカの人々が日本の工芸作品の素晴らしさにいかに驚いたかが分かる逸話として、今日までその逸話は研究者に語りつがれてます。

という事で、前置きは長くなりましたが、所蔵作品については寄託ではなく「寄贈にします」と返事をしました。いつか美術館に展示される日が来たときは、嫁に出した作品の晴れ姿を見に行きたいと思います。