【2022年7月13日追記】

1.安部元首相が銃撃により殺害され、実行犯である山上徹也容疑者が「特定の宗教により自分の家庭と人生を破壊されたことへの恨み」が動機であったと供述していることが多数のニュースで盛んに報じられています。

 

どのような過去があれ、山上容疑者の行動に正当化できる点が1点もないことは言うまでもありません。

同時に、今回の重大事件は、「特定の宗教(特に精神面での信仰のみならず現実世界での信仰の実践を強く教える宗教団体)が、家庭や親子関係を破壊し、2世と呼ばれる信者の子供たちの人生を破壊し得る」という現実について、極めて重要な示唆・警鐘を社会に与えるものであると強く感じます。

 

山上容疑者の母親の信仰していた宗教や他の宗教について、私は何かを具体的に述べる立場にはいません。

このブログのテーマは「エホバの証人」という宗教であるため、その範囲に限って考えを書かせていただきます。
(とはいえ、ここに書く内容は多くの「議論のある宗教団体」一般に共通して考えるべきテーマであるとも考えます)。

 

2.このブログを通じて私は、宗教信条は尊重すべきことは大前提としながらも繰り返し繰り返し、

「ではなぜ彼らはそうした熱狂的な信仰を持つにいたるのか」

「彼らが宗教的確信を持つにいたる『プロセス』には疑問は生じないのか

「若年者でも宗教的確信を持つにいたり、場合によっては死に至るまでその確信を貫くのはなぜか、問題はないのか」

といった点を指摘してきました。

(また、輸血拒否判例に並び「エホバの証人剣道受講拒否判例」は一般的にも金字塔のような扱いを受けると述べましたが、エホバの証人教理ゆえに剣道の授業を拒否し退学になった当事者は当時まだ10代半ばでしたし、同じく10代半ばで輸血拒否をして死に至る子供は世界中に多数存在します。このような10代半ばの子供が、「なぜそこまでの宗教的確信を持つに至るのか」について、社会は疑問を持たないのでしょうか)。

 

一般社会が「宗教による家庭の破壊」に強い関心を抱いている今、これらについての持論の結論を記しておきたいと思います。

 

3.エホバの証人の2世としてこの宗教団体に関わった人の多くは、以下のような深刻な問題を抱えます。

(この点については、複数の人が書籍を出して公表しています。)

 

①幼少期や若年期に極めて過酷な身体的児童虐待を受ける

(教理に少しでも逆らうと親から苛烈な暴力を振るわれる。しかも、それはエホバの証人組織からの指示によるものであり、「傷跡を学校などで見られないように」と親に強く脅迫される。これはエホバの証人関係者の間では「ムチ問題」と呼ばれる。そしてその虐待を行う際の「道具」についてエホバの証人幹部から具体的に指示され手渡されるケースもある)。
(2022年現在この忌むべき慣行は相当減少しているようですが,数十年にわたりこの被害に遭ってきた人たちは現在も親との関係を破壊されており現在進行中の深刻な問題です。また児童虐待についての社会対策が強固になると共にこの忌むべき慣行も姿を見せなくなったことは,エホバの証人組織自身がこの恥ずべき愚行が誤りだったことを自白しているに等しいと感じます。弁護士視点から言わせてもらえばこれは悪質な組織的犯罪に他ならないです。)

②成人に至るまで一般社会の人(親族を含む)との接触を可能な限り避けるよう強く強制される。

(学校の友達と遊んでいるところを見つかると「ムチ」をされる、など)

③エホバの証人教義の勉強を徹底的に強制され、それ以外の情報を著しく制限される。

(テレビを見ることを禁止されるケースも多い。テレビのことを「悪魔サタン箱」と呼ぶケースすらある)

(修学旅行に参加できないというケースも珍しくない。)

④高等教育、特に大学教育を受けることを強く禁止される。

⑤成人後は、宗教活動に生活のほとんどをささげるよう強く強制され一般的な最低限の経済基盤すら失う。

(正社員になることは望ましくないものと教えられ、アルバイトのみで生活し深刻な経済問題に陥る)

⑥仮に成人後に教団を離脱しても、上述の経緯から、親との関係が決定的に破壊され、通常の親子関係を持てない。また、自らの育った経緯故に、社会的立場の欠如・経済基盤の欠如・通常人なら多くが持つであろう普通の幼少期の幸せな思い出の欠落などに生涯苦しみ続ける。

(そして多くの親はエホバの証人教理にすべてを捧げたがゆえに同じく経済基盤に乏しく、介護等に深刻な影響をもたらす)

 

このような経緯を経て「エホバの証人社会以外とは隔絶された環境」の中に閉じ込められ、

・ある人はそのまま(選択の余地なく)熱心な2世信者となり、

・ある人は教団を離れるものの、教育機会の喪失・経済基盤の喪失・頼れる人間関係が皆無・親との関係の破壊、などによりのちの人生数十年にわたり苦しみ続けることになります。

 

4.エホバの証人問題についてもっとも深刻な点は、個人的には以下の点であると感じます。

 

多くの信者がここまで熱狂的に信仰する理由は、エホバの証人組織が「今は終わりの日であり、そのことを裏付ける考古学的・科学的根拠が存在する。だから生き残るために生活の全てをエホバの証人に捧げないといけない」と、強烈に扇動するからです。

 

(1) しかし、早くも1981年には、エホバの証人組織の最高指導者の1人レイモンド・フランズ氏(エホバの証人教理の構築の再中心人物。『統治体』メンバーで、エホバの証人の最重要機関紙ものみの塔の執筆やエホバの証人の最重要辞典『聖書に対する洞察』の大部分の執筆者)が、「エホバの証人の教えの最も根幹をなす部分についての考古学上の根拠は完全に誤りで事実に反する」という事実を表明し、良心の呵責に耐えかねて教団を離脱しています。

 

そしてフランズ氏は、数百万人のエホバの証人信者が信じ込まされているこの「教理の根幹の致命的な虚偽」について、1983年に出版した『良心の危機‐エホバの証人組織中枢での葛藤』(日本語版:せせらぎ出版)という本で詳細に公表しています。

 

(2) また、インターネットの発達に伴い、「エホバの証人教理が正しいということを裏付ける科学的根拠」として論文を引用された著名な科学者が「趣旨とまったく反する形で自身の科学的考察が引用されている」と見解を表明していることなども明らかになっています
(例:マサチューセッツ工科大学地球惑星科学学部のケイイチ・アキ教授 1986年6月16日付 自著署名入りの書簡

『ものみの塔協会に私が送った手紙のコピーを同封しましたのでご覧ください。(中略)彼ら[ものみの塔]が自分たちの欲しい部分だけを引用して、私の手紙の趣旨を無視したことは明らかです。』

※この書簡はPDFの形でインターネット上で公開されています)

 

このように、エホバの証人教団は、「自らの教えが虚偽である」ことを知りながらそれを信者に強力に教え込み続け、その教理以外の情報を遮断するように強く指導し、自らの教団内部でなければ人格的活動ができないように信者を社会的にも経済的にも孤立させている、というところに最も大きな問題があるものと考えます。

(それでもなおその宗教を信じるという人がいればそれは「信教の自由」ですが、大多数の人は自分自身が深い信仰生活に入り込むその前提状況を知らず、その前提状況にアクセスできないというところに問題があるものと考えます)。

 

5.ではなぜ、多くのエホバの証人関係者は、この問題について声を上げないのでしょうか。

 

まず第一に、多くのエホバの証人信者は、教育の機会・経済基盤を得る機会・社会的に発言力を持つ地位を確立する機会を奪い去られています。そのために「非常に深刻で強い叫び」を心の中に持っていたとして、それを効果的に社会に発信する上で大きな障害を抱えている、という点があるものと考えます。

荒い言い方をすれば「被害者が社会に見捨てられている状況」が存在するように感じます。

 

第二に、元エホバの証人信者でも、その後、医師や大学教授など、強く信頼できる発言力を持つに至る人はいます。

しかしながら、彼らの多くは「家族・親族がエホバの証人である」という別の大きな障害を抱えており、かつ、この障害には一般人が想像するよりもはるかに過酷な爆弾が仕掛けられています

 

エホバの証人教団は自らの教理への攻撃、特に上述した「信者への欺罔」を暴露されることを極端に警戒し、極端に攻撃的な姿勢を示します(自らの存亡にかかわる点ですからこのような態度になるのは容易に理解できます)。

 

彼らは「排斥」という制度(つまり破門処分)を強力な統制道具として持っており、一度信者だった人物を排斥処分とすると、当該人物はエホバの証人信者である親族・家族・友人知人との接触が事実上不可能(通常の人間関係の維持が不可能)な状況に陥ります。つまり、元エホバの証人2世であった人が、内部状況を公開したいとしても、それをすることにより自分自身が排斥、あるいは家族が排斥される場合、自分自身はエホバの証人信者家族との絆を完全に奪い去られますし、排斥処分される家族に至っては、数十年の全人生をかけてきたすべての生活基盤を一瞬にして完全に失うことになります。

 

このように、家族関係・人間関係を人質に取られているために、公の発言ができないでいる元信者は相当数いるのではないかと想像します。

 

6.結論

 

(1) かつてのオウム真理教などとは異なり、エホバの証人の最大の特徴は「他者加害」ではなく「自己加害」です

・エホバの証人教団は自らの信者たち及びその家族の人生を破壊し、

・エホバの証人信者たちは自分自身の人生を自ら破壊し、

・エホバの証人の家庭で育った子供たちは人生の多くを奪われたまま容易には救いを得られず、

そしてこれらすべては「エホバの証人の虚偽の教理」に端を発しています。
他者を殺害するようなことはないでしょうが,自らの人生・家庭を破壊するがゆえに問題は表面化せず,放置され続けます。

 

・どこかの宗教信者が1億円を持っていたのにそれを寄付して急に破産した場合は社会の耳目を集めるでしょうが、エホバの証人信者が「教育・経済活動を避けるよう強く奨励されて、もとより若年期からずっと破産状態に近い経済状況に留め置かれる」場合、それは極めて表面化しにくい、しかしあまりにも根深い問題になります。

・どこかの宗教信者が1冊の本を3000万円で買わされた場合、社会はそれを問題視するでしょうが、エホバの証人が「毎月100時間・150時間を宗教活動に捧げ、さらにそれを数十年続け、生涯を通じて5000万円・1億円に近い金額を得る機会を失い、その代わりに教団側が無報酬の労働提供を受ける」という場合、それは社会問題として極めて注目を集めにくいものですが、問題とは言えないのでしょうか。

・さらには、そうしたエホバの証人信者による無償の労働提供により多数の宗教施設が全国各地・世界各地に建設されていますが、そうした「信者の無報酬労働により建設された不動産施設が次々と売却され売却利益が教団本部に全て入る」という場合、「一度に多額の献金をさせる他の宗教団体」に比較して、どちらが悪質なのでしょうか。

 

そして、こうしたことが現実に、過去何十年もの間おき続けており、現在も進行中の状況にあります。

「自己加害」の危険性はまさしくこうした点にあります。

健全な社会はこうした巧みに隠されている現実の状況に、もっと目を向けるべきではないでしょうか。

 

(2) エホバの証人教団や教理そのものを攻撃することは「信教の自由」から言って意味が極めて薄いでしょう。

どんなに自己加害をしたとしても「心が」それを望んでいるのであればそれを尊重すべきというのが信教の自由であり、

「仮にあとで後悔しても、それは自己責任」と冷たく扱われるという意味で、信教の自由は「諸刃の剣」であり「究極の自己責任」を要求する制度だからです。

 

願わくば、社会学者・社会宗教学者・社会心理学者などの研究者の方々、医師や弁護士などの専門知識を持ち社会に効果的かつ正確に情報提供できる方々が、この宗教の抱える「隠された、しかし極めて深刻な問題」に光を当てていただけないかと強く思います。「真理は必ず誤謬を駆逐する」と言われるように,社会一般に正確で信頼できる情報が効果的に提供されれば「虚偽と隠匿に立脚するもの」は必ず倒れると信じます。

 

また、もしもエホバの証人2世・3世として「人生・家族を奪われた」という状況にある方がおられれば、「逆境は必ず克服できる」と信じて自分の人生を歩み続けてほしいですし、仮に自ら克服する力や状況が今はないとしても、そうした状況に関心を持ち力を与えてくれる人が必ず社会にいると信じますので、そうした助けを探し続けてほしいと願います。