こちらのお話は、
必ずめでたしめでたしにはなりますが
明るくハッピーなものではありません(>_<)
そういうストーリーは苦手だな、と思われる方は
ご注意ください
でも、もしお読みいただけたら
とてもとても…嬉しいです
雪深い森のなかの小さな村に、更に小さな町があった。春に憧れる町、という異名でも呼ばれているほど、そこは一年中吹雪が舞っている。
動物たちもほとんど見かけることもなく、常に湖も川も凍っており、作物を育てることが難しい土地であるために、町を支える産業と言えるものもない。
男たちは出稼ぎに出て、女たちは編み物でタペストリーやブランケット、コートなどを作っては物々交換をして何とか暮らしている毎日だった。
狭い町なので、住んでいる人もみんな家族のよう。おじいさん、そのまたおじいさんからの代からのお付き合い、というのが当たり前の地域で、困った時はお互いさま、と助け合うのも当たり前。お祝い事があったらみんなで喜ぶのも当たり前。新しい命が誕生したら、町をあげて祝杯をあげるのも当たり前。……であったはずだった。
そんな、気候は冷たいけれど、心根は暖かくて優しい町の人たちを見て、全てをひっくり返してやろう! と、悪魔たちが目をつけるまでは。
*
悪魔たちは、人間の不幸が大好物。幸せや思い遣りに満ちている空気を読み取ると、そこから転がり落としてやろうと企む。
悪魔にも色々な特技や担当があって、意地悪をする悪魔、嫌がらせをする悪魔、嘘つきな悪魔、病気や怪我などの災難をもたらす悪魔、仲違いをさせる悪魔、疑いの心を生む悪魔、犯罪をそそのかす悪魔、貧乏にする悪魔など、多岐に渡っている。
そして今ここにいるサタンは、天邪鬼……対象者が望むことと反対のことをさせる悪魔だった。つまり、楽しく生きたいと願っている人には悲しみを、誰かを愛したいと思っている人には孤独を味わうように仕向けることが出来るというわけだ。
ちょっとしたきっかけ。
しかしほんの些細な綻びが大厄災や戦争に繋がる。
あちこちで引き起こした混乱は類を見ず、地獄では大層評価された。
今では、サタンに憧れる悪魔も多い。
悪魔には名前がないが、地位を挙げることで授かることができ、実体化も可能となる。
悪魔が人間に干渉する方法は、実はとても少ない。人間の意識が向かないことには、関わることは許されないのだ。
天使も悪魔も、宇宙の理に従わなくてはならないという決まりがあって、その法則を越えることはこちら側にとってもリスクが高すぎるために滅多に破ることはない。
そしてその数少ない方法で、メジャーなやり方が、耳元で囁く、というもの。
現在まさに目の前で行われている。
同胞の一人である、疑いの悪魔が人間の右側に立ち、
「"お前は目の前の人間を嫌いになる。信じられなくなる"」
何度も暗示をかけるようにして繰り返す。
「……結婚を……白紙にする」
「今なんて? どうして、スティーブ……! 一生傍にいるって言ってくれた約束を忘れてしまったの?!」
男は無機質な声色で言い、言われた婚約者は顔を真っ青にして泣いた。
あくまでその人間のなかにそういった因子が存在している場合に限る、という注釈がつくことにはなるが、囁かれた者は数分前まで笑って会話していた相手に対してモヤモヤした気持ちを感じ始める、という寸法だった。
幼馴染だった婚約者に追い縋られるスティーブという男が心変わりしたということは、おそらく無自覚にその種があったのだろう。
このまま、狭い世界で外を知らずに結婚をすることへの詰まらなさや不満のようなものが。
こうやって、じわりじわりと浸食していったことで、この町の心は少しずつ蝕まれてしまった。あちこちでケンカが起きて争いが絶えず、お隣同士での会話も減り、子どもたちが一緒に遊ぶ機会も減っていった。誰かの不幸を嘲笑い、喜ぶ者まで出た。
人が変わったように鬼の形相になって互いを指さして罵り、『どうしてこれまで平気で付き合えていたのか不思議でならない』という声まで上がったほどだ。
「ああ、良い気味だ。今日もたんまり旨いごちそうにありつけた」
―不運をもたらす悪魔が、一人の若者の夢を終わらせたことで膨らんだ、丸い腹をさすりながらニヤニヤとほくそ笑んでいる。
若者は、この小さな町を出て医療を学び、子どもたちが安全に大きくなるための力になりたいと思っていた人間だった。決して裕福な家ではないため、人から譲り受けた本をボロボロになるまで読んで勉強をし、家業の薪割りを手伝いながら特待生を目指していた。
けれど、心の奥底で恐れていたのだろう。本当に夢は叶うのだろうか、お金もない今、自分が夢を追いかけることは親孝行どころか親不孝なのではないかと。
その隙に付け込んだのだ。
そして段々と、目の奥の光がくすんでいった。
もう止めた方がいいのかもしれない、意味がない……いつしか、何故自分がこんな役目を背負わなくてはならないのか、と。もっと豊かで安心な場所に生まれていたら、違う夢を持てたかもしれないのに、とまで思うようになった。
「負けてはいけませんよ。あなたは光に守られているのです。私の声を聴いて。神を信じて」
若者に覆い被さる暗い霧を払うように、眩い珠の輝きが、瞬速で包み込んだ。
大天使が、悪魔に囚われる心を掬い上げようと若者を懸命に励ましている。
だが既に時遅く、若者の表情は見るからに抜け落ちていた。光など届いていない。
「無理だ……もう、僕には何もない」
若者は両手で瞼を押さえて震えた。
悪魔は、心の闇を引き出す。
誰にでもあるその闇の隙間を見つけて、本人に対峙させる。そして、天使たちもまた、この悪魔の囁きに負けないように希望を提示しているが、拮抗状態にあるのだ。
絶望に呑まれるか、持ち堪えて乗り越えられるかは本人次第と言うほかはない。
これは、この町だけではなく、世界の全てで起きている。
「ちょっと、今あんた私のこと睨んだね? 文句でもあるの!」
「言いがかりをつけるな! 文句があるのはお前だろうが」
後方では肉屋のおかみと亭主が罵り合い始めた。あちこちから、こんな声が響き渡っている。物が割れる音、子どもが泣き叫ぶ声、ヒステリックな金切声が。
大天使が何を思ったかわからないが姿を消したのを見計らい、サタンは動いた。
悪魔の姿は人間には見えないが、抜き足差し足で近づく。まずは、夢破れた若者に。呆然とした表情で天井を見つめている彼の耳元へしゃがみこむ。
右ではなくて、左の耳元に。
そうしてサタンは左手を自らの口に添え、スウっと空気を吸い込み、言った。
「“お前が聞いたことの全ては、嘘だ”」
サタンが左耳に向かって何度も繰り返すと、若者の身体がピクリと動く。
「“お前が感じたことの全ては、まやかしだ”」
更に繰り返すと、虚ろだった眼差しに生気が戻る。
「“自分を疑え”」
最後に一言付け加えると、若者はもう何年も息をすることを忘れていたかのように、ふーっと長く息を吐きだし、そして同じだけ長く吸い込んで、涙を流した。
サタンはこの様子を見て立ち上がり、若者の傍を離れる。そして次はあの肉屋の夫婦にも同じように左耳に向かって囁く。
「……ごめんよ、あんた。つい口が滑っちまって」
「俺も、すまなかった」
二人が我に返ったように目を瞬かせたのを見計らって、立ち去った。
サタンの能力の天邪鬼、という力。
逆のことが出来るし、反対のことを起こすことが出来る。彼らが右耳から囁かれた暗示を、左耳に向かって同じ文言で囁くと、リセットされるのだ。完全に解除されるかどうかは、本当にその人間次第だけれど、多くが戻って来る。
一番最初の、純粋な心の望みに。
最初に仲間の悪魔から、全ては嘘だ、まやかしだ、自分を疑えと暗示をかけられた若者は、自分の志を信じられなくなり、何故ここまでして頑張らなくてはならないのかと憤りを覚えた。
そして今、左耳から同じ言葉をサタンから再度聞いたことで、その反対のことが起きた。
彼の中で、真実と事実がぶつかり合ったのだ。確かに、家業を手伝い、寝る間を惜しんで勉強し、頑張ることに疲弊していたのも本当だろう。けれど、その過酷さに負けないで追いかけたかった夢が生まれた理由を、若者は思い出したのだろう。どうして自分が、医者になりたいと思うようになったのかを。
「お兄ちゃん……お話して」
「……あ、ああ。わかったよ、メリー。何がいい?」
なるべく陽が当たる場所にと選ばれた部屋のベッドに横たわる、小さな妹。もうすぐ5歳になる妹は、生まれつき心臓が弱い。
「魔法使いさんのお話」
「またそれがいいの? メリーはこの話が好きだな」
ケホ、と空咳を一つしてねだる妹の声に、若者は頭を左右に振って、ぼうっとしていた気持ちを立て直して笑った。
絵本は特に貴重品なので、あまり買えない。その代わりに、兄である若者……クロースが、妹を励ますために創作話を即興で話して聞かせていた。
中でも、空を翔ける魔法使いが雪と共に舞い降りて来て、みんなの願いを一瞬にして叶えてくれる、という奇跡のような話が大好きで、毎晩それをせがんでいたのだ。
「だって、魔法使いさんが来てくれたら、何だって出来るんだよ」
大きな目でクロースを見つめるメリーに、クロースは頷いた。魔法使いがもしもいてくれるなら、自分が医者を目指す前に、お前の身体を元気にしてくれるだろうと。
「みんなを仲直りさせてくれるでしょう。おじいちゃんもおばあちゃんも、お向かいのお姉ちゃんも、リリアも、マイクも、みんな大好き。みんな本当は、ずっと仲良しだもの。それに、お兄ちゃんも元気になるよね」
クロースは、言葉を失った。
町中からあがる不協和音を聞かせまいとしていたのに、メリーは気がついていたのだ。外へも出られず、ベッドの上から動けないでいるはずなのに、聡いこの子はわかっていたのだと。
「そうだね……じゃあ、魔法使いさんのお話をしよう。その代わり、スープと薬をしっかり飲んでからだ」
「うん、わかった」
「えらいぞ」
少ない野菜を出来るだけ細かく刻んで煮込み、消化しやすく身体を暖めてくれるスープ。食欲の湧かないメリーの口元までそうっと木のスプーンを運ぶと、大きく開くのも大変な口を動かし、美味しいと笑った。
サタンは、悪魔だ。
こういう、貧しくて、病に伏せる子どもがいて、明日を迎えることも難しいような家族なんて、好物でしかない。
現に、この家は複数の悪魔に魅入られていた。そのせいで、貧しさはより厳しくなり、病は更に重くなり、クロースは唯一の希望を手放しかけていた。けれども、命の灯も、家の灯も尽きかけているのに、ギリギリのところで保たれているのは、メリーが、どうやっても闇に呑まれないからだった。
どの悪魔が、なんと囁こうとも。
絶対に自分は助かる、と信じているわけでもない。元気になれると夢見ているわけでもない。それなのに、少女は希望のなかにいる。幸せのなかにいる。これが綺麗事であるならば、どこかに無理や嘘があるならば、悪魔はそこに入り込める。しかしそうじゃなかった。
大好きな父と母と兄がいて、今日も目が覚めて、夜には星を眺められる。兄が語って聞かせてくれるお伽話がある。たくさん食べられはしないけれど、まだ食べ物の味がわかる。鳥たちの囀りが聴こえる。嘆くことなど何もなかった。
疑うものなど何もなかった。
だから、つけ入る隙がなかったのだ。
誰もが持っている健康を持っていない。自由に遊べる身体も自由もない。それでも、メリーは楽しかったからだ。
大人になれないかもしれない未来より、今のこの喜びに満たされていたからだ。
サタンはメリーを見つけた時、とても苛立った。綺麗なものは、不快だ。自分の汚れが一層濃く感じるからだ。
誰よりも率先して、メリーを泣かせてやろうと思ったほどだ。サタンは、天邪鬼だから。
それでも、出来なかった。
そして、自分の存在に疑いを持ってしまった。
どうして、自分たち悪魔は存在するのだろうかと。人間を闇に引きずり込んで、嘆き悲しむ姿に高笑いし、絶望の渦を大きくすることで力を増大させる。天使を出し抜いてやったと勝ち誇り、また餌食となる対象を探す。
それは、本当に満たされる行為だったのか。
いや、ますます飢えや乾きが酷くなるばかりで、ちっとも腹いっぱいになどなりはしないから、自分たちが自らの首を絞めているから、こんなことを繰り返しているのではないかと、疑いの心を持ったのだ。
サタンの力は、己にも及ぶ。
疑いの心を持ったということは、自分自身を真っ向から否定したのと同じこととなる。気づけば、仲間たちのかけた呪いを、暗示を解くという禁忌を犯し始めていた。
「“お前は、生きる意欲が減る”」
メリーの左の耳から、今日もサタンは囁く。
「“明日を迎えられない。大人になれない。身体が辛くてもう逃げてしまいたい”」
繰り返し繰り返し、言い続ける。
「ねえ、お兄ちゃん……」
「うん? どうした、メリー」
「魔法使いさんはね、真っ赤なお洋服を着ているのよ」
「そうか。魔法の杖は?」
「ううん、ないみたい。大きなお腹と、大きな身体」
「女の人じゃないんだな」
サタンは、驚いて両手で口を塞いだ。
何故なら、見えていないはずの自分の姿を、メリーが視認していたとわかったからだ。
悪魔の食事は、人間の苦しみや不幸だ。
自分たちがかけた暗示が成功すると、相手の精気を吸い込める。
でも反対に、上手くいかなくても腹は膨らむ。飢えた子どものように、腹だけが大きくなるのだ。
その上、サタンの手足は赤く染まっている。
嘘をついているせいだ。
真っ赤な嘘、と言う言葉がある。これは、この現象を表したものだ。
サタンは相手の望みと逆のことをして不幸にすることで存在している悪魔だ。その真逆のことをしているということは、自分に嘘をついているということになる。
左耳から、人間に解除の文言を囁くごとに、サタンの身体は赤くなっていった。
隠すために布を纏ってみたりもしたが、その布まで赤く染まってしまう。おそらく、仲間たちに気づかれるのも時間の問題だろう。そうなれば、悪魔としての仕事を放棄した自分は処罰されるか、最悪は消去される。
メリーはあの世とこの世の境目にいるということもあるが、人間に姿を見られ始めるというのは、もうこれが最終段階にまで来ているという証でもあった。
「おやすみ、メリー。良い夢を」
魔法使いの話を終えると、そっとメリーの頭を撫でて、弱くなった暖炉の火を消さないよう、出来るだけ薪を用意すべくクロースが部屋を出て行く。メリーは、瞼を閉じて静かに呼吸をしていた。
「私の、お迎えに来たの?」
ドキリとした。
メリーが突然、しっかりとサタンと目線を合わせて訊ねて来たからだ。
ここには、自分以外もう誰もいない。そして、存在に気づかれている。ならば、こちらに質問しているのだろうと必然的にわかる。
死神だとでも思われているのかもしれない。
当然だろう、と自嘲した。
「いや……俺は」
無視をすべきところにも関わらず、サタンは応えてしまう。
メリーは、瞳を輝かせて笑った。
「あなたが来てくれるようになってから、私、元気になって楽しくなったの。もしかしたら、神さまが遣わしてくださったのかなあ、って思ったわ。私がもう少しで死んでしまうから、願いを叶えに来てくれた魔法使いさんなのかもしれないって」
「え?」
メリーは痛みを堪えるように少し歯を食いしばりながら上半身を起き上がらせて、枕の下から紙を取り出した。
そこには、真っ赤な服を着た奇妙な物体が描かれていた。
「絵を描けるようにもなったんだよ。クレヨンを握る力も入らなかったのに、すごいでしょう……? ご飯も少しだけど食べられる。出来ることが増えたの」
ありがとう、とメリーは笑った。
「外を見ていたら、灰色の煙みたいなのがあちこちに浮かんでいて、みんなの傍にくっついていたの。そうしたら、ケンカばかりするようになっちゃった。私は元気になったのに、みんなは元気がなくなっていった。だから、私が奪ってしまったのかなって」
「違う!」
サタンは、咄嗟に声を荒げて否定した。
メリーはキョトンとした顔で見ている。
「お前は、何も悪くない。お前が奪ったんじゃない」
「……そっか。良かった」
また、悪魔らしからぬことを言った。
顔まで赤く染まる。悪魔、という存在にそぐわない嘘をついたからだ。
「だから私ね、魔法使いさんにお願いをしたいの。あの灰色の煙が、みんなを笑顔にするお星さまに変わるように……」
メリーの描いたその絵には、紙いっぱいに星が煌めいていた。赤い自分とまるで似合わない、美しい、それは綺麗な夜空だった。
「出来る?」
「……ああ、出来るさ」
サタンはまた、嘘をついた。
出来るというのは本当のことで、しても良いかと言うとそうではない。目の前の景色も、真っ赤に染まり始める。メリーに見えないよう、顔を逸らした。
「本当? ありがとう……! ねえ、魔法使いさん。あなたのお名前を教えてくれる?」
「名前なんて、知らなくてもいいだろう。知る必要もない」
「そんなことないわ。私の願いを叶えてくれる、素敵な魔法使いさんだもの」
メリーの声を聞いているだけで、胸を掻きむしりたくなる衝動に駆られる。外へ出るために窓枠に手をかけた。
「待って! これ、あげる。私からのお礼よ」
メリーは、ベッドの横にある古いテーブルに置いてあったホットミルクとビスケットを差し出した。
「礼なんて要らない。そんなもの、俺は嫌いだ」
間髪入れずに、冷酷無比な声色で切り捨てる。
あべこべな言葉が、やっと上手く口から滑り出てくれたことにサタンはホッとした。
これは、メリーが少しでも栄養を摂れるようにとクロースが用意したものなのだ。
そして菓子は贅沢品だった。
「美味しいのよ。じゃあ、半分こならいいでしょう? ね、はい」
メリーはそれでも気にせず笑って、ビスケットを割ると、小さな欠片のほうを自分の口に入れて、大きな片方をサタンによこす。
「身体が暖まるから。魔法をかける前に凍えちゃったら大変だもの」
ふうふうと息を吹きかけてミルクを一口飲み、メリーはこれもまた差し出した。
渋々受け取って口に含む。
感じたことのない、甘くて柔らかな味がした。
生涯縁のない、縁があってはいけない温もり。
毒だった。
サタンには、悪魔には猛毒でしかない。
唇が、手が、足が、ないはずの心臓が、腹の奥が震える。
「……サタン。俺は、サタンだ」
カップをメリーの手に戻し、サタンは空を見上げる。
メリーが明日の朝、目を覚ました時には全てを忘れているだろう。覚えていたとしても、夢だと思い薄れていくに違いない。
サタンと関わったことも、こんな願いを悪魔に望んだことも、何もかも。
名乗るのは命取りの行為だ。
悪魔祓いではこちらを支配し、神に縛り付けるために名前を引き出させようとする。だがそれもいいか、とサタンは口角を上げる。
「サタ……」
「黙れ」
悪魔の名前は、普通の人間には呪詛になる。
メリーを脅かすように制して外に出ると、ビュウウウという大きな吹雪く音がひときわ大きく鳴った。
サタンの心は、どこか満たされていた。
こんなことは初めてだった。消滅は免れないが、清々しい気分だった。
禍々しいエネルギーが、サタンがこれからしようとしていることを察知したのか、四方八方からものすごいスピードで近づいてくる。仲間たちだ。時間がない。
口元に左手を当てる。
「“この町に、大きな不幸が毎日起きる。永遠に悪魔が跋扈(ばっこ)し、命を貪り尽くす。皆、混乱し希望を失う。夢を壊し、互いを貶め合う。救いはない。上手くいかない。未来はない。愛などない。信頼はない”」
はっきりと言葉にすると、天空から黄金の巨大な光の柱が降りて来た。
赤や緑に輝くカーテンに似たオーロラが、空一面に広がる。
光の柱はサタンを含め、仲間たちを呑み込み、大きな風を巻き起こして渦となって回転し、上がって行く。
断末魔の叫びが木霊し、やがて嘘のように静かになった。
身体中が燃えるように熱くて痛い。業火に焼かれる魂は、こんな痛みを味わうのかもしれないと思う。
キラキラとダイヤモンドのように舞う雪の眩しさに、どこか落ち着いた心持ちで手を伸ばす。もしかすると、他の悪魔たちも同じなのかもしれない。焼かれて滅びようとしているのに、やっと楽になれると安堵するような……
あちこちの家から、灰色の煙が吸い取られていく。
駆けつけた大天使たちが驚愕した顔をし、サタンに向かって声を張り上げているのが視界の端に見えた。
ーーありがとうーー
耳を疑うようなそれに、何とも前代未聞なことだと、サタンは開けているのもしんどい瞼を、ようやく下ろしていった。
*
「メリー、おはよう! 今日は珍しく良い天気だよ、雪も止んで……メリー?」
翌朝、クロースがメリーの部屋に入ると、メリーは窓際に立ち、涙を流していた。
起き上がって大丈夫なのかと慌てて駆け寄ると、メリーの顔にはツヤがあり、心なしかふっくらとしている。
「お兄ちゃん、魔法使いさんが来てくれたよ」
「魔法使い?」
「そう。私に、私たちにプレゼントをくれたの」
一緒になって外を覗き込むと、道端のあちこちで人々が笑顔で挨拶を交わし、子どもたちが走り回っていた。
もう数か月、見ることのなかった和やかな光景に、クロースは目を瞠る。
「一緒に、オーロラをソリで渡ったの! 流れ星が落ちてきて、みんなの家に贈り物をして回ってね」
年相応にはしゃぎながら、メリーはクロースに、絵を見せる。
「サタンさんって言う、赤くて優しい、魔法使いさん」
渡された紙とメリーが口にした名前に、クロースはハッとする。
サタン、というのは、有名な悪魔の名だ。
ここしばらくの間の街の人たちの異変は、言われてみれば説明のつかない何かに囚われていたようだった。
「……良かったね。本当に良かった、メリー」
メリーが会ったのが誰かなどわからない。
けれど本当に、魔法のようなことが起きたのかもしれない、とクロースは思えた。
自分の心の軽さもまた、昨日とは全く違うのを感じていたからだ。
そして、花などどこにも咲いていないのに、あちこちにカラフルな花弁が落ちている。
そうまるで――春が来たように。
赤い身体をした摩訶不思議なその姿の下には、スペルを間違えたぎこちない字で、こう書かれていた。
“SANTA”
―サンタ
春に憧れる町、と呼ばれる小さな町……クリスマスタウンに起きた突然の試練は、いつの間にか、この真っ青な空のように、綺麗に晴れていた。
*
これは、かつて悪魔だったサタンが、メリーの魔法でサンタさんに変わってしまったお話。
どうして今は世界中にプレゼントを配っているのかって?
ほら、思い出してみて。
サタンは天邪鬼。
あべこべな真逆のことを起こす悪魔。
世界中の人を不幸にした分、みんなを幸せにしたくてたまらなくなったんだって。
ほんの少し意地悪で、ほんの少し嘘つきで、ほんの少しヘソ曲がりで、ほんの少し怒りっぽい……そんな、風変わりなエルフたちと一緒に。
“あの灰色の煙が、みんなを笑顔にするお星さまに変わってくれますように”
メリーが願った、みんな、の中には、灰色の煙――悪魔たちもまた入っていたのだから。
Satan closes to my town
毎度お馴染みチリ紙交換の
私のいつものやつです
クリスマスってだけで何回書くんだ。
これは、
数年前に某界隈に
『サンタはサタン』説があると知り、
そんなことないもん!サンタさんはいい人だもん!
と否定せずに、←イラっとする言い回しすんなよ
ならば、
悪魔なら それも良かろう ホトトギーース!!!
と、そのままサタンさんを幸せにしたろーやないか!と
燃え上がってネタを思いつき、
放置してしまっていたものです
お決まりのパターン、
飽きてないよ♡読みたいよ♡と
おっしゃってくださった優しい皆様のおかげで
めっちゃ久しぶりにお話を書けました(´;ω;`)
ありがとうございます(涙)
オラクルストーリーじゃないんかいって
がっかりしてくださった皆様が
万が一いらしてくださったら…
すみません( ;∀;)
サンタさんだろうが
サタンさんだろうが
どっちでもいい
みんなみんな幸せでありますように♡
最後までお読みくださった皆さま、
本当にありがとうございました
Merry Christmas