先日、秋田県のある町へ行く機会がありました。

(感染対策はしっかり行っています。単独行動で、会食や歓談などは一切してません。体調は現在まで異常ありません。)

その帰り、駅の待合室で

 

「サキホコレ」

 

と書いてあるポスターを見つけました。

お米の新品種だそうです。

その文字を見た途端、あの歌を思い出し、強烈に歌いたくなりました。

 

「咲き誇れ愛しさよ」(作詞:大黒摩季、作曲:織田哲郎、1993年)

 

もちろん公共の場所では歌えませんし、今人前で声をあげることは一番のリスクなので、駅の外に出て積もった雪を眺めながらスマートフォンで織田哲郎さんの歌をリピートして聴きました。織田さんの歌は実に格好よいです。

 

 

この曲は1993年に資生堂のCMソングとして作られ、Winkが歌いました。Winkにとっては久しぶりのヒット曲になりましたが、いわゆる「CDメガヒット時代」に入っていて、売り上げ数ではそう大きなインパクトを与えられませんでした。

 

Winkのバージョンは冒頭にシンセサイザーによるノイジーな音が大きく響き、中近東風(?)のイントロが大げさに奏でられてから歌に入る、あざといくらいの売れ線狙いです。Winkは感情を込めない歌い方で人気を得ていましたから、そのギャップも狙っていたのでしょう。この作戦は歌の本質に着目しづらくなるという副作用をもたらしました。後から発表された織田哲郎さんのセルフカバーは、楽曲そのものが持つメッセージがより露わになっています。曲そのものはEmで始まるマイナー疾走系で、ロシア民謡のかおりがほのかに漂います。サビ前からメジャーに転調します。全体を通じて難しいコードや進行はほとんど使われていません。「素人さんにも歌いやすい」作りです。

 

改めて詞を読んでみると、「ハートのイアリング」(作詞:松本隆、作曲:Holland Rose、歌:松田聖子、1984年)と同じ状況とみなせます。恋の駆け引きの主導権を自分が握っていて、リードしていると思い込んでいた人が、実は既にふられていたというシチュエーションですね。

 

人間関係においては「ある程度親しくなったら、相手を信頼して束縛しない」姿勢が大切とよく言われています。今でも対人関係のコツや、日常生活に心理学を応用する方法を指南する本には定番とされています。しかし、相手を信頼することはひとつの「賭け」でもあり、自らの”他者を見る目”が試される機会でもあります。この詞の主役はせっかく相手を信頼したのに、それが全く伝わっていなかったという悲劇に陥っています。「ハートのイアリング」の相手は、かつては真剣に主役と交際していたのでしょうが、こちらに出てくる相手は主役に対するリスペクトの姿勢があまり感じられません。まあ、その程度の人だったのでしょう。主役のほうも遊んでいるふりをしたり、未来(の約束)を自分からは言わず、相手から言ってもらおうと期待してみたりと、そうほめられたものではなかったと改めて痛感しています。

 

この詞には「時の砂」が2回出てきますが、それぞれ異なる比喩に使われています。

最初は「私には永遠の月、あなたには時の砂」という対句表現です。

この恋は、自分にとっては永遠に輝く月のように大切なものだったが、相手には時間と共にサラサラとこぼれ落ちて、やがてはどこかに紛れていく砂のようなものだったという意味です。この種の対句で恋愛における温度差を形容する手法は短歌などでも時折見られます。

 

後の「輝いて抱きしめて、濡れて光る時の砂」は「涙」の比喩でしょう。「新鮮な笑顔で飾ろう」は文字通り新鮮な表現ですが、それは失恋を乗り越えようと作る笑顔で、その陰から涙があふれてきます。波に濡れた砂のように、時の彼方へ流れていきますように、という思いが「時の砂」という言葉に集約されています。

 

近年の歌謡曲評論で「瞳はダイヤモンド」(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、歌:松田聖子、1983年)と「飾りじゃないのよ涙は」(作詞・作曲:井上陽水、歌:中森明菜、1984年)を対比させて、失恋した時に流す涙を「飾り」と位置付けるか、「飾りではない」とするかで主役の人生観の相違があぶり出されてくる、という話を読みましたが、この「咲き誇れ愛しさよ」に出てくる主役は前者、すなわち失恋の涙を「飾り」としたいタイプなのでしょう。その意味で松本作品の系譜を引いていると考えられます。

 

 

織田哲郎さんは90年代前半に大人気を博した「ビーイング系」の代表的ミュージシャンでした。長戸大幸さんがプロデューサーとして率いるビーイングは、それまでの時代には見られなかったセンスの命名を受けたユニットを次々とデビューさせました。たとえば、坂井泉水さんはもう少し早く生まれていたらソロでデビューして、アイドルとガールロックの中間的な線で売り出されたであろうところを「ZARD」というユニットの一員で、やや匿名性を持った存在として世に出しました。

 

ビーイングのアーティストはキャッチ―なイントロとサビで、カラオケで歌いたくなるような曲を量産しました。従来型歌謡曲の基本を受け継ぎつつも、古臭さ・鈍重さを巧みに排する作戦でした。その”排除の姿勢”は歌謡曲のみならず、松本作品や「日本語ロック系」が内包しているエリート意識にまで及び、70年代・80年代のヒット曲とは味わいの異なる世界を展開しました。この成功が90年代後半の「TK(小室哲哉)サウンド」大流行の下地となります。織田さんはこの役割に徹した職人的作曲家でした。ビーイング系アーティストは外部の人への楽曲提供・レコーディング参加も積極的に行っていました。「咲き誇れ愛しさよ」はその代表例のひとつでしょう。

 

 

秋田県の町から戻ってきて、改めて「サキホコレ」を検索してみたら、有名な「あきたこまち」の上級ブランドとして開発された品種で、県をあげてアピールしたいそうです。2021年に地域限定で先行発売され、2022年収穫米から本格展開するとのこと。発表会には県知事自ら出席して宣伝したそうです。「サキホコレ」の名称はいくつかの候補の中から知事自ら選んだそうですが、「咲き誇れ愛しさよ」の曲をご存じだったら「失恋の歌は縁起がよくない」と考えて、選ばなかったかもしれませんね。

 

発表会で知事の隣にいた女性はどこかで見たような…「カムカムエヴリバディ」で、1960年代の芸能プロダクション令嬢役で出演していた人と気づきました。最近人気があるのでしょうか。