大事な後輩の一人がパンクしたという連絡が入った。
四つ下の後輩はめちゃめちゃできるヤツで、勉強についても人付き合いについても物事に対する心構えも立派なヤツだ。
もう、私の何千倍とすごい人間になる素質を持っている。
けれど彼は、やりたい事と、やらなくちゃいけない事に追い詰められて、ついに布団から出られなくなり、お母さんと喧嘩してしまったそうだ。
それを見ていて私は、過労死ってこういう事の発展版だろうなぁ…と思った。
私は、人には人工(自分で制御できる理性など)の部分と自然(自分ではどうにもならない心とか体)の部分があると思ってる。
心と体は別物か否かだとか、いつから人は理性を持っているのかとか、そういった話は置いといて、とりあえず上記の認識で人間を捉えてほしい。
で、人工部分はやらなくちゃいけない事とか、やりたい事とかを”やろうと考えて”その通りに実行する。
その時、疲れた。とか、やりたくない。とか、辛い。めんどくさい。とかの自然部分は人工部分によって抑えられる。
例えば、この子は私の親友で一緒にいると落ち着くはず、楽しいはずだから、なんか今日の待ち合わせには行きたくない気もするけど行こう!こんな気分なのは、どうせ、ちょっと寝不足かなんかでしょ。
と、いうとき、確かに待ち合わせに行きたくない気分なのは、寝不足で眠たいからかもしれない。
でも、もしかしたら、なんとなく最近親友に彼氏ができてその話ばっかりするもんだから、ウンザリしている自分がいるからかもしれない。
ちょっと今日は親友とは会いたくない自分がいるのかもしれない。
確かなのは、理屈では説明できない自然部分を、人工部分が作った理屈で押さえ込んで、行動しているという事だ。
色々頑張った末、不登校になったり、過労死したりしてしまう人は、この人工部分が自然部分よりもかなり強いんだと思う。
人工部分が、自然部分を押さえ込んで押さえ込んで無視し続けた結果、自然部分が噴火してしまった具体的状態が、倒れたり、鬱になってしまったりという事なんだと思う。
じゃあ、人工部分が悪いのかと、そういうわけじゃなくて、やっぱり社会で生活をしていく上で、理屈で自分の気持ちを抑えるという事は大切な能力だと思う。
人工部分が強い人は、仕事もできるだろうし、生き方に安定感があるんじゃないだろうか。
ただ、極端にいきすぎちゃうと良くないわけで、やっぱり自分の自然部分の事も気にかけて労ってやらないといかんと思う。
逆に、自然部分が強い人は、なんとなく人として信用がならんとか、不安定さによって人に迷惑かけたりする事が多いと思う。
けど、調子のいい時は他人が思いもよらないような事ができたり、人に圧力を与えたりはしないんじゃないかと思う。
これも、極端にいきすぎちゃうとよくなくて、自分の自然部分の動きに注意して、言葉で表したりする事で、天気予報をするみたいに、ある程度自然部分を理解して予測することが必要だと思う。
どちらも一長一短な訳だけど、たぶんこの先ずっと生きていけば、なんとなく両方が丁度いい按梅で存在するようになると思う。
うーん。しかし、生きるのっておもしろいけどむずかしいなぁ…。
大丈夫かなぁ…後輩。
変に自分を矯正しようとしていい(=極端、才能ある)とこ無くさなきゃいいけどなぁ。