自分の非を認める
自分の非を認めることができているだろうか。
*上手くいかないこと、
*忘れてしまっていたこと、
*自分の不注意で起きた出来事・・・
それらのことを、
他人や環境のせいにするのは至極簡単なこと。
しかし、何の解決にもならないし、
最も重大な過ちは、
その人自身の成長や学びにならないこと。
これは、大人だから、子供だからという事ではない。
子供だから未熟だとか、
大人だからわきまえがあるということでもない。
あくまでも体は器。
心の成熟度の問題である。
この世に、何を学びに降りてきて、
何を学び終えて旅立つのか。
一日、一日、
一つ一つの出来事に、
いかに誠実に向き合っているかが
最も大切である。
自分の非を認められない人は、
他人の過ちも認めることはできないであろう。
さらには、過ちを認めるどころか、
非難さえするだろう。
一見、自分の責任にはならないので、
楽になった気がするかもしれない。
しかし、神のもとでは、
確実に過ちが刻まれて行く。
そして、一番忘れてはいけないのが、
過ちを犯したことを知っているのは、
自分の心だということを。
非を認める。
はじめはなかなかできなくとも、
時間はかかっても、
少し勇気をもって
謝ってみることで、
きっと世界の見え方が変わっていくだろう。
それは、
自分が変わり始めれば、
周りも変わり始めるからだ。
そして、
自分自信が、
自分の心が、
少しずつ素直になっていくのを感じるだろう。
せっかくこの世に生きている、
せっかく出会った相手なのだから、
せっかく出会った出来事なのだから、
どうせなら
楽しく、幸せな時間になるように、
楽しく、幸せな人生になるように、
あと少しだけ、
今より、あと少しだけ、
勇気をもって、
自分にも非があるのではないかと、
心に問いかけてみてはどうだろうか。