元旦から良い天気が続いていますね
私は初詣も行かずにお片づけです。
年末までにやれなくて
色々持ち越しちゃいました
31日までは焦ってたけど
過ぎてしまえば何とも思わず(笑)
落ち着いてやれるから逆によかったわ!
くらいに思ってる
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この一年で何度目かの断捨離。
「何で何回もやりたくなるのかな?」
些細な、一瞬よぎった疑問。
今回はそれを拾って向き合ってみました。
私の「片付けたい」は
=「ものを減らしたい」でした。
私は何を捨てたいんだろう?
私は何を捨てたいんだろう?
私は何を捨てたいんだろう
。。。
あ。
これ、アカンやつ
こんまりさんも仰っていた。
ときめきで選んでないパターンだと
捨てるもの探しはNGですね
ま、今はそのメソッドは
横に置いといて(笑)
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私は「捨てたい」と思った。
何で?
何を?
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部屋中と私の感情をよーく見た結果、
捨てたいのはクローゼットの中の
洋服やバッグじゃなかった。
視界に入り続ける家具でした
どれも高かったよ
当時は思い切って買ったもの。
気に入っていたもの。
そこへの執着が捨てきれなかった。
物を処分する事への罪悪感も
だから洋服やバッグをちまちま処分して
断捨離やった気になってたんだ。
小物なら罪悪感も小さくて済む。
一応「罪悪感を超えた感」も味わえる。
(なんてショボい私…)
無意識ですけどね。
小物でも勇気出してやったと思ってたから
でも本命(家具)と対峙してないから
心底スッキリすることは叶わず
何度も断捨離に走ってたのか。。。
これ、よくやっちゃうパターン。
セカンドベストでは満足できない
本当は気づいてるはずなのにね。
代替え案を巧妙に出してくる私の男性性は、
まだまだ鍛える余地ありまくりです!
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物の扱いが丁寧な私。
家具なんて10年経っても
傷ひとつありません
それを処分する。
おお、もったいない。
でも本当は、モヤモヤし続ける
エネルギー浪費の方が
もったいないことに気づいている。
本音はもう無視できない
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罪悪感を感じる一方で
家具探しを楽しんでる私もいて
インスタとか見ながら
こんなお部屋で過ごせたら…と
想像を膨らませてニヤニヤしています
無◯とかニ◯リは好みじゃない。
私が素敵と思うものは安くない
次々湧いてくる欲求。
小さい頃から「お金がかかる子」と
言われていた意味がわかったよ
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究極はモロカイ島の生活のように
何もない(物質ではない)幸せがあればいいのだと思う。
でもそれはいずれの話
この物質豊かな日本を選んで
生まれてきたのだから
「今」の私が欲しいものは
叶えてあげたい。
それは別に高いものを買う事だけじゃない。
一輪のお花を飾るだけでもいい。
お部屋で一杯のお茶を飲む時間に幸せを感じる
だからこそ、その時間のために
私の視界に入るもの全てを好きで満たしたい
のです
それが「今」の私にとっては
家具だっただけの話
おうちに関しては
先日大きなシンクロを体験したので
そのお話もまた