3月1日(木)
ハワイ最高裁判所 見学

3月1日に私たちはハワイ最高裁判所を訪れ、室内の見学をしました。室内ではハワイの司法についての歴史博物館となっていました。私たちはそこでハワイの司法の歴史を学ぶことができました。ハワイの歴史を紐解いてみると、昔のハワイは信仰の基礎となる神や半神半人の思想があり、ハワイ語で禁忌という意味のカプというによる厳格な社会階層を導入しました。しかし、このカプというのはとても厳格とのことをおっしゃっていました。例えば女性は男性と食事をしてはいけない、さらにバナナや豚やココナッツも食べてはいけないとのことでした。更にこれを破ると死刑という重い刑罰も課していました。そして1810年にハワイ諸島を統一し、ハワイ王国が誕生しました。この当時は厳しい戒律を含むカプによる統治が続いた。しかし、カメハメハ大王が亡くなった1年もたたないうちにカプ制度を廃止しました。その後、1820年にプロテスタントのキリスト教宣教師がハワイ島に上陸した。
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(カメハメハ大王(一世))

ハワイの習慣の違いとカプの廃止によりキリスト教は多くのハワイ民がキリスト教を受け入れていった。このキリスト教はカメハメハ大王の奥さんと首長なども受け入れていった。ハワイは島国という立地条件の貿易の普及とキリスト教の布教により、ハワイの伝統の維持に西洋が入り込んできた。そして、ハワイの植民地化を避けるためにハワイは最高裁判所を設置した。ここまでがハワイの最高裁判所の設立した経緯を写真を見て案内してもらいました。その後、シアターを見ました。そのシアターの内容は太平洋戦争真っただ中の歴史でした。ハワイは太平洋戦争で戒厳令を敷き、義務違反をしたものは重罪扱いとなった。アメリカ軍は文民政府を乗っ取りを行った。その後、ハワイの司法にも軍は関与し始め、三権分立の崩壊がなされたとおっしゃっていました。その時の司法はとても公平な判決が行っていなかった。99.9%が有罪判決を下していた。特に日本との戦争という観点から日系人のコミュニティを恐れをなしていた。その後、翌年に戒厳令は禁止となったが、その効力は続いていった。このような歴史からハワイでは軍事力に警戒をしているとおっしゃられていました。
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(歴代のハワイ最高裁判所の裁判長)

 最後に私がこのハワイ最高裁判所で1番学んだことはハワイも日本と同じ軍事力が政治や司法に関わるということがあったということです。だから、今の日本と同じく軍事力の介入には特に厳しく目を光らせており、二度と同じ過ちが起きないようにしているんだなと感じました。
(文責:法学専攻2年次・山本隆行)