「いつも、何かを失くしてしまう、そういう予感があるの。」彼女は、そう言った・・。そして、「今は、もう遠いあの日、あの雲の向こうには、彼女との約束の場所があった」というところから始まるのは、新海監督の映画、「雲の向こう、約束の場所」です。

この映画は、とても、哀しい映画なのですが、多くの大切な、大切なことを、私達に、語りかけてくれるのです。一見、哀しい「闇」をみつめるような、映画でもあります。ですが、私達の内側にも、「闇」、「シャドー」と呼ばれる部分があり、そこをみつめていくことで、深い、深い「気づき」を、得られるようになっています。「闇」、「シャドー」は、一見、哀しさや苦しさや辛さ(心のネガティブ)も含んでいて逃げてしまいたくなるために、そこから逃れたい、嫌だという感情も抱くと思いますがここをみつめることで、より多くのことに気づけ、私達の「たましい」の深い部分にも、触れていくことができる部分です。そこを「光」で、照らし、「宝物」に変えていくことができる、そして、「宝物」となった時には、本当の意味での「たましいの財産」にもなり、心から、「闇」や「シャドー」に対して、「感謝」できるようにもなります。また、「闇(シャドー)」が、なぜ、「大切なエネルギー」のひとつであるのかなども、理解できることになります。

 

1996年、日本は、南北に分断されていた。もう一つの「戦後の世界」。世界の半分を覆う共産国家群「ユニオン」は、「エゾ」を支配下に置き、島の中央に、とほうもなく高い、純白の塔を建設しつつあった。しかし、「ユニオン」の意図は、誰にもわからない。青森県の津軽半島に住む中学3年生の藤沢浩紀と、白川拓也は、異国の大地にそびえる塔に憧れ、飛行機で国境の津軽海峡を越え、塔まで飛んで行く計画を立てていた。いつか自分達の力で、あの「塔」まで飛ぼうと、軍の廃品を利用し、山中の廃駅後で小型飛行機「ヴェラシーラ」と呼ぶ小型飛行機を組み立てていた。

犯罪以外の何物でもないこの計画は、他言無用とされていたが、浩紀が口を滑らせたせいで、クラスメートの沢渡佐有里にばれてしまう。佐有里は、「ヴェラシーラ」に強い関心を持ち、計画の「共犯者」になってくれる。2人の少年は、今は、まだ、「塔」も、「佐有里」も手が届かないもの、しかし、いつかは、触れることができるはずのもの・・と、そう信じていた。「ヴェラシーラ」が、完成に近づくにつれ3人の仲も深まるが、佐有里は、ある日、「塔の夢」を見る。そして、突然、浩紀たちの前から、姿を消す。佐有里をなくした浩紀たちは、「ヴェラシーラ」の制作をやめてしまう。いまや、「ヴェラシーラ」は、佐有里のためのものでもあったからだ。

言いようのない虚脱感のなかで、浩紀は、東京の高校へ、拓也は、青森の高校へと、2人は、別々の道を歩き始める。3年後の1999年、拓也は、「政府諮問の研究施設」に、身をおき、佐有里への憧れを打ち消すように研究に没頭していた。

一方で、目標を喪失したまま、言葉にできない喪失感に苛まされながら、東京で、一人暮らしを送る浩紀は、いつからか、頻繁に「佐有里」の夢をみるようになる。

そこでの佐有里は、どこか冷たい場所にいて、自分と同じように、世界に取り残されている、そう感じていた。

 

私達が、これまでいた「古い地球」は、長い期間、「眠り(分離)の時代」でした。長い期間、身近なところでも、互いに「分断」されるようなことが起きたり、国と国の間で「争い」を起こしたり、起きたりして、また、私達の意識や思考を、強烈に「コントロール」しようとしている「存在」が、メディアなどを使い、「恐れ、恐怖、不安」を、いろんな角度から、植え付けようと、「支配」しようとする「分離の時代」でした。「闇」が、大きくなるのを感じさせるような、そんな時代でした。

浩紀や拓也、佐有里も、そんな時代を生きていました。私達は、そのなかで、「憧れ」や「夢」を持ち、「いつかは、届くはず・・」と、そう信じ続けるような時代です。

ですが、「佐有里」が突然、姿を消したように、私達は、長い期間、「輪廻」をくり返していくうちに、深い「眠り」へと入ってしまい、「本当の自分自身のこと」、「自分のたましい」が、何なのかも含めて、忘れてしまったようになりつつありました。まるで、「自分」が、「姿を消した」かのように、忘れてしまっている・・。そして、そのような時に、突然、それを思い起こさせるような、「ネガティブな体験」をしたりします。そんな時に、浩紀のように、「喪失感」を抱え込んでしまいます。「目標の喪失」や、「言葉にできない喪失感」に、苛まされながらも、「現実」に生きようと、必死でもがき続けて、より、苦しくなります。

「浩紀」の、もう一人の「自分」が、「佐有里」の存在です。

だからこそ、浩紀は、佐有里が、どこか冷たい場所にいて、自分と同じように、世界に取り残されている・・と、そう感じます。もう一人の自分である、佐有里は、どこにいってしまったのか、探し続けます。

どこか、忘れてしまっているようでも、私達の「たましい」は、必ず、呼びかけてくれます。「一体、本当の自分は、自分自身は、どこへ行ってしまったのか、思い出して、私自身を思い出して・・!」と。

「今、冷たい場所にいる、塔のなかにいる。ここから、でられない・・。でられない・・。」、「自分自身は、一体、どこにいるの?何をするの・・?」、「何をするのが、私の本当の望みなの・・?」、「私は、一体、本当は、何を目指しているの?」、「何が、自分の真実なの・・?」・・。忘れてしまった「本当の自分自身」へと、ズレてしまっていた私達の「たましい」を、自分の「たましいの真実」に、本来の自分自身」へと、繋ごうとしてくれるような、いろんな「体験」を起こします。

もう一人の「自分」が、「姿を消す」ことにより、「喪失感」が湧きあがり、この「喪失感」が、「あなたは、自分自身を忘れてはいけない・・。」と「危険信号」を鳴らしてくれるのです。

 

たびたびみる、佐有里の夢の中では、佐有里は、荒廃した世界にひとり取り残され、孤独に苛まされながら、浩紀の名前を呼んでいる。しかし、夢の傍観者にすぎない浩紀にはどうすることもできず、苦しむ。そんなある日、浩紀のもとに、佐有里が3年前に書いた手紙が届く。佐有里は、原因不明の「眠り病」にかかり、治療のために東京の病院に入院したという。浩紀は、駆けつけるが、佐有里は、他の病院に転院した後だった。しかし、浩紀は、佐有里のいた病室で「白昼夢」に襲われ、夢の世界で佐有里と会い、話をする。浩紀は、佐有里を救うには、約束を果たさねばならないと悟る。

「古い地球」は、「分離の時代の地球」です。そこは、どんどん「荒廃」してゆくように、私達には、感じられます。そこで、ひとり取り残されるように感じ、孤独に苛まされながら、苦しみのなかで、いろんな問題を抱え、「どうにかしたい。これをどうにかしたい」と、生きていこうとし、病気にかかったりします。

本当の私達の「苦しみ」は、「本来の自分自身」を忘れてしまうために、「本当の自分自身」を見失ってしまったことによる「喪失感」です。まるで、「記憶喪失」にかかり、深い、「眠り病」(分離)に落ちてしまった「眠り姫」のように・・。

佐有里が、浩紀の名前を呼ぶように、私達も、「誰か」を、「外側の現実」に、求めてしまいます。「救い」を求めてしまいます。でも、「外側」には、「荒廃」したかのような「風景」が、広がるばかりです。そして、本当の意味で「救う」人、浩紀の「存在」は、他の誰でもない「もう一人の自分自身」、つまり、「自分を救うのは、救うことができるのは、自分しかいない。」ということなのです。

佐有里のように、「眠り姫」になってしまうと、自分自身が本来、好きだったこと、好きだったもの、好きだった食事や、好きだった音楽、本、漫画、絵画など、小さい頃の夢も、好きだったことまで、「他人優先」で生きていくために、自分に、見向きもしなくなるために、忘れてしまうのです。それは、何か、「記憶喪失」にかかったかのようです。そして、「重い鉄の鎧」(分離の周波数)を、装着しているために、「波動」も低く、身体も重く、すぐ疲れてしまい、表面的には、「健康体」であるにもかかわらず、「病気」のように感じて、動けなくなってしまうこともあります。

私達は、「統合」の世界へと、いくために、「重くて、鉄のような鎧」の「分離の周波数」を手放して、この「分離の時代の、ピラミッド構造の社会」から、抜けて、「本当に望む未来」、「統合の世界」、「一元性への世界」にいく時期を迎えているのです。そのために、「統合」し、手放して、「たましいの中心」に戻り、「本来の自分自身と一致する」、「たましいと一致する」ことが大切です。こうして、少しづつ、「失われたたましいの記憶」を臆いだしてゆきます。

 

浩紀は、「白昼夢」のなかで、さゆりに会うことができました。「失ったと思っていた彼女」をみつけたのです。2人は、「白昼夢」のなかで、出会った時、お互いに「ずっと、ずっと、探していた・・!」と言います。そして、ずっと「冷たい場所」にいたと感じていた佐有里は、浩紀の「あたたかな愛」を感じるのです。

浩紀と佐有里は、「もう一度、あの夏(中学の頃)の日、3人で過ごした場所」へと戻ります。そして、浩紀は、「今度こそ、約束を叶えるよ。ヴェラシーラを飛ばすよ。そうすれば、僕たちは、また会えるって気がする。もう、一人にはしないよ。僕は、何も諦めない。ずっと沢渡(佐有里)を、守るよ。約束する。一緒に向こうまで飛ぼう」と、佐有里に告げます。

 

私達は、「自分自身との約束」を果たす時がやってきているのです。

「たましい」は、知っています。「失われた」と、私達が、思っていても、本当は、「全てが在る」ことを。

そのために、「もう一人の自分」が、「自分」を救いにくるのです。その「約束の時」を迎えようとしているのです。

「決して、忘れてはいけない人がいる」。「忘れちゃダメな人がいる」。

それは、「たましいからの自分」です。私達は、決して、「自分自身を取り戻す」ことを、「自分自身に還る」ことを、忘れてはいけないのです。そのために、「たましい」は、何度も、何度も、諦めずに、呼びかけてくるのです。

 

浩紀は、佐有里に誓うように言います。「今度こそ、約束する。もう一人には、しない。ずっと守るよ。一緒に向こうまで飛ぼう」と。それは、一度、浩紀が、諦めてしまった、佐有里と拓也との夢、「塔」の向こうの、「あの雲の向こうの、約束の場所に行く」ということでした。

佐有里は、浩紀の「あたたかい愛」に触れ、「涙」を流し、蘇えろうとしていたのです。

佐有里と、浩紀の「白昼夢」で出会い、話すことは、「自分自身の内側」へと、深く入り、「本来の自分を」をみつけ、「対話」することでもあるのです。

「本来の自分に還る」ためにも、必要なことなのです。✨✨

 

さて、この後の2人は、どうなるのでしょうか。

まだ、まだ、「物語」は、続きます✨✨

 

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💖これは、私の「真実」です。みなさまの腑に落ちたところだけを、お受け取り下さいネ✨✨