(「グラフNHK 1984年5月号」より)

 

「レッツゴーヤング」は1984年4月8日放送回から、サンデーズメンバーが全員交代しました。

 

司会:太川陽介、石川ひとみ

サンデーズメンバー:麻見和也、矢吹薫、中村成幸、山本陽一、高橋美枝、成清加奈子、太田貴子、新井由美子、山口由佳乃、千葉湖吹美(ちばこふみ)

 

10人の大所帯になりました。1981年度以来の最多タイです。

「レッツヤンオリジナル」も制作方針が変更されました。メンバー自身の新曲として発売する楽曲も取り上げられます。すなわち「ヤングヒットソング」時代の復活です。ただしそのままの形の復活ではなく、シングル盤ではソロで歌っている曲をメンバー数人がコーラスをつける形で披露するなどの工夫が施されています。またメンバーにより、持ち歌がレッツヤンオリジナルに指定されて1ヶ月間毎週歌うケースと、指定を受けずに別枠で1回歌うケースに分かれました。メンバーの持ち歌では各自のバックバンド演奏が入ることがあり、楽曲の幅が広がりました。

同時に1982年度下期組と同様、番組内でメンバーがコーラスするための楽曲も並行して作られました。

また、メンバーは「Happy Wedding」など1982年度下期組のレパートリーも練習していたようで、時々披露されることがありました。

 

 

(1)麻見和也・矢吹薫・中村成幸「Kid Blue」(作詞:三浦徳子、作曲:新田一郎)

 

 

1984年4月放送。

この曲は既に麻見さんの新曲として1984年2月25日に発売されていましたが、番組では矢吹さん・中村さんと3人で歌いました。

Aメロの繰り返しフレーズ(♪Tシャツの色でいい~)で、麻見さんと中村さんがハーモニーをつけています。

 

演奏は番組専属バンドの「高橋達也と東京ユニオン」から金管楽器奏者が参加、矢吹さんがエレキギターを演奏。

矢吹さんは「(横浜)銀蠅一家」の出身で、元は例のパンチパーマ、剃りこみ、サングラスに黒い革ジャンのおっかない出で立ちでしたが、サンデーズに入るとたれ目のやさしいお兄さんに変わりました。

 

作曲の新田一郎さんは渡辺プロダクション所属のミュージシャンで、キャンディーズのバックバンドを経て「スペクトラム」で活躍した方です。

(誤記を訂正しました。失礼いたしました。)

 

 

(2)高橋美枝・千葉湖吹美「ふたり」(作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星)

 

 

1984年4月放送。(映像は10月7日放送のリクエストショー)

個人的にはこの曲大好きです。私が小学生だった頃、1970年代はじめごろの「みんなのうた」で流れていそうなフォーク調の優しい楽曲です。1971年12月~翌年1月に「みんなのうた」で放送された合唱曲「冬の歌」(ネジャルコフ)と♪ハイヤ、ハイヤ、原っぱに、鈴の音ふりまいて~と同様、今でも気がついたら口ずさんでいることがあります。高橋さんと千葉さんのハーモニーもきれいです。当初は番組内のみの楽曲として作られたとみられます。

 

しかしこの曲を高橋さんの新曲として発売する話が持ち上がり、若松宗雄ディレクターがそれを受けてしまったことは、あまり芳しくない選択でした。高橋さんは「ひとりぼっちは嫌い」に続いて出した「エンゼル・フィッシュ」(作詞:松本隆、作曲:南佳孝)も、5月13日に放送された新人特集の回で披露していましたし、松本作品を軸にしたアルバム制作を本格的に考えるべき時期でした。松本さん・細野晴臣さんコンビで「パステルの雨」という曲がアルバム用に作られたもののお蔵入りになり、高橋さん引退後の1986年、水谷麻里さんの歌で発表されたという説もあります。当時高橋さんを応援していた同世代男子ファンは「とんでもないアナクロサウンド。美枝ちゃんを返せ!」と、とても納得できなかったでしょう。若松さんらしくありませんでしたが、思えばこの段階でアルバムを作る予算を削られてしまったのかもしれません。

 

シングル盤では千葉さんのパートも高橋さんが歌ってひとりハーモニーをつけ、B面は高橋さんが歌う下パートのみが収録されている”半カラオケ”です。

 

 

(3)成清加奈子・山本陽一・新井由美子・山口由佳乃・太田貴子「タンポポとチューリップ」(作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星)

 

 

1984年6月放送。この頃、サンデーズボックスに「回文」を投稿させる「好きよ、ダメだよ、キス」というコーナーが設けられました。そのキャンペーンとして作られた曲で、番組内限定です。

女子4名と山本陽一さんというメンバーで、山本さんは大いに照れながら、成清さんと結構仲良く息を合わせています。

コーラスをつけている新井さんは長身、山口さんは小柄で、「凸凹コンビ」と自ら称していました。

セリフ担当はアニメでも活躍している太田貴子さんです。

 

 

※「好きよ、ダメだよ、キス」の作例

 

「蟹も歌うモニカ」(1984年6月)

 

「陽介、金か?けーす(返す)よ」(1984年9月)

 

太川「ぼくはお金を貸したほうですね。」

 

「陽介だめ!タバコはダメだ、消すよ」(1985年1月)

 

この頃は喫煙していたらしく、石川さんが心配して禁煙するよう何度も言っていたみたいです。

 

「見ろ、ひとみと宏美」(1984年7月。岩崎宏美さんが番組最後の出演をした時)

 

「石川可愛い、若々しい」(1984年8月)

 

石川さんは「まあ、嬉しい!」と大喜び。しかし、ハガキを読んだ松田聖子さんから「これ、”秀美ちゃんのことです”と書いてありますよ。」と言われてしょんぼり。視聴者は、その秀美さんにも容赦ありません。

 

「秀美結婚し、お新香漬け、見て、ひ!」(1984年8月)

 

「この最後の”ひ!”は何なのですか?」

太川「辛すぎて、ヒーッ!じゃないですか?」

「どうして私にはこんなのしか来ないのですか!」

「皆さん、秀美ちゃんにもいい回文作ってくださいね。」

 

…薬丸さんの叫び声が聞こえてきたような気がします。

 

 

(4)太田貴子「夏にあわてないで」(作詞:来生えつこ、作曲:玉置浩二)

 

 

1984年7月放送。レッツゴーヤングでは7月1日放送回から歌い、シングル盤は同25日に発売されました。いずれもソロ歌唱で、ヤングヒットソング時代の手法の最初の復活例になりました。

「魔法の天使クリィミーマミ」のアニメで人気が出た太田さんですが、マミとはまた別の魅力を出そうという楽曲です。

当時流行りの安全地帯サウンドですが、この系統は既に先輩方が多数のヒット曲を出していて、太田さんの歌は背伸び感があります。

 

 

(5)中村成幸「(A+B)×C=LOVE」

 

1984年7月放送。「えーびーしーがえるおーぶいいー」と読みます。派手な女声コーラスで盛り上げています。授業よりも好きな子のほうが気になるという、昔からあるジュニアラブソングですね。

中村さんはジャニーズJr.時代、宇治正高さん、内海光司さん、大沢樹生さんと「イーグルス」というグループを作っていました。

「(A+B)×C=LOVE」はイーグルス当時からのレパートリーで、レッツヤンオリジナルとしての書き下ろしではありません。

中村さんは4人の中で最も人気があり、レッツゴーヤングでも植草さんに代わるリーダー格と期待していたようで、ファンによる

 

「なーかーむーらーしげゆきくん、クールな優しさNo.1!」

 

のコールをサンデーズメンバーが披露したこともありました。

この時点での正式デビューは見送られたようで、レコードは発売されていません。

 

 

(6)矢吹薫「エイティーン・キャンドル」(作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明)

 

1984年9月放送。矢吹さんの新曲として8月29日にシングル盤が発売されています。番組では山本さん、麻見さん、中村さんとバンドを組んで、グループサウンズスタイルで歌っていました。チェッカーズの歌を大ヒットさせたコンビの作品で、そのままチェッカーズサウンド…と思いきや、加山雄三さんが1963年に作った「Boomerang Baby」(作曲:弾厚作、当初は英語詞、後1966年に岩谷時子さんが日本語詞をつけ、「ブーメラン・ベイビー」として発表)にそっくりの進行です。

 

 

(7)成清加奈子「ハートのピアス」(作詞:三浦徳子、作曲:井上大輔)

 

 

1984年9月放送。成清さんの新曲として8月25日にシングル盤が発売されています。歌詞カードには「NHKレッツゴーヤング オリジナルソング」と明記されていました。いかにも夏の終わりのお茶の間感を醸し出すオールディーズ風ナンバー。1960年代後半に流行した、グループサウンズ(GS)風の曲を歌うソロシンガー(黛ジュンさん、いしだあゆみさんなど)を形容する「ひとりGS」ならぬ「ひとりロネッツ」でしょうか。この時期のレッツヤンオリジナルコーナーでは「エイティーン・キャンドル」と続けてハートブレイクソングを歌う格好で、当時のレッツゴーヤングをある意味象徴する曲です。もちろん私も大好きで、

 

♪Tell me darling 言えないわよ Kiss me darling できないわよ Hold me darling 風が見ているから~

 

のコーラスは見るたび一緒に歌います。

成清さんは真っ赤なフレアースカートに大きなリボンという、アメリカングラフィティ風いでたち。ピンクのミニ衣装もあります。もちろん耳には赤いハートのピアスを飾っています。歌では最初に海へ投げ捨てていますが。後から来る人が怪我しかねません。ちょっと不用意な主役で、だからふられるのです。日本舞踊もバレエも得意だそうで、歌の終わりに思い切り脚をあげています。

成清さんは視聴者にも人気があって、マイ・レタリングのハガキが幾度か紹介されました。そういえば高橋さんのものは見た覚えがありません。

 

 

(8)高橋美枝「Oh!多夢」(作詞:伊藤アキラ、作曲:小坂明子)

 

 

 

 

1984年10月放送。11月末まで毎週歌っていました。歌謡ポップスチャンネルで、今でもよくかかります。

この曲大好き。何よりも苦手な蒸し暑い日が年々増えていくにつれて、さらに好きになりました。

シンセサイザー、電子キーボードを駆使した、1980年代半ばのかおりが立ち上るサウンドです。

Autumn(秋)を「多い夢」と読み下し、夢が多いからmany dreamsをサビに使うというアイデア。

まぶしく開放的な恋の夏に対して、秋は何となく物悲しいイメージがあるけれど、十分楽しめるし青春できる!という前向きな曲です。よく晴れた高い空の下で聴きたい一曲です。この曲もカラオケで歌いたい!

 

「ふたり」のシングル化で借りを作ってしまったとソニーの人が反省したのか、この曲はキャンペーンにお金をかけました。

まずレッツヤンオリジナルに指定して、秋が終わるまで毎週歌わせます。

しかも衣装を毎回変えています。「ひとりぼっちは嫌い」や「エンゼル・フィッシュ」では1着しか作ってもらえませんでしたが、さすがにかわいそうと思ったのでしょうか。白いプリーツスカートの衣装が一番好きです。

オリコンウィークリーでも1面全体を使って広告を出しました。

髪は切らないほうがよかったと思います。♪髪を切りすぎたね、まるで男の子だよ~(「乱れ髪」作詞:松本隆、作曲・歌:大瀧詠一)を思い出すではありませんか。

高橋さんはこの曲でも一番高い音で声が裏返ることがよくありました。「ひとりぼっちは嫌い」の記事でも書きましたが、声の芯が安定しなかったことが残念でした。

 

画像のコメントには何やら不穏な話があるようですが、高橋さんは番組でしょっちゅう「ひとみさん、ひとみさん」と言っていて、石川さんのラジオ番組にもメッセージを送っていて、お姉さんのように慕っていました。

 

 

(9)中村成幸「瞳・Something」(作詞:三浦徳子、作曲:新田純一)

 

 

1984年10月放送。「Oh!多夢」と続けて歌われていました。マイケル・ジャクソン張りの踊りにキレがあります。前述した、ファンによるコールもさえわたります。レッツゴーヤングの観覧はハガキ申し込みによる抽選制ですが、中村さんファンはどれほど出していたのでしょうね。この曲でデビューさせてもよかったのではないかと思われますが、売り出し方針に迷いがあったのでしょうか、1984年中のデビューは見送られました。

 

 

(10)新井由美子「ピンクの花粉」(作詞:森雪之丞、作曲:馬飼野康二)

 

 

1985年1月放送。

1985年に入ると、構成がマイナーチェンジしました。

サンデーズボックスに「なぞなぞNo.1」、「見て当てゲーム」という企画が加わります。

この2つのコーナーはゲストを参加させて、太川さん石川さん司会でゲーム方式が採られました。

「なぞなぞNo.1」は、視聴者から送られてきたなぞなぞネタを出題して、ゲストに答えてもらう企画。

「見て当てゲーム」は、他局の人気番組の類似企画ではありましたが、歌のタイトルにちなむマンガを見せて、その曲名を当ててもらうゲームです。ゲスト4人に出てもらい3問出題、答えられた人から退場して、最後まで残された人が罰ゲームとして何か芸をします。石川秀美さんが最後まで残ることが二度続いたので、次に「秀美ちゃんはできないだろう」という読みを前提にして、第3問を秀美さんの歌にして出題したら、第1問で真っ先に正解されて、太川さんも石川さんも動揺を隠しながら進行を続けた…ということもありました。

 

その時期のレッツヤンオリジナルがこの曲でした。今思えばすごいタイトル。新井さんのデビュー曲として2月5日にシングル盤が発売されています。ホリプロのタレントスカウトキャラバンに出たそうで、この方もホリプロです。歌手としては音痴さんに近いほうかな、歌声も楽曲も高橋さんや成清さんのような説得力を持ちません。次の曲「マイ・ボーイ」もレッツヤンオリジナルを予定していたようですが、番組がリニューアルしたこともあってかなわず、歌手活動はシングル2作で終わりました。デビュー前と歌手引退後は長身を生かして、モデル活動をしていたそうです。

 

 

(11)矢吹薫「ビコーズ」(作詞:吉元由美、作曲:東郷昌和)

 

 

1985年1月放送。1984年組最後のレッツヤンオリジナルです。2月25日にシングル盤が発売されました。

これはいい詞ですね。レッツヤンオリジナルの中では一番深淵だと思います。吉元由美さんは当時新進作詞家として注目されていました。

演奏は矢吹さんの専属バンドで、ベンチャーズ風のリズムに矢吹さんが泣きのギターを入れています。