アドラー心理学が面白い!!!

全ては自己決定ってのがとてもよかった、

例えば何かに悩んでた時、その悩みが発生しそしてその悩みが続くのは
自分に嘘をついてるから。

例えば
上司が怖い。だとしたら
なぜ怖いのか、
それは自分が失敗するかもしれないから。
なぜ失敗するかもしれないのか、
きちんと仕事の準備をしてないから。

的な感じで他者に責任転換してる。
自分の人生を責任転換してる人に幸せは来ない。
自己決定してないから悩む。
きちんと仕事をしよう!する!と自己決定してれば悩んでない。

で、それでいうと
不安は自分で作ってる。

アドラー心理学は目的論を推奨。
皆人間は意味を持って生きている。
全てのことは自分で意味を作り出している。

決定論や原因論とは逆!
私はどっちかというと後者だったからハッとした。

だから現実は必ず自分の意思決定のもとにあって、
だから過去って概念はない、
よってトラウマも生まれない。
私にトラウマがないのはこれだ!って思った。
人生辛いことは沢山あったが、
自分の選択でトラウマを持っていないとはっきり言える!!!
トラウマも自分がそれを持つと決めてその目的を達成しているだけ。

例えば親の離婚のせいで自分は結婚に夢を持てないと思う人と
親の離婚があったから自分はもっと良い家庭を作ろうと思う人。

現実は同じ出来事だけど、
解釈によって全く違う生き方になる。
ってことは人生の幸不幸は自分で決められるし、
それは現実に起こることはさほど関係ないとも言える。

自分が今幸せなのは目的が明確であるからだって言える!!!


あとは共同体感覚もとても良かった!!
私がバービーを見た時、??って思ったのは、
自分軸で生きよう!好きに生きよう!他者は関係ない!って感じで
そうなのか?って思ってた。
アドラーではやっぱり他者がいてこそ自分があるだった。
人は全体の一部であって、全体があるから生を感じる。
自己決定してなく他責で、そして悩みの根本が自分の劣等感ならば、
その劣等感を軽減する正しい方法は他者貢献を意識すること。劣等感は他者からくる。
自分自身にしか関心をもたないのではく仲間に関心を持つこと。
他者は敵ではなく仲間。
自分は他者に何かしらの貢献ができるはずだと思うこと。
だけどそれって目に見えるメリットだけではなくとも、
ただあなたがそこに存在してくれているだけで他者貢献になる。
ただそこに生きていてくれるだけで価値がある。
この意識を人間みんな持ってればもう少し幸せかもって思った。
そして、他者がいてこその自分、
他者に関心持たずして豊かな人生は送れないとも言っててほんとにそう思う!!
この共同体感覚はなぜか私もある。
皆が尊い存在、人の悪口は言わない、他者を尊敬する、誰にでも人に優しく接する。
人間関係で悩んだ事が一度もないのは間違いなくこれである。


そして、
他者に優劣はない、だからこそ褒めたり叱る行為するべからず。
だけど○○してくれてありがとう、○○するとよりうまくできるかもしれない、ってアドバイス。これが必要。
それは子育てにおいてもそうで、
子どもは自分にとって他者である。
だから親を従順に盲信する必要もない。
だから過度に他人の事を自分ごととして捉える必要もない。
お互いの存在が対等であるべき。
この点でいえばギ親やオットーはこれだ!!!!って思った。
アドラー読んだ?ってくらいこれ。
子どもはあくまでも他者で子ども達にの問題は自分の問題ではない。
だから心配しても悩むこともない。
彼らにギはきちんと自己決定させている。
先回りして過度に助けたりもしない。
彼らの子育てがうまく言ってると言えるのはここなんだろう。
完全に個人としては区別してる。
本当に褒めもしないし怒ることもない。
やっぱりそれが正解だって思った。
私はこれが全くできてない。
兄が小さなころはできていたのに、、、
今では子どもの問題は私の問題に直結してる。
もっと子どもを対等な存在として接しないといけない。
だからやっぱりやりたいようにすればいい。
歩いてご飯食べないならそうすればいい、
宿題したくないならしなくたっていい、
健康を害さないことならなんだって自分で決めて生きるべきだ。
けどこうしたらうまくできる時はアドバイスして、彼らが私に助けて欲しい時は共同体として貢献する。
そして関心を持ち話を聞き理解をする。ギやオットー、ここはないなと思う。

自分の親はこれら全て惨敗って感じだ。
劣等感は自分を大きく見せようと優越をつける。
例えばブランド品とか、子どもの習い事とか、無駄な受験とか。
そんで子どもを自分の配下に置く。親の言う事は絶対。
話聞かない、理解しない。

だから私はこの3点に気をつけて生きる!
劣等感は自己決定と他者貢献で解消。
子どもは対等な存在、優劣はない。
話を聞き理解を示す。