1982年10月10日放送回からの「レッツゴーヤング」は以下の陣容でした。(敬称略)

 

司会:太川陽介、石川ひとみ

サンデーズメンバー:植草克秀、佐久間レイ、今井まこと、橋本清美、湯川友晴、山本誉子、小出広美、横田早苗

 

 

(「レッツゴーヤング スペシャルグラフィティPART2」より)

 

植草さんは「少年隊」の一員として既に出演経験がありましたが、他のメンバーはほぼ新人で、実質的に植草さんのワンマンチームでした。

レッツヤンオリジナルは当面、全員でコーラスするタイプの楽曲として、メンバーによるレコーディング・新曲としての発売は想定されませんでした。楽曲には通し番号をつけて、テロップで歌詞を紹介しています。(ゲストが歌う楽曲にはテロップがありませんでした。)

 

 

(1)「50ccポマト(ゼロハン・ポマト)」 (作詞:荒木とよひさ、作曲:田辺信一)

 

新メンバーの登場初回から歌われました。イントロでメンバーが「ぼくらのステージ、ぼくらの夢、そして明日は、私たちのステージ。乗り遅れるな青春(?)、今夜もぶっ飛ばせ。レッツゴーヤング!」というセリフを叫びます。

 

曲はバリバリの1950年代アメリカンオールディーズテイスト。ゼロハンは排気量50ccの原付バイクのことですが、「ポマト」って?

当時のディレクターさんのお話によれば、「下にポテト、上にトマトが実る新種の植物」とのこと。なんじゃそりゃ。

ゼロハンは小型のバイクであることから、ポテトやトマトは「イモっぽい」「まだ青い」こと、すなわちこれから成長していく当時のメンバーの隠喩かと思われます。しかし、日暮れが早くなる季節の日曜の夕方にかかるオールディーズサウンドは、それだけでノスタルジー感に満ちていました。

 

映像はこのメンバーが卒業する回(1984年4月1日放送)で、最後の記念として歌われた時のものです。イントロのセリフはありません。

 

 

 

(2)「バイバイ・ロック」(作詞・作曲不詳)

 

私の手元には録画ではなく、1982年12月12日放送回を父のオーディオで録音したテープを後年デジタル化した音源があります。作詞作曲者の情報は、執筆時点では確認できませんでした。

 

この曲も全員コーラスで、番組途中にサンデーズメンバーが歌い、最後にはゲストも交えて全員でもう一度歌っていました。1982年下期以降ではこの時期のみ、最後の音楽が「ムーンライト・カーニバル」の演奏ではありませんでした。

 

曲はもろにエルヴィス・プレスリーサウンドです。

 

 

(3)「YesとNoの間」(作詞:三浦徳子、作曲:井上大輔)

 

 

1983年2月ごろの放送で歌われていました。この曲からソロパートが入り、植草さんが堂々と歌いこなしています。

三浦さんの詞はシンプルですが結構深く、テレビ番組使い捨てではもったいないほどのクオリティです。

 

 

1983年4月、番組は小規模なリニューアルを行いました。収録機器が新調されたようで、映像がきれいになり、音響もよくなりました。オープニング曲「ムーンライト・カーニバル」のアレンジが変わりました。ステージのセットもカラフルに変わります。作曲家・小林亜星さんが担当していた「亜星の音楽教室」のコーナーが終わり、旬のアイドルを楽しんでもらう方向に舵を切りました。視聴者からハガキを送ってもらう「サンデーズ・ボックス」がスタートして、

 

ゲストが歌う曲のタイトルロゴやイメージイラストの紹介「マイ・レタリング」

面白い標語「今週の標語」

振り返れば思わず笑えてしまう失敗談「みじめ物語」

だじゃれネタ「だじゃれNo.1」

アイドルに似ていると言われている、視聴者の身近な人の写真紹介「そっくりフォト」

アイドルを象徴するキャッチコピー、それもプロの人が作るものとはひと味違う、お笑い要素を含めた作品を送ってもらう「レッツヤン・コピー」

 

などのコーナーが始まりました。今見返すと、マイ・レタリングが紹介される曲は作詞・作曲者名が画面に出ないことがあり、やや不便です。

 

 

(4)「Happy Wedding」(作詞:三浦徳子、作曲:網倉一也)

 

 

1983年4月放送。植草さんがメインボーカルです。レッツヤンオリジナルの中でも一番盛り上がる曲で、会場のお客さんが一斉に「Wedding!」と叫ぶ様は当時の名物でした。皆さんまだ10代で結婚には早い年頃ですが、三浦さんはあえて狙ったのでしょう。

 

1983年4月に湯川さんがサンデーズを脱退、5月末ごろ代わりに山口健次さんが加入します。

 

 

(5)おしゃべりプリンセス(作詞:さがらよしあき、作曲:小林亜星)

 

 

1983年6月放送。メンバーの中で一番高く、甘い声を出していた山本誉子(やまもとたかこ)さんがメインボーカル。「アニメ声」のはしりかもしれませんね。

 

 

(6)「打ちあけ話」(作詞・作曲:竹内まりや)

 

 

1983年7月放送。サンデーズボックスの「だじゃれNo.1」担当で、視聴者から送られてきた、すべるだじゃれのハガキを読んでは「どんどん送ってくだじゃれ!」で締める佐久間レイさんがメインボーカルです。CS放送「歌謡ポップスチャンネル」で、時折かかることがあります。

 

作詞作曲は、楽曲提供活動に専念していた頃の竹内まりやさん。まだご自身の活動再開前です。

坂本九さんの日本語カバーで有名な「ステキなタイミング」を思わせるメロディーに乗せて、結構長い、ひとつのストーリーをなしている詞が歌われます。冒頭は松本隆さんが書いた「赤いハイヒール」(作曲:筒美京平、歌:太田裕美、1976年)の♪ねえ、友だちなら聞いてくださる~を思い起こします。

 

主役がひそかに思いを寄せている相手から呼び出しを受けて、カフェに行ってみたら「好きな人(主役の友人)に、この手紙を渡してほしい。」という依頼。ふられたかと思いきや、あえて明るくはしゃいでいたらそのまま話し込んで、相手は主役のほうが好きになって、めでたしめでたし。若き日のまりや節全開。手紙は主役の友人には渡らず、二股未遂で済むというところまで計算されています。

 

途中のコーラス、♪早く元気を出して、忘れた方がいいよ~ にもチェックです。

竹内さんは翌1984年、薬師丸ひろ子さんに「元気を出して」を書き、やがてご自身の代表作になりました。

レコードにして売るための歌を作るにはいろいろな制約があったでしょうが、この曲はテレビ専用という発注で、竹内さんはかなり自由に作れたように思えます。

 

♪彼は何て言ったの?その先はどうなるの?

 

の合いの手で、コーラスをつけている他のメンバーが少しずつ近寄って、それに合わせて佐久間さんがバックする振り付けは相当練習したはずで、コンビネーションの良さが光ります。

 

ついでに、佐久間さんが喜んだ「だじゃれNo.1」の作品を2本。

 

「レイちゃん、ずぶ濡れだ。…うん、びじょびじょ(美女)。」(1983年7月)

 

「礼儀の正しい佐久間レイ。」(1984年1月)

 

 

(7)「僕のニューフェイス」(作詞:三浦徳子、作曲:網倉一也)

 

1983年9月放送。今井さん・山口さん・植草さんの男子3人が1フレーズずつ交互に歌い、サビのコーラス

 

♪僕のNew New New Face~

 

で女子が参加するスタイルです。

この曲も歌謡ポップスチャンネルでかかることがあります。

 

1983年9月25日放送回限りで小出さんがサンデーズを脱退。この時はメンバー補充が行われず、8人組から7人組に変わりました。

 

 

(8)「黄昏ファースト・ラブ」(作詞:湯川れい子、作曲:タケカワユキヒデ)

 

 

1983年10月放送。この曲も歌謡ポップスチャンネルでかかることがあります。

メインボーカルは橋本清美さん。当時ホリプロ所属で、いかにもホリプロのお顔立ちです。

太川さんはなぜか橋本さんのことを男の子扱いしていて、MCで脱線発言をするたび、石川さんに「ダメですよ、そういうこと言っちゃ。」とたしなめられていました。

この曲では間奏で、バンドマスター高橋達也さんが登場してサックスのソロ演奏を聴かせる場面が見どころです。

 

 

(9)「ジェラシー・パレット」(作詞:三浦徳子、作曲:網倉一也)

 

 

1984年2月放送。このメンバー最後のレッツヤンオリジナルです。メインボーカルは植草さん。今井さん、山口さんのソロパートもあります。「Happy Wedding」「僕のニューフェイス」のコンビによる楽曲で、この曲でも三浦さんらしく、青春の痛みが歌われています。

 

全体として、初期はロックの古典を擬したハードなサウンド、後になると60年代風のキラキラしたサウンドの曲が歌われました。