🌿医学は仮説だった──その瞬間、私の常識が崩れた
⚛️ 序章|その一言が、私の“常識”を崩した
オンラインのセミナーで、ある著名な先生が、ふとした口調でこう言いました。
「医学って、そもそも仮説だから」
一瞬、意味は分かるはずなのに、心が追いつかない。
私の中でずっと揺るぎなく存在していた「医療は絶対的に正しい」という土台が、スッと足元から外されるような感覚が走りました。
私は国家資格を持ち、医療の知識を「正しいもの」として学び、信じ、現場で使ってきました。
教科書に書いてあることは正解で、試験の模範解答は唯一の正しい答え。
そう信じることが、安全で確実な医療を提供する道だと思っていたのです。
でも、その一言をきっかけに、私の中の何かが変わりました。
もし医学が仮説なら、食事法や運動法、生活習慣の“正解”も、絶対ではないかもしれない。
そして、日々の現場で感じていた「なぜ治らない人がいるのか」「なぜ健康情報はあふれているのに病気は減らないのか」という疑問が、急に別の光を帯びて見えてきたのです。
医学が仮説だと知った瞬間──それは私にとって、迷いを深める入り口ではなく、“もうひとつの可能性”が見える入り口でした。
⚛️第1章|科学とは、仮説の積み重ね
🔹 科学は「完成形」ではない
私たちは学校で、科学や医学を「正しいもの」「事実」として習ってきました。
教科書に載っているのは“すでに証明された真実”で、そこに疑問を持つ必要はない──
そんな前提で教育が組まれています。
でも、実際の科学はそうではありません。
仮説を立て、それを検証し、結果を元に修正し、また次の仮説へ…という、果てしない繰り返しです。
今、教科書に載っていることも、10年後には修正されているかもしれない。
🔹 仮説が“事実”として刷り込まれる仕組み
多くの場合、私たちは「仮説」として学ばず、「これが正しい」と刷り込まれます。
歴史、栄養学、地球科学…あらゆる分野で、「今の主流説」があたかも唯一の真実かのように教えられます。
その裏には、複雑な事情が絡んでいることもあります。
新しい説が受け入れられるには時間がかかり、既存の制度や産業構造に影響を与える場合は、抵抗が大きくなる。
医療や食の分野では、研究費や産業利益という“利権”が、情報の方向性を決めてしまうことさえあります。
🔹 情報は常にフィルターを通っている
新聞、テレビ、ネットニュース…私たちが受け取る情報は、必ず何らかのフィルターを通っています。
報道しない自由、切り取り、順番の入れ替え。
さらにスポンサーや政治的背景によって、伝えられる内容やニュアンスが変わることも珍しくありません。
こうした現実を知ると、「事実だと思っていたことが実は一つの見解に過ぎない」という場面に何度も出会います。
それは不安を与える反面、「じゃあ他の見方は?」と探すきっかけにもなります。
医学の仮説も、その延長線上にあります。
教科書やガイドラインに載っていることが“現時点での最適解”であっても、
それが真実のすべてではないかもしれない。
むしろ、それを疑えることが、次の可能性を開く第一歩になるのです。
⚛️第2章|“絶対”として学んできた日々
🔹 正解はひとつしかない世界
医療の専門学校や大学で学んだ日々。
そこでは、教科書に載っている知識は“正解”として扱われました。
国家試験も、答えは必ず一つで、そこから外れると×。
たとえ別の理論や、新しい研究があったとしても、試験に出ないことは学びの対象にならない。
現場に出ても同じで、上司や医師の指示、ガイドラインが優先。
「なぜその治療法なのか」「他の方法はないのか」と疑問を持つ余裕は、ほとんどありませんでした。
🔹 “疑問”よりも“従うこと”が評価される
医療現場では、決められた手順を正確に守ることが最優先。
手順を逸脱すれば、たとえ患者さんにとって良い結果になったとしても、注意や指導を受けることがあります。
こうして、「正しい答えは一つ」という思考が、深く刷り込まれていきます。
その感覚は、資格を取った後もなかなか抜けず、
新しい視点や代替療法の話を耳にしても、無意識に「怪しい」と感じるフィルターがかかっていました。
🔹 現場で芽生えた小さな違和感
そんな中でも、患者さんと接していると、教科書やガイドラインでは説明できないことが起こります。
同じ治療をしても劇的に良くなる人と、まったく変わらない人。
検査結果は問題ないのに、明らかに体調が悪い人。
それらはすべて「個人差」で片づけられますが、心のどこかでモヤモヤが残っていました。
「もしかして、この“正解”は全員に当てはまるわけじゃないのでは?」
そんな小さな疑問が、後に大きな視点の転換へとつながっていきました。
⚛️第3章|“なぜ治らないのか?”という現実
🔹 数字が物語る現状
厚生労働省の統計によれば、日本のがん患者数はこの40年で約2倍に増えました。
抗うつ薬の処方量は過去20年で約3倍。
糖尿病や高血圧の患者も減るどころか増え続けています。
健康情報はこれだけあふれ、医療技術も進化しているはずなのに──。
この数字は、「今のやり方では根本的な改善に至っていない人が多い」という事実を示しています。
🔹 同じ治療、同じ薬でも差が出る不思議
現場では、同じ病名、同じ治療法、同じ薬を使っても、効果に大きな差が出ます。
ある人は劇的に回復するのに、別の人はほとんど変化がない。
場合によっては、副作用だけが強く出てしまうこともあります。
こうした違いは「体質」や「生活習慣」のせいとされますが、
実際は、それだけでは説明できないことも多いのです。
🔹 食事法や健康法も“正解”ではなかった
一時期話題になった「1日30品目」や「栄養バランス重視」「カロリー計算」。
これらも“正しい”と信じて続けたのに、体調が良くならなかった人を何人も見てきました。
理論上は完璧でも、現実の体はその通りには動いてくれない。
この経験が、「医学も、食事法も、生活習慣法も、すべて仮説の上に成り立っているのでは?」という視点へとつながっていきます。
🔹 違和感は確信へ
「なぜ治らないのか?」という問いは、やがて確信に変わりました。
今ある医療や健康法は、あくまで現時点での“最適解”でしかない。
だからこそ、全員に当てはまらなくても不思議ではない──。
この気づきは、次の行動を選ぶための自由を、少しずつ私に与えてくれました。
⚛️第4章|仮説と向き合うことで広がった選択肢
🔹 “唯一の正解”から解放される
医学も、食事法も、健康法も、すべてが仮説だと理解したとき、
私の中でひとつの枠が外れました。
「これしかない」という思い込みから、「他にも道はある」という視点に変わったのです。
医師の説明も「絶対」ではなく「ひとつの見解」として受け取れるようになりました。
それだけで、心がずっと軽くなったのを覚えています。
🔹 組み合わせて使えるという自由
仮説であることを前提にすれば、
現代医学も東洋医学も、食事療法も運動法も、状況に合わせて組み合わせることができます。
たとえば、薬を使いながら漢方やハーブで補う。
栄養バランスを考えつつ、発酵食品や旬の食材を取り入れる。
西洋と東洋、伝統と最新科学──その境界線を自由に行き来できるようになったのです。
🔹 自分の感覚を信じられるようになる
「正解は一つ」という世界では、自分の感覚よりも“答え”が優先されます。
でも、仮説であることを知ると、
実際に試してどう感じたか、自分の体がどう反応したかを大事にできるようになります。
その感覚こそが、他の誰でもない“自分にとっての正解”を見つける羅針盤になります。
🔹 広がる視野の先にあったもの
この柔軟な視点があったからこそ、私は後に、腸管造血説やソマチッド、波動医学といった、
現代医学ではほとんど語られない分野にも関心を持つようになりました。
それらもまた仮説ではありますが、
「なぜか体が軽くなる」「症状が和らぐ」という体験談が数多く存在します。
そして、それをどう捉えるかは、私たち一人ひとりの自由なのです。
⚛️第5章|仮説は、不安ではなく可能性
🔹 未完成だからこそ、更新できる
仮説という言葉には、「不確か」「まだ証明されていない」という響きがあります。
以前の私は、それを不安に感じていました。
でも今では、仮説こそが進化の余地であり、変化できる強みだと思っています。
医学も、食事法も、健康法も、時代と共に変わります。
その柔軟さがあるからこそ、新しい発見や改善の道が開けるのです。
🔹 “問い続ける姿勢”が、自分を守る
仮説であることを前提にすれば、
「これは本当に正しいのか?」と問い続ける習慣が身につきます。
それは、情報があふれる時代において、自分を守る最大の武器です。
テレビやネットの健康情報に振り回されず、
自分で考え、試し、選び取ることができるようになります。
🔹 私自身の新しい仮説
この気づきを経て、私は今、自分なりの仮説を持つようになりました。
健康の鍵は、数字や栄養素だけでなく、“命のエネルギー”そのものにある。
だからこそ、発酵食品や自然の水、温泉、大地と触れ合う時間──
そうした“生命力が満ちたもの”を意識して取り入れています。
最近関心を持っているソマチッドも、その延長線上にあります。
🔹 結論はひとつじゃない
医学は仮説であり、健康法も仮説。
だからこそ、結論は一つである必要はありません。
自分に合う形にアレンジしながら、仮説を自分の答えにしていけばいいのです。
そしてその答えは、体験と共に、きっとこれからも変わっていくでしょう。
⚛️あとがき
「医学は仮説だった」──
この一言に出会ったとき、私は衝撃と同時に、不思議な安堵を感じました。
それまで私の中には、「正しいことは一つ」「それを守らなければならない」という強い思い込みがありました。
医療の世界で働く中で、その“正しさ”が時に患者さんの現実と合わないことも知っていたのに、
どこかで「教科書の答えが絶対」と信じることで、自分を守っていたのかもしれません。
けれど、医学が仮説であると知ったとき、
“正解”にしがみつく必要がなくなり、
「もっと自由に、もっと広く、自分の選択肢を探していいんだ」と思えるようになりました。
これは、医学に限った話ではありません。
歴史も、栄養学も、環境問題も──
私たちが「事実」と信じている多くのことは、実はひとつの仮説や見解に過ぎません。
そして、その背後には時に、制度や利権、情報操作が影響していることもあります。
だからこそ、私たちは問い続けることが大切です。
「本当にそうなのか?」
「ほかの見方はないのか?」
その問いは、迷いを増やすのではなく、
自分に合う方法を見つけるための灯りになります。
これからも、私は仮説と向き合いながら、
時には最新の科学を、時には古くからの知恵を、
そして自分の感覚を信じて、日々の選択を重ねていきたいと思います。
あなたの健康や生き方も、どうか“ひとつの答え”に縛られませんように。
仮説の中にこそ、可能性が広がっています。
⭐️ご興味のある方は、どうぞお気軽にご質問、お問い合わせください。
医科・歯科クリニックはもちろん、健康や予防、食や生活習慣に関わるあらゆる機関、そして個人の方からのご相談も歓迎しております。
あなたや大切な方の「よりよく生きる」ための一歩を、ぜひ一緒に探していきましょう。