★被災地へ(2)★医療支援に行かれた看護師さまのブログ | オーストラリアの法律事務所 Eat☆Play☆Love

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仕事のことは書かない息抜きブログです m(。-_-。)m スミマセン

医療支援に行かれた看護師JKTSさまのブログです。 

(以下、JKTSさまのブログより転載)



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5、消えてく命、生まれてくる命
2011-03-23 16:50:42 | 皆様へ



18日


救急患者を受け入れている病院へ。


とにかくここの病院のドクター、ナース、薬剤師、放射線技師、検査技師、栄養士、看護助手・・・
全て震災後から不眠不休。家族や休みだったスタッフの安否さえ分からないまま、
極限の精神状態で仕事をしていたらしいです。



少しでも交代で休んでもらうようにサポートに入ることに。



地域や物品の場所は全く違っても、医療は共通。
そう思いながらも、続々搬送されてくる救急車と
受診を求めて並んでいる1000人以上の患者さんを目の当たりにして正直途方に暮れましたが
目的の「1人でも多くのかたに医療と看護を」のために気持ちを切り替えました。


救急搬送のほうのグループになり
搬送されてくる患者さんも
心筋梗塞や脳梗塞の薬を飲めていないから
再梗塞を起こしていたり
透析患者さんが透析を出来なくてカリウムの数値が上がっていたり心不全を起こしていたり
医療機材が足りていない中、現状は相当厳しかったです。

地震によるケガは免れ生き抜いたのに、地震後に病気で亡くなってしまう方の無念さと
私達医療スタッフの絶望感は文章にはあらわせないです。


東京の病院では手を伸ばせば点滴台、棚をあければ薬品etc
そして当たり前についている電気


自家発電とはいえ、バッテリーと時間との勝負で
手術が必要な患者さんはヘリで他県へ搬送の繰り返し。


採血をすると真っ黒でどろどろした血液がひけて

「お食事したりお水飲めていますか?」と聞くと

「私だけそんな飲み食い出来ないし、おにぎりと朝夕のお茶だけだよ」と力なく答える患者さん達。


点滴も足りなかった・・・


受診する患者さんをどんどん固い床に寝かせ点滴をして
様子を見て
点滴を抜いて止血して
誰が何の点滴をしてどのペースで終わるか把握するだけでも精一杯



そうこうしてるうちに救急車の受け入れ




そういえば今日もあんまり笑顔を見せてないなって時に
妊婦さんが産気づいたとの連絡。



私と同じ年くらいの初産の妊婦さん。


助産師の免許はないから
点滴の確保とベビーキャッチにまわりました。



点滴を入れていると
「重症のかたがたくさんいるこんな時に本当にすみません」と。



「何をおっしゃいますか!!
高田のみんなや全国のみんなが赤ちゃんを待ってますよ!!」と声をかけました。
赤ちゃんは明日への希望です。




元気な赤ちゃんが生まれたときは、薄暗い分娩室が
本当に明るくなったように思います。

お湯も思うように沸かせないからガスコンロであたためた湯を準備したり
支援物資で届いたアンパンマンのバスタオルに包んで。


涙を流してるお母さんが

「もうちょっと早く生まれてきてくれたらおじいちゃんとおばあちゃんに見せられたのに。
とても楽しみにしていたのに。」と言っていました。


でもこんなにスムーズに
元気な赤ちゃんが誕生したことはきっとそばで見守ってくれていたに違いないと思いました。


眉間にシワを寄せてピリピリしていた救急チームも産声に駆けつけ
一気に笑顔の空間に。



これから大変なことがたくさん待ってるけど、
絶対それ以上に嬉しいこと、幸せなこと、楽しいことだって待っています。


この赤ちゃんが大人になる頃は元の高田市に戻って笑顔が溢れる穏やかな街並みになっている

ことをその場にいたみんなが願いました。



ラジオからはひっきりなしに聞こえてくるどんどん増えていく死亡者数。


こうやって生まれてくる新しい命。


どちらも尊いものです。
命の重さもみんな同じ。



改めてそう思いました。



明日も笑顔で今日よりいいことを見つけよう。



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6、ライフラインと絆
2011-03-23 16:50:16 | 皆様へ



18日夜



避難所の体育館に時間制限はありますが電気が復旧しました!!



電気がついた瞬間拍手喝采で嬉しくてみんなで泣きました。


全国で節電したから予定より早く復旧したそうで
本当に本当に嬉しかったです。
優しさが伝わりました。



被災地に到着した日は
雪が降り積もっていて現地の人が
「こんなときに雪が降って神も仏もいなくなったな」とつぶやいていたけど

神も仏もいない今、
優しい気持ちの生きてる人間がたくさんいるよ!!とちょっと胸をはれたような気がします。
でも本当に大変なのはこれからです。
これからも全国の優しい気持ちが広がることを願います。



ガスや灯油が届かなくて寒いのは変わらなかったけど、
夜に電気が灯っているだけでなんだかあったかくなった気分でした。




18日午後
震災が起きた時間14:46には手を止めて黙祷をしました。
サイレンが鳴り響いて
現地の人たちの涙を見て
1週間経過した時間に対して早く感じました。


1週間経過したことでメンタル的サポートも必要になってきたようにも思う光景も増えてくる。



相変わらず救急搬送患者や入院が必要な被災者が増えていく一方、
救急車の燃料切れや
受け入れ先病院を探してもどこも満床、少なくなっていく医療物品、
新たな問題も山積みになり何度も立ち尽くしてしまいました。
そういう問題にぶつかるたびに弱気になったけど気持ちは常に強く。



救急患者対応だけでなく
避難所の血圧測定と健康相談、
現地ナースに休んでもらうために入院病棟の患者の処置や巡視、
エレベーターが止まったままなので食事の配膳時には5階建て階段の往復、
時間が少しでもあいたら火をおこしてお湯を沸かす、
1日が24時間では足りないくらいでした。


寝る時間が2時間でも
横になりながらこの時間も何か有効につかえないか考えていました。

こうして記録して現状を報告することしか思いつきませんでした。




電気がついただけなのに
全国で節電をしたみんなのことを思うと絆で結んだ電気に思えてすごく明るくあったかく

電球が見えました。


頑張りがこうして形になって見えると俄然自分ももっと頑張らなくてはと背中を押された

気持ちになります。



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7、瑠奈チャン
2011-03-23 16:49:59 | 皆様へ



寝泊まりをした体育館で
たった三日間でかわいいお友達が出来ました。
血圧測定や点滴に走り回る私のあとを小走りについてくる

人懐っこい6歳のかわいい女の子、瑠奈チャン。


マスクが大嫌いな子だったので
マスクに全然似てないキティちゃんを書いてあげたら気に入ってくれたのがきっかけだったのかな。



夜の体育館は本当に寒いので頼るのは薄い毛布と人肌。


私の医療チームは男ばっかりだから人肌に頼ることも出来ず毎日入り口付近ですきま風と戦っていました。

電気が復旧していなかった広い体育館は例えるなら洞窟みたいでした。
ストーブも消され冷えきった真っ暗な空間。
頻繁な余震。




1人だったらどんなに怖くて心細いか。
たくさんの避難されているかたが集まっているからこんな暗闇でも朝を待つ気力に変えられるのだろうと心底思いました。


真っ暗な夜中の体育館の
寝息の中に
もちろんすすり泣きの声も聞こえています。



不安なのかな、
家族や友達と会えていないのかな、
考え出すときりがないし
私は1週間程度だけど
ここにいるみんなはこれがいつまで続くんだろうと思うと暗闇の体育館は洞窟どころか
出口の見えないトンネルのようにも思えました。




寒くて眠れないけど、そろそろ寝ないと不眠不休で倒れてしまいそう
ここで倒れて足手まといになったら来た意味がないと寝返りをうっていたら
瑠奈チャンが「お姉ちゃん!」とどこからか毛布を持ってやってきてぴったり横にくっついてきました。


「瑠奈チャンも眠れないの?」と聞いたら元気よく頷いていたので
抱き寄せるとめちゃめちゃあったかい瑠奈チャン。



「お姉ちゃん、好きな人いる?」と瑠奈チャンに聞かれたので
「いるよ!」と言ったら

「どんな人?」って(´`)


「おヒゲがはえてる人だよ(笑)」と分かりやすいように教えてあげたら

「サンタさん??」と。


かわいいなぁと思いながら「そうだね、サンタさんみたいな人だね」と頭をなでなでしながら話すと


「また冬になったらサンタさん来てくれるかな?」とニコニコした笑顔。


やっと笑顔が見れて嬉しくなって「瑠奈チャンいい子だからまたサンタさん来てくれるよ!」と言ってしまった私。


でも「瑠奈チャンね、おうちなくなっちゃったけどサンタさん、瑠奈チャンちがないからプレゼント持って帰ってしまわないように
お姉ちゃんから言っておいて」と言われて、
ごめんねって思いながらぎゅっと抱き締めてしまいました・・・



「瑠奈チャン、なにが欲しい?」の私の質問に

「おうちとママ」



いつも一緒にいるのが母親かと思っていたけど
次の日、それは叔母さんということが分かりました。



瑠奈チャンのお母さんも被災され、あんなにかわいい瑠奈チャンを残して瓦礫の下から変わり果てた姿で見つかったそうです。
瑠奈チャンは幼稚園にいて救出されたけど
お母さんは瑠奈チャンが大事にしていたお人形や絵本の入ったリュックを抱えて亡くなっていたそうです。




まだまだ小さな瑠奈チャンはお母さんが恋しくていつも私にくっついて寝ていたのかな。



別の避難所と救護所に移動のためにいつも寝ていた体育館を去るとき
瑠奈チャンが私と別れることに対して声をあげて泣いていました。



お母さんと悲しい別れをしたばかりなのに、傷は癒えてないのに、また
別の形だけど人と別れる悲しみを味わせてしまった・・・



また会おうって言っても
お手紙を書きたくてももう瑠奈チャンには住所がない



でも、きっとまた復興したら必ず会いに行く約束をして体育館を離れました。


この震災を忘れずに
強くて優しい女性になってほしい。
どうかこれから進む道が明るくて幸せであるように。



リーダーナースとの泣かない約束はあっけなく破られ手を振る瑠奈チャンを見ながら、車の中でずっと泣いていました。



なんでこんなことになったんだろうと悔しさをどこにぶつけていいか分からず
次の支援施設、救急病院へ向かいました。



みんなに笑顔と元気を届けに来たのに、瑠奈チャンを泣かせてしまって。



私のここにいる意味は何だろうとも思っていました。


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8、仮設住宅
2011-03-23 16:49:42 | 皆様へ



19日


朝から校庭がなにやら騒がしい。
トラックが続々搬入。


聞くと仮設住宅の建設に来たとのこと。

こわもてだけどめっちゃ優しいトラックの運転手さんと思わずハイタッチ!



まだ優先順位での入居になるらしいけど、これも明るいニュースでした。
さっそく朝から昨日より良くなったこと見つけた!!


それとDOCOMOとau災害カーが来てやっとやっとやーっと携帯から圏外の文字が消えた!
避難所のみんなも続々連絡がとれている人が。


DOCOMOのスタッフとも笑顔でハイタッチ!


超ベタベタの髪と化粧水すらつけずに過ごしてる汚いすっぴんも慣れてきました。
とりあえず残り少ないウーロン茶をティッシュにつけて顔を拭いて今日も頑張るぞー!!とスタッフと気合いを入れました。
あとは水が出るといいな。


そうこうしているうちに
昨日よりいいこと発見。


あったかい。
春の日差し。
もう寒くならないで。



そして今日から盛岡~陸前高田の高速バスが1日2本だけど運転再開になった!




また朗報が入った!

昨日体育館から救急搬送されたお婆さんが元気になって避難所に戻ってきた。


「お帰りー!!」


「ただいまぁ」


避難所がひとつの家みたいでした。




ユニフォームの「NURSE・看護師」だと子供や高齢者は看護師と認識しずらいだろうと
初日の夜に前後にカラーテープで「カンゴシ」とカッティングして貼っていました。
毎日ユニフォームを着て仕事や仮眠をしているうちに「シ」の点が一個取れてなくなっていて、私の後ろ姿は「カンゴン」になっていました。

それからは子供たちや避難所のみなさんから「カンゴンさん」と呼ばれるようになり
今日はもっと短縮され「ゴンちゃん!」と気軽に声をかけられたことも嬉しかったです。




あと昨日となりの市に行って、友達に公衆電話から「公民館の避難所に物資が届いていないことを知らせて」とお願いをしたら
今日夕方にやっとやっとそこへ物資が届いたと避難所から連絡。



運んでいただいた自衛隊の方によると
「北は秋田から南は九州の人から、ここに物資が来ていない連絡が入ったんだよ。
こんな小さな避難所だけど全国からの声が来たよ」とのこと。
命のリレーです。

ご協力して下さった皆様と気に留めて下さった皆様、本当に本当にありがとうございます!!


オムツをかえられなくてお猿のお尻になってしまった赤ちゃんにたくさんの替えのオムツと
ベビースキンも届いたそうです。

あとはおいしい味噌握りやヤクルト、山崎パンからのたくさんのナイススティックも。




これから夜半過ぎ都内の大学病院からたくさんのお薬と点滴と簡易吸引器が届く。



私の滞在期間も21日から23日までに変更。



明日くらいには入院患者を他県の病院へ搬送する準備に入ります。
もう適切な医療の限界。



患者さんは入院だけでも心細いし
家族もお見舞いに行きにくくなるだろうし・・・


でもきちんとした治療を受けるのが最優先なんだよね。

考えを切り替えて頑張ろう!!



今日の反省会で気仙沼で9日ぶりに生存者発見とのことを知りました。
みんなで手を取り合って喜んだけれど、震災を逃れても避難所で体調を崩して亡くなる高齢者も増えていることも事実。



1人でも多くの命を。と思っていたけど、もう今は全員の命を救いたいとみんな思っています。




つらいのはみんな。
自分らは微力。


微力が集まって大きな力になりますように。


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9、月明かり
2011-03-23 16:49:16 | 皆様へ



19日夜


今夜はちょっと休めそうだったけど熱を出している人や腹痛のかたが多いので
1人ずつ救護車の中で休むことになりました。

やっぱりみんなのいる体育館のほうが寂しくないけどそんな甘えたことは私は言っていられないですね。




運転席が明るいから電気がついているのかと見に行ったら
すごい大きなお月様の月明かり!!
今夜だけなのかな?

何かの現象なのかな?



毎晩こんなに明るかったらみんな少しは寂しくないのになぁ。


体育館からもお月様を見に、眠れない人たちが続々出てきて月明かりに照らされています。
ちょっと笑顔になってます!



被災地のすべての人に笑顔と幸せが降り注ぎますように。


絶対にこれ以上の悲しみは起こりませんように。






深夜便でそろそろ医療物品が来る頃かな?


梱包してくれた方やトラックの運転手さんにも本当に感謝感謝です。




明日は避難所から他県が用意した一時避難所に向かう方々もたくさんいるのでその準備も少し手伝えたらと思う。

今日ちょっと話したお婆さんは生まれ育った90年も過ごした高田を離れるのは死ぬほどつらいと言っていました。
海と貝博物館という施設が高田にあったらしくそこの近所に家があったので
いつもそこを訪れる観光客の笑顔を見るのが日課だったそう。


戦後貧しい思いをして
それでもおじいさんと頑張って家を建てて
漁をするのに船も買って
年老いたから仕事をやめて孫も出来て贅沢せずにゆっくり余生を過ごそうね、
そんな時にこの震災にあったとのこと。

「また戦後の時みたいにやり直せばいいけど
あの時みたいに若くはない」と涙をぼろぼろ流すおばあさん。
ここを離れたくない気持ちは痛いほどわかります。



一時避難でも高齢者には他県に行くことや高田を離れることは想像以上のストレスになると思います。

でも受け入れ先の優しい気持ちやあったかい場所とご飯が約束されているなら
少しだけの辛抱!!




なんだか私も東京に戻るのが嫌になってきました。



③へつづく