次回作の原稿がほぼ書き終わり、来週出版社に渡せるところまで来ました。今回の作品は幕末・明治・大正期の実在の教育者をモデルにした人物の小説です。
夏目漱石、島崎藤村、滝廉太郎、蒋介石などと接点があった人物で、そうした人とのやり取りや世に知られていないエピソードを記述しています。
先々週に新潟県の上越市と柏崎市へ、先週宮城県の角田市を取材してようやく原稿の修正が終わりました。
ネタバレしない程度に、内容は上越市高田にある高校の創立者で、小説坊っちゃんのモデル説を唱えられている関根萬司という人物の評伝です。坊っちゃんのモデルとされた理由として、夏目漱石と同じ時期に二松学舎(現在の二松学舎大学)に在籍して、皇漢学を学んだ人物であること。
漱石が東京帝国大学文科大学選科英文科講師時代の教え子で、漱石と親交が確認されている新潟出身の堀川三四郎が、宮城県の角田中学校に奉職した際、自身の赴任前に教鞭をとっていた郷里の先輩、関根萬司の逸話を同僚から聞き、漱石に紹介したものが「坊っちゃん」執筆の材料になった。
三点目は、関根萬司は東京物理学校で学んでおり、「坊っちゃん」の主人公の「おれ」も東京物理学校で学んだ人物という設定になっている。
四点目は、小説「坊っちゃん」の中で、・・・・四国の学校に赴任する坊っちゃんが、ばあやの清に向かって『「何かみやげに買って来てやろう、何がほしい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と言った。越後の笹飴なんて聞いたこともない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ。」と言って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。…』というように、唐突に笹飴が登場する。笹飴は新潟県高田の銘菓で萬司は新潟出身であること。四国に行く坊っちゃんに、新潟の銘菓を依頼するところが、モデルは新潟に関係ある人物であることを示唆しているのではないかと推理している。では笹飴を漱石に紹介した人物は誰か‥‥。漱石の主治医で、漱石と親交があった長与胃腸病院の森成麟造医師が新潟県高田の出身で、漱石に笹飴を土産として渡していることが分かっている。この土産の笹飴が「坊っちゃん」の小説に登場する素地になったとする説を唱える人もいる。しかしそれは間違いで、そもそも森成麟造と夏目漱石が会うのは、坊っちゃんの小説が発刊されてから六年後の事であり、森成麟造から貰った笹飴を小説の素材にすることは不可能なのである。ところが、夏目漱石が坊っちゃんの小説を執筆したころ、関根萬司は新潟県の高田中学校で教師をしていた。笹飴は新潟の銘菓というよりは高田の銘菓であることは新潟県人ならだれもが知っている。しかも坊っちゃん執筆の直前に、二松学舎で創立30周年の記念式典が行われており、もし二人がこの式典に参加していたとしたら、接触した可能性が無いとは言えない。などの状況証拠から近年坊っちゃんのモデル説を唱えられはじめています。
筆者の内容は、モデル説を検証するものではなく、この人物に焦点を当ててその生涯を著わす内容にします。但し、あくまでも史実をベースにしたフィクションです。
執筆にあたり、柏崎市の市立図書館のS館長、K資料係長、同級生で教育委員会の埋蔵文化財担当のTS学芸員、郷土史家のSさん、元大東文化大学のM教授には原稿の時代考証を支援いただき感謝します。上越市高田のS学園の校長には原稿校正ありがとうございました。また、主人公が宮城県角田市の学校で奉職していた時代に下宿先の加藤家の末裔のKさん(写真の方で某銀行の支店長)には、資料提供のご協力と市内の案内をいただき感謝です。
入稿してから、出版社の校閲を受けたりするので、出版は3.4ケ月後になる予定です。上梓致しましたらお読みいただけると幸甚です