さぁ、「新しい年」が、やってきました✨✨今回も、新海監督の「新しい映画」の「すずめの戸締り」から、メッセージをもらっていきましょう✨✨「ネタばれ」になりますので、まだ、みられていない方は、読みませんように・・✨✨

 

女子高生の「岩戸すずめ」は、ある日、「宗像 草太」という青年と出会います。

彼の後を追ったすずめ。山の中の「廃墟」に行くと、謎の「白い扉」がありました。その「扉」を開けると、不思議な「時空間」の「空」がみえます。

幼い頃にみた「夢の景色の草原」をみた、すずめは、思わず、「扉」の中に、足を踏み入れますが、そのまま反対側に出てしまいます。

二度、三度、足を踏み入れた拍子に、ホールにあった石に足を取られます。

それが、「要石」でした。引き抜いたことで、「白い猫」に変わり、走り去っていってしまいました。

彼の後を追い、ここにきたすずめですが、彼の姿がみつからないので、すずめは、そのまま、学校へ行きます。

学校に着くと、昼食時で、同級生や、友達は、お弁当を食べていました。すすめを育ててくれた環のお手製お弁当を食べながら、ふと、窓をみると、あの「廃墟」のあたりから、「黒い煙」のようなものが、あがっており、友達に言いますが、みんなには、みえません。その直後に、みんなの持つスマホの緊急地震速報アラートが、鳴り響き、「震度4」と表示され、校舎も揺れ動きます。

地震の後、「黒い煙」は、より一層、大きくなり、それをみたすずめは、学校を抜け出し、再び、自転車で向かってゆきました。

 

すずめの目には、みんなが、「みえていない世界」が、みえていました。それは、すずめには、「みえない世界」が、みえるということです。みんなには、「みえない世界」が、みえるということは、すずめには、何らかの「お役目」があるのです。その「お役目」を果たしてゆく時がきたために、「宗像 草太」に出会ったのです。すずめは、彼と出会った時、「どこかで会ったことがある」ような気がしていたのです。

 

「黒い煙」のようなものは、ホールにあった、あの「扉」からでていました。そこに、あの青年がいて、「扉」を閉めようとしています。すずめは、青年を手伝おうと思い、一緒に、「扉」を閉めようとしました。そこへ、また緊急地震速報アラートが鳴ります。

青年は、すずめを守って、左腕にケガをしてしまいます。

すずめは、青年に近寄り、「扉」を閉める手伝いをします。

青年は、「祝詞」のようなものを唱え、「お返し申す」と言って、鍵を閉めます。

青年は、すずめに、「封じているはずの要石(かなめいし)」がなくなり、ミミズが、「後ろ戸」からでてきたと説明します。すずめは、彼のケガの手当のために、自宅に連れてゆきました。手当をすると、青年は、「宗像草太(むなかたそうた)」と名乗り、すずめも、自分の名を教えます。すずめには、「ミミズ」がみえていると知った草太は、日本列島の地下にある「ミミズ」が、地上にでてきて、地震を起こすこと、災害を防ぐために、草太が確認に回っていること、「要石(かなめいし)」で封印しないと、「ミミズ」が、また、でてくることを話しました。

 

日本列島の下には、実際に、「ミミズ」のような「エネルギー」が、あります。それは、「大きなエネルギー」であり、この「エネルギー」が、大きく動くと、日本列島の大地も揺れます。「地球」は生きていて、地震や火山活動など、「大きく自然」が、動くところには、このように「大きなエネルギー」が、いつでもうごめいているのです。その地にいる「人間の世界」には、大きな「災害」をもたらすような、「大きなエネルギー」です。人間に、「大きな災害」が、降りかかる時、私達の「意識」が、大きく関係しています。私達、人間の中に、「大きな恐れ」、「大きな心配」、また、「悲しみ」など、「ネガティブ」と呼ばれるような「感情」に、私達は、支配されてしまうところがあり、その「ネガティブ」にみんなの「意識」が、「同調」していくと、それが、だんだん大きくなり、もともとの、この「地球の動き」からくる、「大きなエネルギー」を、さらに、大きくしてしまい、「大災害」を引き起こしてしまう場合があります。

私達の「意識」と、この「自然」は、繋がっており、私達、日本人、みんなの「意識」が、どの方向に向くかで、「大災害」にもなりえるし、また、その反対に「大きな揺れ」を、ある程度に、抑えることもできるのです。

そして、「要石」は、「大災害を封じ込めるためのもの」でもあり、この「人間のネガティブな思い」というものを、表しているものが、「常世と現世」を繋ぐ「後ろ戸」です。「要石」があるところには、この「後ろ戸」があるのです。

草太は、この「後ろ戸」の「戸じ師」であり、「祝詞」を唱え、「鍵」を閉めます。

私達の心にある「ネガティブ(闇)」というものも、今、この「新しい時代」に変わりつつある、この時期に、「完全」に、「終わりにする(閉じる)」必要があるのです。

そして、草太の唱える「祝詞」は、私達、日本人の「祈り心」なのです。✨✨

 

すずめと草太が話していると、窓辺に、あの「白い猫」が、やってきます。猫が、痩せているので、煮干しと水をあげて、「うちの子になる?」と、すずめが言うと、猫は、「すずめ優しい。好き」と言いました。草太には、「おまえは邪魔」と言います。草太は、すずめの幼い頃の、「小さな椅子」に変えられてしまいました。

「椅子」の姿のまま、草太は、猫を追いかけます。すずめも、草太が落とした「鍵」を持ち、追いかけます。

すずめを育てている環が、地震を心配して、会社を抜け出してきたのですが、すずめは、環の「制止」を振り払い、草太を追いかけてゆきます。

そして、草太と、「白い猫」を追いながら、全国を、「旅」することになります。

「四国・愛媛」行きのフェリーに、白い猫も、椅子の草太も、すずめも乗り込みます。草太が、甲板で、猫を追い詰めますが、猫は、「まーたね」と言い、ジャンプして、隣のボートに飛び、去ってゆきます。

フェリーの中で、草太は、すずめが、「要石」を抜いてしまったため、自分が呪われたと話します。草太は、「後ろ戸」を閉める「閉じ師」の役目をしていると、すずめに言います。

すずめは、その夜、「夢」をみます。ノートを黒く塗りつぶした幼いすずめは、半べそで、母親を探し、うっすらと降り積もる雪の中、「扉」を開けています。

すずめは、4才の頃、「大震災」で、母親を亡くしています。そうして、環に引き取られ、育てられました。ですから、環は、すずめへの深い愛情から、常に心配をして、過保護にしてしまうのです。

 

「白い猫」は、すずめが抜いてしまった「西の要石」ですが、「可愛らしい」姿から、人々の心に「光」をもたらす「存在」です。ですが、「要石」というのは、人間の「自己犠牲」から、「人柱」になった「存在」でもあり、「本当は、そんなお役目はイヤだ・・」という「心」も持ち合わせており、閉じ師の草太を、「おまえは邪魔」と言い、呪いをかけるような部分もあります。この「白い猫」は、私達の「心」の「光」をあらわしているようでもあり、同時に、「闇」も、持ち合わせています。この「光」と「闇」は、同じ「次元」に「存在」するのであり、どちらも、「光」であり、「闇」ともいえるのです。つまり、「同等の存在」であり、どちらも私達の「心」にあり、「ネガティブ」、「ポジティブ」と呼ぶものです。私達、人間は、この「光」と「闇」の部分から、自分自身で、「ネガは悪い」、「ポジは良い」と判断し、「正しい」や「正しくない」と言いたくなり、常に、この「同等の存在」である「光」と「闇」で「争い」(かっとう)をしているのです。

「時代」が変わる時、そして、私達の「意識」も「変化」する時を迎えています。私達の「心」にある「光」と「闇」を、自分自身の「波動」を上げることで、「高い視点」で捉えることができ、自分自身の「感情」を、「統御」することで、完全に「終わらせていく」ことが、大切な時なのです。

この私達の「心」の内にある「光」と「闇」を「統御」してゆく時に、心の奥深くにある自分自身の、「幼い子供」と出会うことになります。心の奥にある、忘れてしまっている「幼い子供」に、出会う「必要」があるのです。すずめも、この草太との「旅」の途中で、自分自身の「幼い子供」に出会うための「夢」をみるのです。

そして、すずめの「思い出」に関係ある「小さな椅子」に、呪われた草太が、なってしまったということは、すずめの奥深くにある「幼い子供」と繋ぐため、出会うための「象徴」でもあり、草太を通して、彼女自身の「幼い子供」に出会うことになるのです。

 

2人は、「愛媛」に到着しました。スマホでチェックすると、SNSで、「白い猫」が、可愛らしいと話題になっていました。「ダイジン」というあだ名もつけられていたのです。また、草太の姿、「走る椅子」も話題になっていることから、すずめは、「椅子」を、自分で持つことにし、草太も納得します。

愛媛の道を歩いていたすずめは、同じ年の「海部 千果(あまべちか)」という女の子と出会います。2人でおしゃべりしている時、すずめは、近くの山から、「ミミズ」が出ているのを目撃します。その方向は、何年か前に土砂崩れがあり、「廃墟」となったことを聞きます。近くまで、千果に、バイクに乗せてもらったすずめは、「春日中学校」が、「後ろ戸」になっていることに気づきます。草太が、「後ろ戸」に、「鍵」をかけられないため、草太が「祝詞」をあげ、すずめが変わりに、「鍵」をかけます。

すずめが「ミミズ」を封じ、ほっとしていると、ダイジンが、「すずめ、すごーい!後ろ戸、まだ、開くよ」と声をかけ、去ってゆきました。

その日、すずめは、環に、電話をかけ、「ミニ旅行」と伝えますが、しかし、環は、納得しないので、電話を切ります。

すずめと千果は、その夜、「女子会トーク」をし、仲良く、心ゆくまでおしゃべりをします。そして、千果は、「春日中学校」に通っていたことを話し、すずめは、持ち歩いている「椅子」が、母親の「形見」だと話します。

次の日の朝、寝起きの悪い草太を、起こしたいすずめは、「キス」をしたら、起きるのだろうかと考えます。✨✨

朝のテレビのニュースで、「ダイジン」が、「明石海峡大橋」を渡る映像をみて、千果と千果の家族に、お礼を言い、旅立ちます。千果は、制服だと目立つので、私服を貸してくれ、2人は、ハグをして、別れます。

すずめが、神戸まで、どう行こうかと途方に暮れている時に、「二ノ宮ルミ」という女性が、車に乗せてくれ、「神戸」に「在住」ということで、「神戸」に向かいます。

車には、彼女の娘と息子の、2人の子供が乗っており、「椅子」に興味津々です。

彼女が、子供を預けようとしていた保育所がお休みだったため、2人の「子守り」をすることになり、「椅子」の草太と、「子守り」をし、寝かせつけます。

ルミは、1階にあるお店のスナックのママで、子供を寝かせつけたすずめは、お店の手伝いをすることになり、このお店のお客の姿になっている「ダイジン」をみつけます。「ダイジン」がでてゆき、すずめも草太に呼びかけ、2人で追いかけます。

ここの山の上にある「廃業」になった「神戸 ゆめのくに」の観覧車が「後ろ戸」になっていました。観覧車の扉のひとつから、「ミミズ」がでており、すずめが、「扉を閉めて、鍵をかける」役、草太が「ダイジン」を追いかける役に手分けします。

草太が、「ダイジン」を追いかけ、タックルされた「ダイジン」は、配線盤に落ち、電気がついて、観覧車が動き始め、「扉」を閉めようとしていたすずめが、上昇してしまいます。草太は、「ダイジン」に「要石」に戻れといいますが、その役は、草太に移したと言います。すずめは、観覧車の「扉」の中に、「幼い自分」と、「大人の女性」をみつけ、誘われるように、「扉」へ、入ろうとします。「現実」では、観覧車から、「飛び降りそう」になっているすずめを、草太は、助け、すずめと2人で「扉」を閉めます。「後ろ戸」の中に、すずめがみた景色を聞いた草太は、すずめに説明します。「それは、常世だよ。死者の赴く場所で、行ってはいけない」と。

すずめが、店へ戻ると、ルミが心配しており、お店の従業員とみんなで、夕食をつくって食べます。

その夜、お店のソファで、泊まったすずめは、草太と話します。草太は、東京で、アパート暮らしをしていて、大学を卒業したら、「教師」になると言います。「閉じ師」は、「家業」だけれども、食べてはいけないので、「教師」と両立させると言います。

その日、眠りについた草太は、夢をみます。椅子に座ったままの草太は、孤独で、目の前に「扉」があるだけで、何もない世界で、凍り始めています。草太は、身体に「氷」がついて寒くなる様子をみて、「要石」になりつつあることを自覚します・・。

すずめは、草太と一緒に、どんどん「お役目」に導かれ、「ダイジン」を追いかけながら、「旅」をし、いろんな人と出会いながら、2人で「ミミズ」がてている「後ろ戸」をみつけ、「扉」に「鍵」をかけ、草太が、「祝詞」をあげ、2人で、「仕事」をしてゆきます。そして、同時に、すずめ自身の「心の旅」、草太自身の「心の旅」もします。これは、「みえない世界」の「次元」を、2人が、同じようにみることができるパートナー同士でもあるからです。2人とも、「ありのままの自分」、「本来の自分自身」に、さらに深く繋がることにより、本来の、2人の「力」と「能力」が、最大限に、発揮されるのです。

それは、自分自身の「たましい」と深く繋がることであり、自分の「たましい」に沿う生き方、「たましい」に沿う「仕事」をする時に、自分自身の本来持つ「能力」、「才能」、「力」が、私達は、引き出されてゆくようになっているのです。

自分自身の「たましい(本質)」と、深く繋がるほどに、本来の「能力」に目覚め、私達の内にある、「光」と「闇」を、完全に「統御」できるようになると、誰もが、「神人」となるのです。それは、私達の「意識」の「変容」でもあり、「霊的進化」なのです。

「光」と「闇」が、まだ、自分自身の内にあり、揺れ動いていると、観覧車でのすずめのように、「意識」が、「常世」にとらわれてしまいます。「常世(とこよ)」は、「すべての時間が同時にある場所」であり、「現世(うつしよ)」も、同じところにあります。そして、「常世(とこよ)」も「現世(うつしよ)」も、「幻影」でもあります。私達の「心」が、そのまま「映し出される」、「幻影」の「世界」、「かりそめの世」でもあるのです。

「常世」は、「ミミズ」が出てくる場所であり、「人のたましいのネガティブな想念」というものがうずまいている世界です。そこに、「意識」を「同調」させていくと、「自分自身の心の闇」の渦に巻き込まれてしまい、抜け出すのが難しくなる場合もあります。そして、「現世(うつしよ)」でも、「ネガティブ」な方向に「同調」させることにもなり、そうなると「疫病」や「災い」もそのものも、大きくなり、ついには、「大災害」をも、引き起こしてしまいかねないのです。「意識」は、「同調」した方向を拡大します。そのため、私達が、「ネガティブな思い」にとらわれていってしまうと、その「ネガティブ(闇)」の世界に引き込まれ、そちらを「拡大」させ、私達は、「体験」することになるのです。

 

このように、新海監督の「すずめの戸締り」は、私達に、まさしく今、起こっている「世界」を描いているのです。今、私達は、「古い地球」から、「新しい地球」へと「移行」しようとしている時です。「古い地球」、「古い時代」、「古いあり方」はを、もう、完全に「戸じまり」(終わりに)をして、「新しい地球」、「新しい意識」へと、「変容」していこうとしているのです。

そして、私達は、「神人」の「意識」となり、「光」となって、生きていくことで、「本来の日本」に、「新しく生まれ変わった日本」になり、「光の御代」、「光の国、日本」になって、「神々の御代」が、始まってゆくのです✨✨

 

この映画は、私達、日本人にとって、大切な、大切なメッセージを語りかけてくれているのです✨✨

 

この2人は、この後、どんな風に、なってゆくのでしょうか・・?「要石」になりつつある草太は、助かるのでしょうか・・?

まだ、まだ、この深いお話は続きます✨✨

お楽しみに・・✨✨

 

   

 

💖これは、私の「真実」です。あなたの腑に落ちるところだけを、受け取ってくださいね💖