2022年11月、杉真理さんが作曲家として様々なシンガーに提供した楽曲を集めたアンソロジー6枚組CDBOX

 

「Mr. Melody ~杉真理提供曲集~」

 

が発売されました。(リンク先はamazonの商品案内ページです)

 

 

ライナーノーツで「各CDこの曲順で聴いてほしい」と希望している杉さんには申し訳ありませんが、単独で抽出して聴き、紹介しておきたい曲があります。

 

発売にさきがけてソニーミュージックサイトで「あなたの好きな杉真理提供曲」アンケートが行われ、SAYAKAさんが歌う「パラソルと約束」が146票を集めて2位に入りました。この曲は公式に発売されていないいわゆる「未発表曲」ですが、かつて杉さんがご自身のブログ「STARGAZER'S Diary」で楽曲制作の経緯を語っていらして、それを見たSAYAKAさんファンがSNSで投票を呼びかけて上位入りを果たしました。

 

 

この曲は2001年春にグリコの商品「アイスの実」の夏向けCMソングとして作られました。1986年10月生まれのSAYAKAさんは当時14歳でしたが、13歳にしてご母堂様のアルバムに詞を提供するなど文才に秀でていました。(ALICE名義の「恋はいつでも95点」。今詞を読み返すと、日頃からお母様をよく観察なされていたと改めて感じます。)本格的にタレント活動を始めるにあたり、最初の仕事が「アイスの実」のCM出演と歌の披露でした。

 

 

ご覧の通りの初々しさ。こちらのサイトで紹介されている当時の新人紹介記事によれば、サイパンでロケしたそうです。CMで歌われた

 

パラソルの下の 夏の指定席

内緒の待ち合わせ

ひまわりの私 あなたの陽射しに

ずっとずっと会いたかったの

 

はSAYAKAさん自身が綴った言葉です。

 

ブログ記事にある通り杉さんはいわゆるナイアガラサウンドを用いた曲に仕上げて、CM映像はまさに「1980年代初頭の再現」の趣です。さらにSAYAKAさんをこの曲でデビューさせるべく、フルバージョンの制作が進められました。杉さんが作詞を手伝い、レコーディングも行われましたが諸事情によりこの時のデビューは見送られてしまい、作られた音源はずっと杉さんの手元で保管されていました。それが「Mr. Melody」に収録され、21年越しで世に出ました。これまで「アイスの実の歌」として語り継がれてきましたが、正式タイトルは「パラソルと約束」(作詞・歌:SAYAKA、作曲:杉真理、編曲:嶋田陽一)と発表。さらに、CMで歌われたフレーズの織り込まれ方も判明しました。

 

今のところ(2023年1月現在)フルバージョンを聴く手段はこのCD-BOXのみなので、フルコーラスの詞を載せてよいのかどうか判然としません。以下CD-BOXをお持ちでない方にはわかりづらいお話になるかもしれませんがあらかじめご了承ください。

 

 

CD-BOXの封を開けて最初に聴いた時から、私の目に涙があふれてきました。いろんな思いが去来して。同時に、かつて大瀧さんが作曲した「うれしい予感」(作詞:さくらももこ、作曲・編曲:大瀧詠一、歌:渡辺満里奈、1995年)を初めて聴いた時のことを思い出しました。私事ですが「うれしい予感」が出る直前に阪神淡路大震災が発生。その1週間後に私の妹がこの世から旅立ちました。重い知的障害があり、静かにするべき場でも声を出さずにはいられない、身体を動かさずにはいられない人でした。私は連日の黒板をひっかくような叫び声、大声で歌う童謡、がさがさしたふるまい、私の”子供なりの宝物”に平気で落書きや切り取りを続ける行動に長年神経を参らせていました。「そんなくだらないもの、好きにしてあげなさい」と言い放つ母を憎みました。正直なところとても怖かったのですが、それを誰かに話して「きょうだいなのに冷たい」と非難されることに対しても辛さを感じていました。そんな妹が突然衰弱しはじめてあっけなく亡くなった時は、連日の震災報道も加わって何とも言えない虚無感の海を漂っているかのようでした。春になって突然流れてきた、本当に久しぶりのナイアガラサウンドを耳にしたとき、私はあたりはばからず涙をぽろぽろ流しました。今回「パラソルと約束」を初めて耳にした時、その頃の苦労も思い出されました。日本では「ナイアガラサウンド」として定着している、厚い音のきらびやかなアレンジで演奏される優しくポップなメロディーは、初めて聴く曲であってもどこか懐かしさと郷愁を呼び起こす作用をもたらします。まるでアロマテラピーのように。

 

幾度か繰り返し聴いて冷静さを取り戻すと、楽曲としていくつか気づくことが現れました。SAYAKAさんのご母堂は日本の歴史にも残るであろう「アイドルの頂点」を極めた方なので、どうしてもその方向からの見方が主流になってしまいますが、この曲はご母堂様のナンバーよりもむしろ「うれしい予感」の流れを汲んでいると思えます。杉さんもそれを意識して作ったように見受けられます。「うれしい予感」を「君は天然色」(1981年)の敷衍形と位置づける評論もありますが、さらなる敷衍と言えるでしょう。私の耳の感触なのでもしかしたら半音ずれているかもしれませんが、多分Fキー(ヘ長調)で満里奈さんと似た音域をお持ちです。アニメ主題歌という条件もあったせいか唱歌風にシンプルな譜割りの「うれしい予感」に少しビートを効かせたような作りになっています。

 

例によってここで寄り道です。SAYAKAさんについて語る際、「お母様と声がよく似ている」という人がとても多くいらっしゃいますが、その観点で言えば最初からいわゆる「キャンディ・ボイス」ですね。ご母堂様がデビューした頃のパワーあふれる声は、やはり唯一無二のものなのでしょう。

 

話を戻します。楽曲の構造はAメロ→Bメロ→サビ(CMで使用されているメロディー)を2回繰り返した後にCメロで新たな展開を提示して、サビを繰り返してコーダ。CMでは最初に出てくる「あなたに会いたいな」で締めくくられています。Aメロは特に「うれしい予感」を想起させます。

 

一方サビは、動画サイトでCMを初めて見たときからピンと来るものがありました。

 

♪パラソルの下の~

 

のメロディーラインがあの曲を連想させます。そう、「SWEET MEMORIES」(作詞:松本隆、作曲・編曲:大村雅朗、1983年)。Fキーとすれば「ラ ド ラ ソ ファ×4」。よく聴くと「♪夏の指定席~」も同じメロディーを繰り返していますが、もし2音目の「ド」を「レ」に上げて「ラ レ ラ ソ ファ×4」としたら「SWEET MEMORIES」の「♪失った 夢だけが」のフレーズと同じ形になります。(「SWEET MEMORIES」の原曲はE♭キーで「ソ シ♭ ソ ファ ミ♭/ソ ド ソ ファ ミ♭」です)「SAYAKA meets 大瀧詠一」と同時に「SAYAKA meets 大村雅朗」も狙おうとしたのでしょうか。大村さんはこの時点で既に亡くなられています。しかしSAYAKAさんは14歳、そこまで器用に歌いこなせる能力はまだ身につけていなかったとも思われます。上のレは音域上多分ギリギリに近い。さらに「SWEET MEMORIES」と同じ形にすると哀感が出てしまって、この曲の一点の曇りもない爽やかさに似合わなくなるといった判断がなされた節も伺えます。

 

サビの最後「♪ずっとずっと会いたかったの」のフレーズにも工夫の跡が見られます。少しずつ下げていくメロディーが多分常道でしょうが、「ずっと ずっと」は音程(シ♭)を変えず、「会いたかったの」で下げていく途中1音ピョンと跳ね上がり、あどけないウキウキ感覚を演出しています。ナイアガラサウンドで欠かせないドリーミーなコーラスは杉さんがご自身で歌っています。

 

ラストは♪あなたに会いたいな~でそのまま終わります。大滝さんならば「うれしい予感」などのようにきっと派手なエンディングをつけたでしょうね。頭サビに近い形式にしても面白いかもしれません。最初アカペラか、ごくシンプルな演奏で♪パラソルの下の、夏の指定席~と歌い、波音のSEをバックに「あなたに会いたいな」とつぶやくセリフを入れて、そこから豪華なナイアガラサウンドが始まるようにすればさらに鮮烈な印象を残す曲になったでしょう。

 

 

詞を全編読むと、SAYAKAさんはごく幼い頃から松本作品に親しんできたであろうと想像できます。松本作品のディテールや小道具を使いつつ、松本さんが最も得意とする「翳り」の部分を取り去ったような感じの詞です。大人の作詞家ならば「まぶしい光と陰影を併存させる」という教えを守らないと”平板的なつまらない詞”と評されてしまいますが、SAYAKAさんの書いた詞は不思議と欠点を感じさせません。Aメロは1番と2番で文字数が合わず、そのあたりに幼さが感じられますが、杉さんの指導で幾度か書き直して、楽曲にできる範囲の不揃いにまで収められたのでしょうか。「Mr. Melody」収録の別の曲のライナーノーツでは、大人の作詞家から渡された詞が変則的で、やっとの思いで完成させたら大滝さんに「よくあれを音楽にしたよ、偉い!」とほめられたというエピソードも掲載されていますから、SAYAKAさんの才能は既に非凡なものがあったのでしょう。

 

「夏の指定席」という表現がとりわけいいですね。岡田奈々さんのアルバム「握手しようよ」(1976年)に「指定席」という曲が収録されていることが思い出されます。もとは奈々さんが随筆集を出すときに書いたポエムで、それを松本さんが半ば力技でメロディーをつけられる詞の形に書き換えて収録されました。ディレクターの無茶ぶりに応じたものと見受けられます。奈々さんの「指定席」は夜汽車の座席か寝台をイメージしていて、はしだのりひことクライマックス「花嫁」(1971年)に近い物語ですが、SAYAKAさんの指定席は(たぶん真っ白な)海辺のパラソルの下で、時の流れが感じられます。

 

 

「パラソルと約束」フルバージョンが正式なデビュー曲にならず、この段階のデビューが見送られた理由は、既に指摘されている通り「2001年における”流行りの音”から外れていた」からでしょうね。出せばSAYAKAさんの出自もよく知っている当時の30代に圧倒的に支持されるだろうが、同世代の人にはあまりピンと来ないのではないか。それは今後とも長く歌を続けていく上で不利に働いてしまう。”あのご母堂様の娘”の定冠詞を早く外してあげるほうが本人もやりやすいのではないか、という判断がなされたと推定されます。大滝さんが1990年代にプロデュースした渡辺満里奈さん「Ring-a-Bell」(1996年)、市川実和子さん「Pinup Girl」(1999年)のアルバムが、丁寧に作られているにも関わらずあまり話題に上らなかったという点も考慮されたのしょうか。ナイアガラサウンドのレコーディングはお金もかかりますし。2000年ぐらいからいわゆる「昭和アイドル歌謡」のCD復刻が盛んになり、ライブハウスなどで選曲するアマチュアシンガーも現れ、ネット環境が普及して長年埋もれていた楽曲の掘り起こしも行われるようになっていましたが、本格的な再評価がなされるようになるまではもう少し時間が必要でした。

 

「パラソルと約束」が世に出ていたら、「ソロで歌われるアイドル歌謡の時代に幕を下ろす一曲」という評価になったかもしれません。アイドル歌謡全盛の1980年代に頂点を極め、社会文化に多大な影響をもたらし、歴史に残るであろうアイドルがもうけた子が締めくくるとなれば、物語としてもよくできているのでしょうが。

 

 

その後のSAYAKAさんの活躍に関してはここでお話するまでもありません。一時期芸能活動から離れて、バイトなどで社会経験を積んだと聞き及んでいます。活動を再開するとご自身の力で道を開き、ミュージカルを中心にたくさんのファンの方に愛されてきました。時が流れると、ご母堂様と親子だと知らないファンもできるようになりました。きれいになっていき、歌唱力・表現力が向上していき、人柄も優れていて………。

 

あのニュースに接した時、驚きと悲しみに続いて直感したことは、「瑠璃色の地球」の神通力に陰りが生じてしまうのではないかという懸念でした。あの曲は松本さんが、新たに生まれてくる命のためにもひとつしかない地球を守っていきたいという思いから生み出した作品です。松本さんは「時代や社会が本当に困った時に救ってくれる歌」と自ら評しています。人間誰しもいつかは年老いてこの世から去っていきますが、少なくともあのような形で生涯を閉じてほしくなかった方でした。SAYAKAさんは私のように特にファンではない人も含めて、私たちの世の中の希望の象徴でした。

 

それからおよそ1年、「新たな戦前になるかもしれない」と著名人が語る世の中になってしまいました。

 

 

2023年の今「パラソルと約束」を聴くと、永井博さんが描いた「A LONG VACATION」のイラストをすぐ思い出します。発売40周年の時に1980年代の人気イラストレーターが幾人かオマージュ絵を発表していましたが、皆さん”人物”を入れています。入れたくなる気持ちはよくわかります。が、あの絵は”無人”だからこそ味わいがあるのです。永井さんの当初の目的とは異なっているようですが、松本さん、大滝さんの「想い」が加わることにより、あの絵には”天国の象徴”という意味合いが含まれました。誰もが使う通俗性を持つ一方で、抽象的な概念の域から決して出ることができない「永遠」という言葉が具体性を帯びてくるような絵です。

 

 

カップルで、家族連れで、友人どうしで、あるいは独りで訪れてきた無数の人たちの記憶を湛えつつ、穏やかで爽やかな風が吹き抜ける無人のプール。遠くにはマリンブルーの海。この世のあれこれを全てOFFにして”永遠の休暇”を楽しむためにやって来た人たちを迎え入れる場所。あくまでも私が勝手に抱くイメージですが、今SAYAKAさんの眼にはこの風景が映っているように思えてなりません。

 

彼女はプールサイドに置かれた白いパラソルの下のチェアーにひとり腰かけて、きっとつぶやいているでしょう。

 

「あなたに会いたいな」

 

 

<参考資料>

CD-BOX「Mr. Melody ~杉真理提供曲集~」ブックレット(ソニーミュージック、2022年)

杉真理ブログ「STARGAZER'S Diary」

雑誌「三田文学 No.151 2022年秋季号」(三田文学会)