図書館で借りてきました。
知りたかったのは、戦時中から長くお住まいになられていた 御文庫 がどのような建物であったかについて。
アキシンが何度も何度も書いてたんですよ。
御文庫は湿気が酷い所で、背広を吊るしておくとジットリ濡れる。
そんな場所に長年お住まいになられていた!
って。
私は、ナンボなんでもそんな場所に終戦後もお住まい頂くわけがないと思っていました。
だって健康に悪影響じゃないですか。
以前から気になってしょうがありませんでした。
探すまでもなく、本の冒頭に御文庫という建物について書いてありました。
御文庫は吹上御苑の広芝の北側に位置する鉄筋コンクリート造りの防空建築である。
開口75メートル、奥行き20メートル、地上一階、地下二階。
クリーム色の建物で屋根は厚さ約3メートル。コンクリートの上に砂層をのせ、さらにその上にコンクリートを打った。
後に屋根の上にはカモフラージュのために竹を組んでツタをからませた。
地下二階部分の頑丈な防空壕は通称金庫室と呼ばれていた。
どうやら、空襲警報が鳴ると金庫室に避難される、ということであって、普段は地上部分にお住まいだったようです。
頑丈の上にも頑丈に作っである印象です。
宮殿は1945年の東京大空襲で焼失し、新しい御所が1968年に完成するまで、御文庫にお住まいだったようです。
宮殿が焼失する前から昭和天皇は、将来はずっと御文庫で生活したい、と漏らしていたそうです。
コンパクトで日当たりが良く、窓からの光が部屋の隅々にまで行き渡る。
つまり、お気に入りだったということです。
やれやれ、アキシンってやっぱり平気で嘘をつくのね。
東宮御所(今の上皇夫妻の住まい)が1959年、つまり御所より先にできたことも、アキシンは色々と文句をつけていましたけど。
要するにお気に入りの建物に長く住みたい、というお気持ちだったのではないでしょうか。
これで疑問が解決して、スッキリしました。
まだ読了していないのですが、天皇家は昭和天皇が幼少(6歳)の頃からクリスマスを祝う習慣があったようです。
キリスト教の行事として意識していたのではなく、西洋の年中行事の一つとしてすんなり受け入れたのだろう、と本には書いてあります。
日本のクリスマスの習慣は、天皇家から上流階級に広まって、徐々に庶民にも、ということらしいです。
鷹揚だったんですね。
本では天皇家も1945年には、食糧難で苦労されていますし、質素倹約も当たり前に受け止められている姿が描かれています。
なんというか。
民間からいらっしゃった方の贅沢三昧を見ていると、どうしてそうなった?と疑問に思いますが、懐かしい昭和の時代の皇室はやはり、国民の目に映ったまま、質素であったようです。
戦前の事は書いてありませんが、昭和の両陛下のご性格からいって、予算が沢山あったとしても自ら贅沢を望まれたりはしていられない気がします。
そもそも予算や家計などという、お金に関するあれこれは、考えずとも良い立場でした。
お金の概念は、民間から来た方からのような気がします。
何となく、お金のことに無頓着だったために、好き勝手された部分もあるかも知れないな、と思いました。
しかし自邸改装費(どこを直したかわからない)に60億など、いい加減にして頂きたい。
国民も、いい加減看過はできないと思います。


