我が国の安倍首相が、次期米大統領のトランプ氏と2016年17日夕(日本時間平成28年18日朝)会談した。

会談後の首相発言要旨が新聞に載っている。そこには、

「(日米)同盟は信頼がなければ機能しない。トランプ氏はまさに信頼できる指導者だと確信した」(日経新聞平成28年11月19日付)

とある。

この会談に至るまでの過程が非常に面白い、どの新聞、どの雑誌をみても政治エリート(今回の場合は、外務省関係者)のあたふた振りが、垣間見えるというか、バカサカゲン(失礼!)がもろ見えだからだ。

頭のいい人は、自分のやって来たこと、やろうとしていることの延長線でしか物事を考えない。

それが、マスメディアを覆い尽くしている「大衆迎合主義は危険(?)である」という論調だ。

そう主張する人は、自分のことを「大衆」のうちの一人だとは思ってはいないのだろうか?

筆者は、住んだことはないが欧米では、住む場所、収入の額、食べるものから着るもの、何よりも教育と躾け等々の格差が歴然としているらしいではないか?

何故、我々日本人は「大衆迎合」がいけないと、言わないのだろうか?

この社会に多大の影響を与えている人達の扇動(?)にのることはなかろう。

私は大衆の一人として、日本は良い国である、とつくづく思う。

 

政治エリートには、もっともっと大衆に迎合してもらって、制度を速やかに改め、それが誤っていたと判明したならば、これをも速やかに改めてもらいたい、このことである。

アメリカ人も馬鹿ではない、彼らも自分の生活が「こんなじゃない、こんなであっては困る」と感じたからこそのトランプ大統領の誕生となったのであろう。

国こそ違え、「国民」という名の多数者つまり大衆を幸せにしない社会は、長続きしないに違いない。