2月28日(水)
ネイティブハワイアンの歴史と法律

○ハワイがアメリカに併合されるまで
 カメハメハ1世がハワイのすべての島(カウアイだけ例外)を統治した。その後に11歳でカメハメハ3世が即位した。カメハメハ3世は統治保有の関係と新たな法制度を変えた人物である。1826年以降にハワイ王国は外交的に存在が認められ、アメリカといくつか条約を結ぶことになった。その後にはいくつかの条約を他の国とも結ぶようになり、ハワイ王国時代に日本とも条約を結んだ。1840年にカメハメハ3世は憲法制定を承認した。その内容は、「ハワイ王国の土地というものは各首長及び人民が全体として保有する。首長のうちトップであるアリヌイタル王様が中心となり土地を持っていると明確にする。」というものだった。その憲法によって立法府及び司法部を創設した。王様が創設する行政府と別に司法府が設置された。1848年に土地保有の関係が大きく変更される。伝統的な土地所有は共同体での保有である。アメリカやヨーロッパとの関係について考えなければいけなくなり、ハワイの人たちの権利を守ろうとするような動きが出ていた時代である。それらの背景から土地を持っている人が亡くなった時にその土地を子孫に遺産として残していけるという西洋的な土地保有制度になり、新しい法律ができて個々人の土地を外国人に売却しても良いことになった。
 1887年カラカウア王は無理やり憲法に署名させられることになる。国王は憲法に対して抵抗したが、欧米のビジネスとの利害関係によって強制される形で憲法に署名した。その内容は、投票権は財産を保有している人に限られるという制限選挙を表すものだった。さらに投票権が及ぶ範囲はアメリカ人やヨーロッパ人の男性にも広げるということである。しかもその人たちがハワイにおいて市民権を持っているか否か無関係に、市民じゃなくてもアメリカ人やヨーロッパ人は投票できるというものだった。
 カラカウア王の妹、リリウオカラーニ女王は87年憲法の問題のある部分を改正してハワイで生まれた人や、ハワイに移住してきて帰化した人たちの権利を拡大しようと考えていた。これに対してアメリカ人やヨーロッパ人のビジネスマンたちがハワイの経済を牛耳っており、自分たちの利益を守るためにハワイをアメリカに編入してしまおうと画策した。
 1898年アメリカとスペインが戦争をすることになったときに太平洋における戦争においてハワイが必要になり、ハワイを併合することになった。その併合の仕方は条約によるものではなく、連邦議会による3分の2以上の議決によってハワイ併合を決定した。当時のハワイの人たちは併合に大反対だったが、条約によらずに一方的にアメリカの議決で併合された。
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(カメハメハ3世)

○併合されたあと、ネイティブハワイアンの権利を守るために
 1978年クヒオ王子の要請により返還された土地について州憲法会議で州憲法の改正が行われた。返された土地はハワイの人たちと一般公衆のために利用される。その土地からあがる利益はネイティブハワイアンの人たちの利益となるように活用すると定められいる。さらにハワイ問題事務局という組織をつくり、ネイティブハワイアンの人たちの権利擁護のために仕事をするようにした。その仕事内容は伝統的習慣的なハワイの人の権利を強く保護すること、ハワイ語を英語と並ぶハワイ州の公用語として認めることなどである。
 ハワイの歴史は日本に無理やり入れられた沖縄の歴史と似ているなと思って親近感がわいた。ネイティブハワイアンの人たちの権利を守るために事務局をつくったり、ネイティブハワイアン規則を定めたりなど先住民の権利保障の発展途上だと分かってこれからの展開が気になった。
(文責:法学専攻2年次・喜瀬有香)