第8回 平等原則
さて,これまでは憲法上の権利の基本的な部分を整理してきました。そこで各論へ,と行きたいところですが,頭を一度リセットしていただくため,平等原則について,先に学習しておきましょう。
というのも,平等原則は,他の憲法上の権利と異なる異彩を放つ条項であり,その処理手順も独特なものがあります。特に,救済の側面では,これまでの憲法訴訟論の理解が不可欠となります。反面,国籍法判決という素晴らしいリーディングケースがあるため,判例と学説の距離が比較的近い分野です。その意味では,判例と学説に距離がある他の憲法上の権利と比較すると,学習しやすい分野といえます。
今回は,平等原則の基本,違憲審査基準,違憲となった場合の救済方法の3つについて学習しましょう。
1 平等原則の基本
⑴ 平等原則とは
平等原則は,「平等それ自体は何も求めていない,ただ比較を問題にする「空っぽ(empty)」な要請」(宍戸104頁)といわれることがあります。すなわち,平等原則というのは,違憲とされた場合,自由権のように国家行為を排除しなければならないとか,請求権のように国家行為をしなければならないという事態は発生せず,原則として単に当該国家行為が「違憲である」と宣言するに過ぎません。したがって,どのような国家行為を義務付けるか否かは,別次元の論点となるのです。
なお,平等原則を「平等権」と称して,主観的権利として扱う見解(急所254頁参照)もあり得ますが,この連載では「平等原則」として統一的に扱うことにします(※8-1)。
※8-1 第6回で学習したように,憲法の規定には,主観的権利と客観法の2種類があるところ,まずは客観法があり,個別化などの事情がある場合には,主観的権利が観念されます。これに対応するように,「憲法14条1項についても,まず<国家は国民を法の下に平等に取り扱わなければならない>という禁止ないし要請(=平等原則)がまずあり,その次に国民個人が国家に対して<法の下で平等に取り扱われる権利>(=平等権)を主張できる,と観念される」(宍戸105頁)と考えることもできます。
この点,木村先生は「国民と国民を区別することの全てが平等権制約だと解されています」(急所254頁)としていますが,宍戸先生は「平等原則が国家に広く同一取扱いを求めるとすれば,このような強い個別化・主観化の契機が欠けて」いることから,「かような広い「平等」に,他の憲法上の権利と同じ程度に強い憲法的保障を,享受させるわけにはいきません」と指摘しています(宍戸105~106頁)。木村先生は,検閲の禁止等の客観法についても主観的権利として扱う見解ですから,木村説の帰結としては平等権を広くとらえることになります。しかし,これでは司法審査に過剰な期待をするようで,「憲法訴訟は民主主義の例外である」とする私の見解からは,宍戸先生のように考える方が親和的です。
ただ,何が「平等権」かを確定できないこと,主観的権利と客観法との区別につき原告適格や主張適格の議論と結びつける見解でないため区別の実益が乏しいことから,本連載では「平等原則」という呼称で統一することにします。小山先生も平等権と平等原則について,「区別を厳密に意識する必要はない」と述べています(作法104頁)。
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⑵ 平等審査は三段階審査ではない
平等原則が,形式的平等のみならず実質的平等をも保障すること,立法者を拘束すること,事実的・実質的差異を前提とする相対的平等であることは,これまで学習してきたとおりです(芦部126~130頁)。ただ,その具体的な審査方法については,予備校教育において,あまり目を向けられてこなかったように感じます。そこで,以下では具体的な審査方法をどのようにするのかを簡単にご紹介します。
まず,平等原則の審査において,三段階審査は利用できません。自由権は,「自分限りで成り立つ権利であり,自分と自分の権利を制限する国家の2者があれば成立する」のですが,「法の下の平等は,自分と国家の2者だけでは成り立たない」からです。そのため,「審査は,基本的には別異取扱い→正当化という2段階に整理される」のです(作法106~107頁・欄外番号423)。
ⅰ別異取扱いの段階では,「誰と誰を比較するのかを最初に明確にする必要がある」(高橋151頁)ことから,「比較可能な第三者を措定し,自分に対する取扱いがその者に対する取扱いよりも劣ることを主張」(作法106頁・欄外番号423)することになります。なお,「比較の対象は,1者の場合もあれば,複数の場合もある」(作法108頁・欄外番号425)点に注意しましょう(※8-2)。
※8-2 実務では,「比較の対象が誰であるかについて当事者間に対立が生じる場合」があります(作法108頁・欄外番号425)。しかし,比較の対象を争点とすることは,少なくとも司法試験との関係では,優先順位が低いと思います。なぜなら,国側が「原告と比較すべきは,B(原告より優遇されている者)ではなくC(原告と同じ処遇の者)である」と反論したとしても,依然としてAとBとの間には別異取扱いは存在するため,結局はAB間の別異取扱いにつき司法審査をすることになるからです。したがって,比較すべきはCであるとの反論は,AB間の別異取扱いが合理的かという審査の中で考慮すべき一事情にすぎないと考えられます。
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⑶ 目的手段審査を再構成する
次いで,ⅱ正当化の段階ですが,学説上では目的手段審査をするのが一般的でしょう(高橋151頁,急所255頁など)。しかし,宍戸先生は,「平等における目的・手段審査は,区別の合理性を思考の中心に据えて,それに掃き寄せる形で目的の正当性や別異取扱いの程度を考慮するのがよいでしょう」(宍戸113頁)と指摘しています。その理由は,「平等については,人の区別と区別の目的とが密着しがちであること,そして別異取扱いが程度問題ではなくall-or-nothingの問題であるのが通常だという事情」(宍戸110頁)にあると指摘しています。
こうして考えると,平等審査では,単に「人と人との区別の合理性」を問うべきことになりますが,目的手段審査は無用の長物となるわけではなく,次のように再構成することになります。
まず,①目的審査としては,別異取扱いが発生している原因となっている理由を特定し,審査密度に応じてその理由の正当性を問うことになります。
例えば,非嫡出子法定相続分差別事件(最大判平7・7・5民集49-7-1789)では,「法律婚の尊重」と「非嫡出子の保護」ですね。前者については正当といえそうですが,後者については「非嫡出子には相続分はない」という判断が内包されているため,正当性に疑問があるといえそうです。
次に,②手段適合性審査において,問題となっている差別の基礎が,当該目的を達成するために適切な手段・指標であるかを審査します。「差別の基礎」とは,「区別事由」と同義であり,別異取扱いの原因となっている事由をいいます。
例えば,国籍法事件(最大判平20・6・4民集62-6-1367)では,「父母の婚姻の有無」ですね。同判決は,目的を「血統主義を基調としつつ,日本国民との法律上の親子関係の存在に加え我が国との密接な結び付きの指標となる一定の要件を設けて,これらを満たす場合に限り出生後における日本国籍の取得を認めること」とした上で,立法当初は「父母の婚姻」により我が国との密接な結びつきを測ることができたものの,婚姻関係の多様化した今日では適切な指標ではないとして,手段適合性を否定しました(※8-3)。
以上の①と②が,区別の合理性を問うための審査となります。
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最後に,③手段相当性審査として,別異取扱いの程度が過大でないかを審査することになります。尊属殺重罰規定事件(最大判昭48・4・4刑集27-3-265)の多数意見が,「刑法200条は,存続殺の法定刑を死刑または無期懲役のみに限っている点において,その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え」るとして,憲法14条1項に違反すると判断しているのは,この部分で違憲となったことを意味しています。ただし,前記のとおり,平等審査の中心は「区別の合理性」ですから,手段相当性審査は補助的なものであるといえます。ですから,非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1とする民法900条4号但書について,これを4分の3とする改正が成立したとしても,必ずしも合憲に傾くわけではありません(宍戸112頁参照)(※8-4)。
※8-3 手段適合性審査において,問題となっている差別の基礎が,当該目的を達成するために適切な手段・指標であるかを審査するのには,「なぜ差別するのか」ということと密接な関係があります。長谷部先生は,人が差別する理由として,情報費用の節約を挙げます(長谷部恭男「平等」星野英一=田中成明編『法哲学と実体法学の対話』(有斐閣・1989年)参照)。すなわち,「仕事の能力や,結婚後も働きつづける蓋然性について,肌の色や性別に基づいて判断しうると考える人にとっては,個別の情報を,丹念に調べるよりも,情報費用を節約して,肌の色や性別に基づく一般論のみから結論を下す方が,主観的には合理的だ」というわけです。しかし,このような主観的な合理性の「客観的な合理性は疑わしい」でしょう(長谷部163~164頁)。
※8-4 平等審査において,手段必要性審査の存在意義は疑問です。なぜなら,手段必要性審査は,「より制限的でない他の選びうる手段」の有無を審査するところ,横の関係を規律する平等審査において「制限的」という深さの問題を論じることができるのか疑問であるからです。差別の必要性は目的審査,他の指標との比較した目的達成度については手段適合性審査で検討されますから,手段必要性審査を措定する必要はないと考えることもできそうです。
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2 平等原則の違憲審査基準
⑴ 違憲審査基準のまとめ
さて,平等原則の違憲審査については,区別の合理性という枠組みの中で,目的,手段適合性が中心的な審査となることがご理解いただけたと思います。
平等の違憲審査基準は,厳格審査,中間審査(「厳格な合理性」の基準),合理性基準(合理的根拠の基準)の3つに分類するのが一般的ですね(芦部130~131頁)。
ここでは,自由権の違憲審査基準に倣い,下記のようにまとめてみました。
⑵ 違憲審査基準の決定要素
平等原則の違憲審査基準を決定する要素は,自由権とは少し異なります。自由権では,①憲法上の権利の保護の有無・程度,②制約の有無・程度・態様,③立法裁量の有無・程度の3要素でした。これに対し,平等では,①差別の基礎の性質(①-ⅰ脱却可能性,①-ⅱスティグマの有無),②差別により制約される利益の性質・程度,③立法裁量の有無・程度の3要素となります。
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第1に,①「差別の基礎」とは,前掲のとおり,「区別事由」(読本101頁)と同義であり,別異取扱いの原因となっている事由をいいます。ここでは,①-ⅰ脱却可能性と①-ⅱスティグマの有無の2つの視点が大切になります。おなじみの憲法14条1項後段列挙事由に該当するかという論点は,これらに位置づけることができるでしょう。
まず,①-ⅰ脱却可能性とは,差別の基礎が,自らの意思や努力によって変えることのできるか否かを問題とするものです。すなわち,差別の基礎から脱却することが,自らの意思や努力により可能であれば,脱却すればいいだけの話ですから,厳格な審査基準を適用する必要はありません。
例えば,前掲国籍法事件のように「父母の婚姻」という旧国籍法3条1項の要件を満たすのは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることができませんが,「司法修習生は,司法試験に合格した者の中から,最高裁判所がこれを命ずる。」という差別は,努力して司法試験に合格すれば脱却できますね。
後段列挙事由は,―黒人から白人になったマイケル・ジャクソンや性転換手術により戸籍上の性別が変えることができるとしても―すべて①-ⅰ脱却可能性に乏しいといえそうです。
次に,①-ⅱスティグマ(stigma)とは,「劣等の烙印」のことをいいます。スティグマがあると,情報費用の節約の原理(前掲※8-3参照)が発生するため,民主制の過程が機能不全に陥ることになります。そのため,民主主義の例外である違憲審査権が発動する要請が高まり,違憲審査基準を厳格化することにつながると考えることもできますね。
後段列挙事由は,「人種,民族などの「疑わしい差別」(suspect classification),差別,嫡出であるか否かなどによる区別である「準・疑わしい差別」(quasi-suspect classification)」(読本101頁)という①-ⅱスティグマのある事由と概ね一致するということもできそうです。
アファーマティブ・アクション(=ポジティブ・アクション,積極的差別是正措置)の違憲審査基準が緩和されるとの見解が有力である理由についても,このスティグマの理論の裏返しで考えることができます。すなわち,「少数者を優遇する立法は,多数派が民主的政治的過程を通じて是正することは容易であろうから,もっとも厳格な審査を行うべき理由があるか疑わしい」のです(長谷部169頁)。したがって,原則である民主主義に委ねることができるため,例外である違憲審査の出番ではない,ということです(違憲審査が民主主義の例外であることについては,第1回参照)。
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第2に,②差別により制約される利益の性質・程度においては,当該差別によってどのような不利益が生じるかを具体的に論じます。いうまでもなく,不利益が大きければ違憲審査基準は厳格になり,小さければ緩やかになると考えられます。前掲国籍法事件における「日本国籍は,我が国の構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。」という説示が,この部分に該当するといえそうです。
第3に,③立法裁量の有無・程度においては,立法府による専門的な判断が必要となるか否かを論じます。具体的には,租税,生存権,選挙制度(選挙権の行使の有無は除く)等は,立法裁量が働きます。
なお,芦部説の,平等の違憲審査基準を決定する際に,後段列挙事由以外の事由による別異取扱いについては,「「二重の基準論」の考え方に基づき,対象となる権利の性質の違いを考慮」するべきであるとの指摘(芦部130頁)は,上記②と③に分解して考えることができますね。
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⑶ 違憲審査基準の相場観
違憲審査基準の相場観としては,次のように考えています。ただし,あまりにもシステマチックに考えることは推奨しません。重要なのは,違憲審査基準よりも,個別的・具体的な論証です。この考え方は,あくまでも相場観を可視化するためのツールとして考えてくださいね。
まず,上記の①,②が認められれば各+1ポイント(①については,①-ⅰ又は①-ⅱのいずれかがあれば1ポイントとする。),③立法裁量がなければ1ポイントと配分します。
次に,検討の結果,3ポイントで厳格審査,2ポイントで中間審査,1ポイント以下は合理性基準と振り分けます。
前掲国籍法事件は,①+1,②+1,③0=合計2ポイントですから,中間審査であると理解することになります(※8-5)。
※8-5 国籍法事件の審査基準基準がいずれに該当するかは,議論が煮詰まっていません。青柳先生は,違憲審査基準を「厳格審査の基準」,「中間審査の基準」,「威力ある合理性のテスト」の3種類に分けた上で,同判決を一番緩やかな「威力ある合理性のテスト」(rationality test with teeth; rationality test with bite)であると評価しています(青柳幸一「審査基準と比例原則」戸松秀典・野坂泰司編『憲法訴訟の現状分析』(有斐閣・2012年)139頁)。「威力ある合理性のテスト」の特徴は,中間審査と異なり,「立法目的の審査では合憲性推定の原則が機能」するものの,「目的と手段の関連性の審査では,裁判所が事実に基づいて慎重に検討する」点にあるといいます(同140頁)。しかし,違憲審査権が民主主義の例外であるという機能論,裁判所の審査能力の限界から,単なる「合理性の基準」を排除する見解に賛成することはできません。そうすると,同判決は,無理に「威力ある合理性のテスト」を観念して,そこに分類するのではなく,単純に「中間審査」に分類する方がスッキリするように思います。青柳先生の見解には,合理性の基準でも個別的・具体的な検討を怠るべきではないとの裁判官や受験生へのメッセージが隠れているのかもしれませんね。
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3 違憲の場合の救済方法
⑴ 平等審査による違憲判決は救済にならない
これまで,平等原則の違憲審査の方法を学習しました。冒頭で述べた通り,平等原則は,「平等それ自体は何も求めていない,ただ比較を問題にする「空っぽ(empty)」な要請」ですから,違憲となったとしても,救済方法をどうするかは自明ではありません。
例えば,私が国家だったとして,懇親会において,女子学生に対しては私が奢り,男子学生に対しては実費負担を求める処分をしたとしましょう。これに不満である男子学生が提訴し,この処分が違憲となったとしても,裁判所の判断は「懇親会の費用負担で男女を別異取扱いすること」を違憲としてくれますが,「男子学生に対しても奢れ」という判決をすることは,原則としてできません。というのも,「懇親会の費用負担」の違憲状態を回復するためには,ⅰ男子学生にも奢る,ⅱ女子学生から懇親会実費を徴収する,ⅲ全員に懇親会費用の半額を支援する等の解決手段が複数存在します。裁判所が,これらのうちいずれが適切かを勝手に判断することは,立法府や行政府に対する介入となり,権力分立の観点から,原則として許されません。そのため,私がⅱという解決手段を選択すると,提訴した男子学生は,クラスのヒーローどころか「女の敵」に成り下がってしまう危険性すらあるのです。
⑵ 立法者意思に反しないならば救済可能
もっとも,例外的に救済可能な場合があります。具体的には,「立法者がすでに第一次的判断権を行使し,立法者が本来有していた広範な裁量が著しく縮減された場合には,裁判所による直接的救済を例外的に認めることができる」と考えることができます(作法232頁・欄外番号737※太字は筆者,下線は原文ママ)。
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⑶ 国籍法事件判決を読む
前掲国籍法違憲判決では,救済方法において,下記のような対立がありました。
ⅰ 多数意見=立法行為が違憲+過剰な要件を削除
多数意見は,別異取扱いは合理性がないと判断した上で,憲法14条1項及び国籍法3条1項の父母両系刑血統主義という趣旨及び目的より,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという部分を除いた国籍法3条1項所定の要件を満たすならば,同項に基づいて日本国籍を取得することが認められると判断しました。
その上で,このような解釈は「同項の規定の趣旨及び目的に沿うものであり,この解釈をもって,裁判所が法律にない新たな国籍取得の要件を創設するものであって国会の本来的な機能である立法作用を行うものとして許されないと評価することは,国籍取得の要件に関する他の立法上の合理的な選択肢の存在の可能性を考慮したとしても,当を得ないものというべきである」と述べています。
ⅱ 甲斐中辰夫・堀籠幸男裁判官共同反対意見=立法不作為が違憲+救済不可能
これに対し,甲斐中辰夫・堀籠幸男裁判官共同反対意見は,「本件で問題となっている非準正子の届出による国籍取得については立法不存在の状態にあるから,これが違憲状態にあるとして,それを是正するためには,法の解釈・適用により行うことが可能でなければ,国会の立法措置により行うことが憲法の原則である(憲法10条,41条,99条)。また,立法上複数の合理的な選択肢がある場合,そのどれを選択するかは,国会の権限と責任において決められるべきであるが,本件においては,非準正子の届出による国籍取得の要件について,多数意見のような解釈により示された要件以外に「他の立法上の合理的な選択肢の存在の可能性」があるのであるから,その意味においても違憲状態の解消は国会にゆだねるべきであると考える。」として,多数意見の判断は「結局,法律にない新たな国籍取得の要件を創設するものであって,実質的に司法による立法に等しい」として,妥当ではないと主張します。
ⅲ 藤田宙靖裁判官意見=立法不作為が違憲+合憲補充解釈
他方,藤田宙靖裁判官意見は,本件の問題点が立法不作為である点については,共同反対意見と同じですが,司法による立法に等しいというという批判について,多数意見とは別の観点から反論しています。
すなわち,「立法府は,既に,国籍法3条1項を置くことによって,出生時において日本国籍を得られなかった者であっても,日本国民である父親による生後認知を受けておりかつ父母が婚姻した者については,届出による国籍取得を認めることとしている」ところ,「法解釈としては,この条文の存在(立法者の判断)を前提としこれを活かす方向で考えるべきことは,当然である」として,「考え得る立法府の合理的意思をも忖度しつつ,法解釈の方法として一般的にはその可能性を否定されていない現行法規の拡張解釈という手法によってこれに応えることは,むしろ司法の責務というべきであって,立法権を簒奪する越権行為であるというには当たらないものと考える」と判断しています。
ⅳ まとめ
要するに,多数意見は,国籍法3条1項の「父母の婚姻」という要件は過剰な要件であるから,そのような立法は違憲であるとしているのです。これに対し,甲斐中・堀籠共同反対意見は,「父母の婚姻」を満たさない子について,国籍法3条1項のような国籍取得規定がないという「立法不作為」が違憲であると考えており,多数意見の解釈は無理があり,「実質的に司法による立法である」として批判しているわけです。これを受けて,藤田違憲は,前記共同反対意見に対し,司法による立法であっても,合理的な立法者意思に反しなければ問題ないと述べているわけです。
前述の小山先生の見解も,藤田意見と同様の理解です。
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まとめ
・平等それ自体は何も求めていない,ただ比較を問題にする「空っぽ(empty)」な要請である。
・平等原則の違憲審査は,区別の合理性がメイン。目的手段審査では,目的審査,手段適合性審査が中心となり,その他は付随的に考える。
・平等原則の違憲審査基準は,①差別の基礎の性質(①-ⅰ脱却可能性,①-ⅱスティグマの有無),②差別により制約される利益の性質・程度,③立法裁量の有無・程度の3要素で決定される。
・平等原則違反の場合の救済方法は,権力分立の観点から,原則として許されない。
・当該救済方法が立法者意思に反しないならば,例外的に許容される。
● 次回予告
第9回は「財産権・請求権の基礎」です。お楽しみに。