あの頃は、八重が主人公だから、八重の身辺が優先的に描かれる為、旦那様を思う気持ちや、尚之助の優しい表情など、八重の生涯を描くのに必要で、『幕末物と言えども、恋愛重視なのか?』と思っていたのですが(←正直尚之助にトキメキましたけど)
やはり、会津の運命を描くには辛い事を中心に進行していかないとなんですね。
見ているだけで、胸が熱くなります。
このあたりの事は、小説でしか知らなかった(史料を読んでもどこまで頭に入っていたやら・・・。)ので、詳しい事はあまり理解していなかったのですが、八重の弟である、三郎はここで亡くなったんですね。鉄砲に向かって行ったかはわからないけど、初めての戦で怖いという気持ちもあるだろうけど、それ以上に主君の為に、己の義の為に、と言ったところでしょうか。
会津が京都守護職を任された時は、このような運命を辿るとは思ってもいなかったはず。天子様をお守りする為に京の治安を守っていたのに・・・。
色んな感情が交錯するところですね。徳川に利用された感じもあるし、切ない・・・。
慶喜公が江戸に撤退し、修理に汚名を着せることとなった容保公の気持ちも・・・
逃がしてやりたいから、警備を手薄にしている、とのことでしたが、この時私は新撰組の総長である山南さんを思い浮かべました。
山南さんが脱走して、沖田さんが追うことになったのは、土方さんなりに山南さんを逃がそうとしたのではないか、と言われていますが、土方さんは『逃がしてやれ』とは絶対言わないと思うし、藤堂平助の時も『逃がしてやれ』とは言っていないと思う。でも、そういう意図があった事を汲み取る沖田さん、原田さん、永倉さんも凄いなと思いますけど・・・
言わずともわかる。言わずとも伝えられる、伝わる、そういうのが新撰組の中にはあったようだけど、修理の時は秋月さんから『殿が逃げろと仰せになった』ということを伝えていました。そういうのもありだったのかな?殿からは言えませんよね・・・。
でも、結果的には、武士らしく散って行ったわけですが、日本人ってこういうところ凄いなって思いました。武士の在り方って、現代人の私は本で読んだ事でしかわからないけど、主君を思う気持ちだったり、切腹を言い渡されているのに、逃げ出すとか、『武士らしくない』って思うのは日本人ならではのような??誇り高く、恰好の付かないことを嫌う。寺子屋があったから、日本人の学問の水準は高かったとききました。教育がしっかりしていたんですね。
だからかな?今日になっても日本人は、『規律正しい』と言われたりするのでしょうか?諸外国と比べてそうかもしれないけど、そうでないことも多いですけどね・・・やっぱり日本の心って忘れたくないな、とは思います。
また脱線しましたが


江戸に帰還してからどうなったの






6月7日には土方歳三役の村上淳さんがオールアップしたそうですよ




半年で会津まで来るんですね・・・。後は京都と群馬か・・・戦いは終わっても、会津の人が生きていくには厳しい世の中なのでしょうね・・・。