1 以前の記事で私は,「誰かの信仰を信じない事」と「その人の信仰を尊重する事」は別のことであり,両者は両立する,と書きました。

私はエホバの証人の信仰を尊重しますし,誠実で謙虚で利他的で品位のある彼らを尊敬します。そして,私は,自分が彼らの「教理」を相当程度まで深く理解していると考えています。

 

しかし私は,彼らの教理は信じません。

 

2 私がこれから書こうと思うことをわかりやすく言えば,次のようになると思います。

(これは陳腐な例えとは思いません。非常に真剣な例えです)

 

①もしも誰かが,「イワシの頭は神様です」「理由はありません。とにかくイワシの頭が全知全能の神様なんです。理論的根拠はありません。」「神様であるイワシの頭が輸血は死んでも受けてはなりませんと言っています。だからそれに従いましょう。」「理由や根拠はありません,とにかくこれが全宇宙の真理です」と言ったとします。

そして,数十万人の人がそれを信じて輸血を拒否するとします。

 

もしそうであれば,何も言うことはありません

 

それを信じることは「信教の自由」ですし,信教の自由は「基本的人権」ですし,それを信じることがその信者の「確固たる意思」なのであれば,特に何かの意見を述べず,尊重するしかありませんし,社会がそれに分析を加えたり情報を提供する必要はないと思います。

彼らが信じる権利を尊重する,ただそれだけです。

 

②しかしもし,どこかの宗教団体が,「エホバが全知全能の神様です」「そのエホバは,地上に自分の組織を持っていて,その地上の宗教組織が言うことに従うことがエホバに従うことになります」「この宗教組織がエホバに是認され,エホバにより用いられていることについては,聖書の中に明確な根拠があります。」「そして,その聖書に基づく根拠は,考古学や地質学などの,現代社会で認められた科学の根拠に裏付けられています。」「だから信じましょう」と言った場合はどうでしょうか。

 

それを信じることは「信教の自由」ですし,信教の自由は「基本的人権」ですし,それを信じることがその信者の「確固たる意思」なのであれば,尊重するべきことはイワシの頭と同様ですが,

しかし,後者の場合には,「考古学や地質学などの,現代社会で認められた科学の根拠に裏付けられている」という点について,本当にそうなのかどうか,考古学や地質学のデータ部分について分析をし,彼らが「根拠」とする情報が正しいかどうかについて健全で客観的な検討を加え,その事についての情報を提供することは正しいことであると思います。

 

このようなことをすることは,「信仰への迫害」とは根本的に異なりますし,別の極めて重要な人権である,「表現の自由」・「言論の自由」にほかなりません。

 

そして,もとより「信教の自由」は,「言論の自由」を前提として成り立つものです。

「言論の自由」が保障されている社会では,正しい言論が誤った言論を駆逐するからこそ,本当の意味での「信教の自由」が守られる,と私は信じています。

(これは極めて重要な「対抗言論理論」の1つであると考えますし,信教の自由が何かの言論に立脚しているのであれば,その言論部分に対抗言論をぶつけて,真実を明らかにすることは,宗教への攻撃ではなく,科学そのものです。)

 

3 私が「エホバの証人」という宗教について,最も気にかけているのは,以下の点です。

 

2020年の時点で,全世界には約870万人,日本国内には約21万人のエホバの証人信者がいると言われています。

私は,これら多数のエホバの証人信者たちに対して,彼らの最高宗教指導者が数十年に亘り,極めて重要な「ある事実」をひた隠しにしていると感じています。

そして,この「ある事実」が明らかになった場合には,相当数のエホバの証人信者は,この宗教を信じ続ける理由がなくなり,信者であることをやめるのではないかと考えています。

 

この,エホバの証人組織が信者にひた隠しにしている「重要な事実」を日本で最初に,高度に専門的かつ客観的な仕方で公表したのは,アメリカ合衆国在住の著名な神経科医師,村本治博士でした。

村本先生は,1996年5月に,当時は今ほど発達していなかったインターネットを使用して,「JWICエホバの証人情報センター」というウェブサイトを立ち上げ,それまで日本のエホバの証人がアクセスしようがなかった,極めて正確で専門的な情報提供を開始し,特に上述の「隠されている重要な事実」を中心に,客観的な信頼できる情報を入手できるように尽力されました。そして先生の情報提供の更新は10年間続きました。

(その中で村本先生は,まさに私が上に書いた,エホバの証人が「教理の裏付け」として用いる実際のデータについて,それが本当に正しいのかどうかについて,考古学や地質学的観点から客観的で高度な考察を加えています。)

 

この村本先生の活動開始時期である1996年まで,日本国内のエホバの証人信者は,日本での組織的活動が開始した1949年以来47年間の間,終始連続して,驚異的なスピードでの増加を間断なく続けていましたが,村本先生の情報提供開始の翌年である1997年を最後に,その後,突然に減少に転じ,以後,現在に至るまで横ばいと微減を繰り返しているようです。

 

出展:【エホバの証人 統計】日本① 平均伝道者数 推移(2008-2018)と予測2025 | 下から見たJW (ameblo.jp)

 

「正確な情報提供」と,上記のエホバの証人入信者数の劇的な減少には,因果関係がないとは到底思えません。

(今まで入手できなかった正確な情報が入手可能になったことにより,その情報にアクセスできた多くの信者が教団を離れると同時に,新たに入信しようとした人たちも,インターネットで正確な情報を調べることにより,彼らの教義の「根拠」に重大な欠陥があることに気付けるようになったため,増加率が極端かつ劇的に減少したという仮定は,十分に成り立つものと考えます。また,不思議なほど一定数を維持し続けている(横ばいが続いている)のは,こうした情報にアクセスできない信者が確実な「中核層」として一定数いるということと,これら「中核層」の子供や孫,いわゆる「JW2世・3世」と呼ばれる,「幼いころから信仰の選択の自由がなく,自らの自由意思により信仰の選択ができるようになるまで,信者として組み込まれる若者」が多数いる,という仮定も,合理的に成り立つと考えます。)


なお,さらに情報の入手がしやすくなった2012年から2016年を例にとってみると,日本国内で毎年新しく信者になる人の数は2156人~2787人であるにも関わらず,全体の信者数は前年度比で660人~771人減少しています。つまり,約3000人の人が毎年連続してエホバの証人をやめていることがうかがえます。(このデータは,エホバの証人自身が発行している毎年の「エホバの証人 年鑑」で確認できます。)

https://www.jw.org/ja/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC/%E6%9C%AC/2017%E5%B9%B4%E9%91%91/

2016年までの直近5年間で現に1万5千人くらいの人が辞めており,もうさらに5年続けば3万人です。

これは,信者数20万人強の団体としては相当に大きな数値であると感じるのが普通ではないかと思います。

 

仮に10年程度で3万人もの人がこの教義を捨てているのだとすると,「死に至るまで輸血は受けない」という確信的意思を「人生のある時点」で表明した人がいたとしても,その僅か数年後には,実はその強烈な確信を捨てていたかもしれない,という事態が想定できないでしょうか。

たまたま輸血拒否をした時期には「その強烈な確信」を持っていたので亡くなったが,もしも,僅か数年生き延びてその間に正確な情報に触れて信仰や考えを変えていたら,本当ならその後の人生を最大限生き尽くしていたかもしれない,という事態が想定できないでしょうか。
上述のとおり,1980年代,1990年代に輸血拒否で亡くなった若い人たちが確実に存在するのでしょうが,もしその人たちが,その後10年,或いは数年後にはインターネットで容易に入手できるようになる情報に触れていたとしたら,それでもなお「死に至るまで輸血は受けない」という確信的意思を表明したのでしょうか。

 

こうした意味で,日本の最高裁判決は,極めて強烈な「諸刃の剣」です。

「この人は絶対的な確信を持っている」と1たび認定されれば,そのような絶対的な確信に至った理由,その根拠の脆弱さ,ある場合には「その絶対的な確信に至る以外の人生を自分では選択できなかった・別の環境にさえいればそのような絶対的な確信にいたらなかった」という要素などがあったとしても,そこは見てくれません

今のあなたは絶対的確信に基づき決断した,だから私たちは今のあなたの決断を尊重する」と結論付けられてしまい,あとで後悔するかどうかまでは考えてもらえません。

 

このように,「絶対的確信に基づく決断」は,「究極の自己責任」として自らに跳ね返ってくるものであり,あとで何を言っても取り合ってもらえない(後で何か言おうとしてもその時には自分は死んでいるかもしれない)という,極めて大きな危険を伴うものです。

そうであるならば,「究極の自己責任」として突き放されて,後に後悔するかもしれない決断をするというのであれば,せめて,エホバの証人信者は「エホバの証人の最高宗教指導者らが「信者にひた隠しにしている重要な事実」について知るべきであると思いますし,その情報は広く公開され,社会がそれに関心を向けるべきであると考えます。

 

4 私個人としては,これらエホバの証人の最高宗教指導者らが「信者にひた隠しにしている重要な事実」について,個々の信者が知り,理解し,それでもなお「死してなお信仰を続ける」と決意するのであれば,その信仰は尊重すべきと考えますが,

その事実を知らされることなく,死に至るまでの信仰を抱いている」のであれば,それはフェアな状況ではないと感じます。

 

ましてや,「家族や親族が輸血拒否することにより亡くなった後に」,この隠された真実に後から気づき,そのことで一生後悔と無念にさいなまれる人がいる可能性を考えるとますます,こうした正確な情報提供をするのが「健全な社会の責務である」と考えます。

 

こうした次第で,引き続き,その「重要な事実」が何であるかについて書きていきたいと思います。

ただそのためには,「エホバの証人の教理」がどのようなものであるかを理解することが大前提となりますので,まずは「エホバの証人の教理」がどのようなものであるかの概略説明を書き,それを理解していただく必要があります。

(その内容は,古代の神話や,ミステリー系の都市伝説,ノストラダムスの予言などが好きな人にとっては,本当に面白い内容ではないかと考えています。)