1 私は,これまでの記事で,「どちらかが死ぬときまで,お母さんの信仰は守るからね」と母に伝えたことを書きました。

私はその約束を守りましたし,今後もこの決意が変わることはありません。

 

しかしこれは,私が彼女の信仰そのものに同調しているとか,それを奨励していることを意味するわけではありません。

「誰かの信仰の内容を受け入れない事」と,「その信仰を尊重する事」は別個のものであり,かつ,これらは両立するものです。

 

私が初めて憲法を学んだ時,「あなたが言う全てのことに私は反対する。しかし,あなたがそれを述べ,あなたがその自分の考えに従う権利は,私は命に代えても守り抜く」というのが憲法の根本思想であると最初に学びました。

また,相手の言うことを力で抑える事は意味がなく,相手の考えを尊重したうえで,自分の考えと相手の考えを「言論の自由の海」の中でぶつけ合えば,必ず真理は誤謬を駆逐する,と学びました。

私は「基本的人権理念」を信じていますし,それを死ぬまで尊重したいと思っています。

今回,その思いが本物かどうかを自分の母のケースで試されましたし,その思いが本物であることを証明するには大変な努力が必要でした。

結果,自分が下した決断に,後悔は1つもありません。母が死んでいても思いは同じだったと思います。

 

2 自分がこうした決断に至った理由を正しく理解していただくために,もう少し説明を加えます。

 

「エホバの証人」が多くの批判を受けていることは,私も理解しています。

 

ただ,私の母がエホバの証人を信じるようになったのは,1970年代の半ばであり,その後,1980年代全て,1990年代前半と時が流れるにつれ,彼女の希望・幸福・不幸・人間関係,つまり彼女の全人生及び全人格は,その宗教信条の中だけで構築されるようになりました。

 

この当時は,自分が手に取る出版された「書籍」だけが,ほとんどの一般人・ほぼすべてのエホバの証人信者の情報源であり,それ以外の情報源にアクセスすることはほぼ不可能でした(彼らは今も,この「情報遮断」を引きずっています)。

エホバの証人信者は,「現生での現実の生活に完全にリンクした極めて強固な信仰を持つ」という特殊性がありますが,それは,エホバの証人組織が「自分たちの教理の正当性は,考古学や科学により明確かつ客観的に裏付けられている」と教え続け,主に自分たちの発行する出版物でそうした説明を信者たちに繰り返してきたからである,と私は考えています。
そして,彼らの言うところの「教理を明確かつ客観的に裏付けるとされる,考古学的・科学的根拠」が正しいのか否かについての,正確な検証を一般人がインターネットで容易に確認できるようになったのは1990年代の半ば過ぎ頃であり,この頃にはすでに,母の全人生は,エホバの証人世界の中で構築されていました。

 

そのような状況の下,もとより誠実さの塊のような人だった母は信仰の道を歩み続け,

彼女にとっての信仰は,「命」そのものであり,「人生」そのものでした。

 

そのことを理解している私は,その「命」そのもの,「人生」そのものを打ち砕くことはできませんでした。

同時に,その信仰の基盤が正しいものであれ,仮に誤ったものであれ,それを自分の人生として選択した彼女個人に,非難されるべき点はないと考えました。そして何より母は高齢でした。

 

こうした全ての状況を考慮した上で,私は死に至っても「母の信仰」を守ろうと決意し,それを貫きました。

 

ですからこのケースはそうした「個別具体的ケース」であること,

若い人が交通事故や妊娠・出産等による大量出血に直面した場合には,また別の議論が必要であると考えていることは,事前に強調しておきたいと思います。

 

3 正直に言えば,私と母が経験したケースは,確かにまれなケースであったと感じます。

①上述した事情により,私と私の親族は,母の決断を尊重するという点で,最後までぶれませんでした。

②そして,幾つか重なった幸運・多くの人の尽力・そして絶対に何とかしきろうという全精力を傾けた自分の半日の努力により,ギリギリのタイミングで救命できる,という一番良い結果になりました。

③さらに言えば,そのようにして,引き寄せられるように名医に出会うことができたことで,母は大規模手術や大規模代替治療も必要なく,結果として,「通常の輸血を伴う治療に比較しても圧倒的に医療資源にかける負担が逆に少なくなった」という意味でも,稀であり幸運なケースでもありました。

「できすぎたケースだった」と感じることもあります。

 

ただ同時に,これが「稀なケース」であったとはいえ,めったに生じえないケースであるとは考えません。

 

むしろ,繰り返し述べてきたとおり,今,この瞬間にも,世界中・日本中のいたるところで同じようなケースが生じており,救命に至るにせよ,死亡に至るにせよ,そうしたケースは情報公開されることなく,情報の海の中に葬られていくのではないかと感じます。

 

そして何より重要なこととして,そうした事態に現に直面する人が何かのことで私と母が現実に経験した事例を知ることにより,つまり「情報を得る事」により,ギリギリのタイミングで救命されて,またもとの通常の生活に戻るということが可能になるのではないか,逆に,「情報がない」ゆえに容易に救命できたはずの命があっけなく失われることがあるのではないか,と考えます。

 

こうした思いから今回の経験を公表しているということを,読む方皆さんに知っていただきたいと思います。

 

4 そうした意味で,次回以降,2回に分けて,今回の事例から得られた教訓・有益であると願う情報のまとめを書きたいと思います。

 

 

文責 弁護士田中広太郎