宗教とは、何でしょうか。

多くの日本人は言うことでしょう、「宗教を信じているなんて変った奴だ」、「宗教なんておどろおどろしいものだ」、「自分は特定の宗教を信じているわけのものではない」、「私は無宗教である」、「口では言わないが宗教を信じているなぞ軽蔑すべきだ」等々。宗教を積極的に信じているという日本人を探し出すことは難しいのではないでしょうか。

 

最近は、マスメディアの発達したこともあり、政治家や官僚の一挙手一投足がすぐ国民の目に晒されてしまいます。その言動によっては、国益に関係することもあります。備えるべき知識についても同様です。

政治家や官僚、学者、医者、会社社長等、日本の社会においてリーダーと目される人に成ろうとすれば身につけなければいけない知識があります。

国際社会におけるゲームに身をさらすためには、そのゲームソフトに関する知識が必要なのです。

その知識の一つが「宗教」についてのものです。イスラム教徒の人達が自己の信ずる「宗教」をゲームソフトに譬えるとなると「激怒」以外の何物でもないかもしれません。

しかし、日本人は「宗教」について全く知らないのです。

 

例を挙げましょう。これは、学者に教わるしかありません。

 

「こんなことがありました。私の友人のところに、霞が関から深夜電話がかかってきました。『地球環境の国際会議で、条約の案文にstewardshipと書いてあるけれど、何のことかよくわからない』というのです。困った役人は、ロンドンから本省に電話し、本省でも誰もわからなかったので、とうとう友人のところに電話がかかってきたのです。

Stewardshipは『管理責任』と訳しますが、神が世界を創造したあと、その管理を人間に任せたという聖書の記事が背景になっています。要するに、人間が自由に自然を利用・改造していい(だから責任もある)という考えですが、ここから品種改良や捕鯨禁止や生物の多様性保護といった考え方が出てきます。驚くべきなのは、日本の一流官庁や国際交渉の担当者が、欧米社会の行動の根底にある哲学・宗教について、基本的なことを知らないという点です。日本人は、人間も自然の一部と考えるので,stewardshipの考え方はなじまない、案文から外してくれ、と交渉することも考えつきませんでした。」(橋爪大三郎著・世界がわかる宗教社会学入門・ちくま文庫26~27頁)。

 

これでは、外交交渉になりません。国と国ばかりではなく、民間人の間でも同様です。

われわれ一般国民は、外国との交渉やマクロの政治・経済は、政治家や外交官、官僚に任せておけばよい、と思っていましたがそのような時代はとうに過ぎたようです。

宗教も知識だけではありません。自分の意識的・無意識的に信じている行動様式たる宗教を知ることなしには、確固とした一神教を信じる外国や外国人との交渉は出来ません。

アメリカにトランプ大統領が誕生します。ロシアには、プーチン大統領です。彼らは、「宗教」を知っており、それを前提として行動します。

 

日本は日本人自身が好むと好まざるとに拘わらず、いまだ世界の中で、大国です。

 

今後もあらゆる分野で、日本及び日本人の行動が問われます。

「己を知り他人を知れば百戦危うからず」という言葉があります。

stewardshipという言葉にはじまる聖書に関する知識や、イスラム教に関する知識、日本人の宗教に関する知識は、話を聞いたり本を読んだりすればわかります。

 

しかし、橋爪教授の言われるように「日本人は人間も自然の一部と考えるのでstewardshipの考え方はなじまない、案文から外してくれ」と交渉できるかどうかが問題です。

 

いってみれば、先ず「知識としての宗教」があるかどうかです。比較宗教社会学、という分野の本を読めば分かります。日本の文化や文明に目覚めることです。まだ、学校秀才の時代は続くのです。

 

「日本人は、人間も自然の一部と考える」ということに、絶対の自信を持っていないと欧米の関係者とは、対等に交渉出来ないでしょう。知識を身につけた上で闘うのです。

 

難しい理屈は国のリーダーとも言うべき人たちが考えてくれるので、一所懸命働いていればよかったのですが、これからは一般国民の出番でもあるのです。