暑さ寒さも彼岸までという。
最近は、寒さも大分緩んできたようだ。
そんな或る日、縁あって浜松市立・県居(あがたい)小学校を訪れる機会があった。
折しも、来年(平成29年・2017年)春卒業の大学生の就職活動が、本格的に始まる。
会社説明会が3月1日に解禁となった。
就職活動に励む学生は、一日でも早く良い会社から内定を得たいと思っているかも知れない。
しかし、良い学校に入って良い会社に就職すれば、一生安泰でいられるという幻想を抱くことが出来た時代は過ぎ去ったといわざるを得ないが、実際にその中にいる人が自ら幻想を打ち破ることは、至難の業である。
就活生が、「一生安泰でいたい」と思うのであれば、現実味のある解答を選ばなければならない。
英語を勉強しなければならないという人々もいるようであるが、そうではない。

県居小校区は江戸時代に活躍した国学者賀茂真淵のふるさとである。
県居小学校では、「真淵の生き方を知り、和歌を知り、和歌に親しむことで、郷土に誇りを持ち、地域を愛する力を育んでほしい」(下鶴志美校長・静岡新聞平成28年2月5日付朝刊)とのことで、和歌作りを積極的に指導している。
その上、賀茂真淵の和歌を暗唱させ、その朗誦大会を開催する。
和歌は、四季の移り変わりや人間の情感をやまと言葉で表現し、日本人の情動を揺さぶる。
漢字や英語で書かれた文章は、論理的でこそあれ、どこか理屈が優先し、心を動かされることが少ない。

最近は、外国へ出かける日本人、日本へやって来る外国人が増えている。
その故であろうか、英語を小学校から教えるようになっているが、小学生にまで英語を学ばせる必要があるだろうか、それはないだろう、というのが、筆者の結論である。

欧米先進諸国に追いつけ追い越せ、とばかりにわが国は、幕末・維新期以来富国強兵の道をひた走って来たが、21世紀の世界はそのような時代ではない、と読者諸賢は感じませんか?

われわれ日本人は、お互い同士又外国人から「日本とはどんな国ですか?」とか、「日本人はどのような人なのですか?」と問われたら、下手な英語で理屈をこねるよりも、日本人及び日本を一遍に理解できる和歌なり、俳句なりを詠う方がよいのではないでしょうか。

例えば、「咲きちるは変らぬ花の春をへて あはれと思ふことぞ そひゆく」(賀茂真淵)という和歌を朗誦するのである。

そこから、話がはずむ。つまり、日本のありのままを伝えるのである。
そのために、就活生は、小中学生時代に習った日本の古典を学び直すとよい。きっと10年、20年後になって学んでおいて良かった、と思う筈である。
21世紀において活躍する日本人は、県居小学校に学ぶ生徒のように子供の頃から、愛郷精神を学んで大人になった人達によって担われるに違いないと考えられるからである。