副首都法が成立した。その直後、吉村洋文・大阪府知事は、来年の知事選と大阪都構想の住民投票を同日に実施したいと発言した。そのニュースを見た瞬間、ああ、このやり方かと思った。

 なぜ、この同日実施が問題視されるのか。知事選の選挙運動が、そのまま都構想への支持集めにもつながると指摘されているからだ。

 実は今年1月にも、よく似た指摘があった。吉村氏は任期途中で辞職し、衆院選に合わせて出直し知事選に打って出た。17日間の知事選のうち12日間は衆院選と重なり、本来の衆院選よりも長い期間、維新をアピールすることができたと指摘された。前回も今回も、違う制度を重ねることで、自分たちに有利な政治的効果を生み出そうとしているように見える。

 同日実施には、有権者の負担軽減や行政コストの削減という理由も挙げられている。ただ、この一年の一連の動きを見るとまず実現したいことがあり、そのためにやり方を選んでいるようにも見える。

 さて報道を読み比べていると、各紙に共通していた言葉がある。「大阪ありき」だ。本来なら、副首都を議論するなら最初に問うべきは、「日本に副首都は本当に必要なのか」である。必要だという結論になって初めて、「では、どこが副首都にふさわしいのか」を考える。その結果、大阪が選ばれるのであれば筋は通る。

読売新聞は「維新の姿勢が露骨すぎる」と断じた
 しかし今回は逆ではないか。読売新聞は社説で、「大阪を『副首都』にしたいという維新の姿勢が露骨すぎる」と断じた。「大阪ありき」で進められ、都構想に弾みをつける思惑があからさまだと指摘し、災害対策を口実に国費を大阪の振興に呼び込む狙いも透けて見えると批判している。結局、「大阪ありき」という姿勢は、「我田引水」という批判にもつながっている。

 そもそも大阪都構想そのものも、「都構想ありき」の歴史だった。住民投票で否決されても、時間を置いて再び言い出す。今度は副首都法を追い風にしようとしている。

 ここで思い出したのが「脱法」という言葉だ。昨年末、維新議員による「国保逃れ」が問題になった。一般社団法人の理事となって社会保険に加入し、高額な国民健康保険料を抑える仕組みだった。「身を切る改革」を掲げ、厳しい改革を他党にも国民にも求めてきた政党が、自らは制度の抜け道を利用していたのである。衝撃的だった。