あの日から | アメブローク

アメブローク

★降り止まない雨はにゃい★
~僕の日常・旅行・ファッションのことなど綴っていきます~

今日は 少し語らせて下さい...

 



『あの日から』
~3.11 東日本大震災 earthquake~



あれから2年4ヶ月経った

僕が住む この街

経済

行政

そして 人の心

もう一度 自分の胸に 心に 問いただしてみた



『世の中 お金があればどうにでもなるのか!?』



僕は たとえ自分が明日食べるご飯がなくても

大切な家族が飢えに苦しんでいても

本当は心の中では『お金』だと思うくらい

苦しいことがっても

決して 口に出して『お金』だとは言わない

言えないんだよ



言いたいことを言えない辛さだって

この世の中には 星の数ほどある



ただ思ったことを口に出せばいい

簡単なことかもしれない

でも 簡単には 口にすることが出来ない人間だっているんだよ

そして それがオトコの歩む姿なんだ



僕は これだけは誰にも譲れない思いがある

言葉があるんだ

たった 2つだけある



『ずっと』 『信じる』



そして それには理由がある

たとえ 人に強がりだと言われようと

否定できない大切な理由があるそこにはあるんだよ



僕は 思う

自分の経験が 僕という ひとりの人間の足あとが

そっと僕の胸に語りかけてくれる



『世の中 お金だ』 という人は 2種類いる



幼少期 本当に貧しくて苦しくて苦労した結果

絶ゆまぬ努力と精進をもって

自分の力だけで

今 社会的地位を築き上げた人

そして

"それなりの地位" に就けた人

もしくは

何の努力もしないで愚痴だけ言ってる人



『世の中 お金じゃない』 という人はどうだろう!?

だいたい似ていると思う



社会的地位を確立した人

そして

何不自由なく恵まれた環境で育てられた人

もしくは

今 生活に支障をきたすほどまでは苦労したことがない人



『世の中 お金』 だと言わない僕は

決して言えない僕は

そう きっと この中にいるかもしれない



僕は いつまで苦しまなくちゃいけないのか

穏やかにすごしたいだけなのに

それを許してくれない



こんな話がある

僕の大切なセレブな友達がいる

去年のちょうど今時分

被災地の子供たちのために

集めたお金を ある団体に預ける話をしてくれた

とてもありがたかった



でも その後 討論をした



僕は こう言ったんだ

本当に困ってる人や子供たちは

"私 お腹が空いてます 助けて下さい!!”

と手を挙げることすら出来ないんだよ

それじゃあ

手を挙げれることが出来る人しか助けられない

もう少しだけ考えてもらいたい

本当に困ってる そんな人たちを助けてもらいたいと...



ケンカしたよ



"私がわざわざ そんなところまで行って

1人1人聞いて歩けって言うの??

私には そんな時間はない

遊ぶ時間を割いてまで そんなことするつもりはない"



苦しかった



友達だから 多くを求めてしまった

分かっていても言うべきことじゃなかったかもしれない

やっぱり僕は少し若いのかな



あの時 僕は ひとつ大人になれたような気がした

ときに 人は理解してもらうために

話をすることは必要だけど

変えることが出来ない現実という

厚い壁があるときは

より言葉を慎重に選ぶべきだということを



僕は いつまで苦しまなくちゃいけないのか

穏やかにすごしたいだけなのに

それを許してくれない



僕には あの震災以降

本当に助けてくれた人が 3人いる

大阪 西宮 東京

西宮か三宮か忘れた

きっと その人は 違う

地位も名誉も もしかしたらお金もないかもしれない

でも 言うだろう 必ず言う

お金じゃないと

僕に対してだけじゃない

彼女の人生は ずっとそうだったはずだと思う

また いつの日か ここで触れてみたいと思う

その人たちのこと



人は いつの時代も 行政に対し不満を持っている

経済界で ある程度成功した人が

行政の 政治の世界に

飛び込みたくなる気持ちがわかるような気がする

自分の発言で制度を法律を

地域を国を きっと動かしたくなるんだよ



今の僕には お金もなければ

行政を動かす力もない



・・・それが全て・・・



僕は いつまで苦しまなくちゃいけないのか

穏やかにすごしたいだけなのに

それを許してくれない



時間なんか何も解決してくれない

『お金』より『人の心』という僕は

間違っているのだろうか



見知らぬ困っている人がいたら

寄り添って隣に一緒に腰を下ろして

こごえる両の手を

小刻みに震える身体を

ギュッと抱きしめてあげる



でも それじゃ 救われない

僕は ずっとそこにはいれないから



見知らぬ困っている人がいたら

寄り添って隣に一緒に腰を下ろして

こごえる両の手に

100万円を握らせてあげる



ずっとそこにいれない人間が

してあげれることだと思うことがある



・・・・・・

・・・苦しい・・・

・・・・・・



もう書けない



2012/7/6



少し時が流れた

そう今日は 2013/7/16 筆をとってみるよ

もう 一度



先月 100人以上の人と会った

社会的にすごい人もいた

でも 僕は 決して羨ましいとは思わなかった



その中で たった1人だけだった

僕の心を動かした人は

あれは6月最後の日だったんだ

僕が最後に会った あの人



彼には 子供が6人いる

実子4人 養子2人

日本の現行法律では 養子は実子を含めて最大6人



何がすごいか

養子の年齢

2人の養子は 実子に挟まれてる

僕は 子供がいないケド

そのくらい少しは想像することが出来る



1番下の幼い子と1番上の反抗期の子の間に

血がつながっていない子が2人いる



僕が会ったその男性は

仕事柄 家を空けることが多い

そんな6人の子供を1人で守ることが出来る

強くて あったかい女性が

この日本にいるのだろうかと思った



彼もすばらしい人だけど

僕は その奥さんに1度でいいから会ってみたい

そう強く思ったんだ



そして 約束した

再会を

そして 彼も こんな僕に言ってくれた

また会おうと



そして 一昨々日

慎ましくも そして おごそかな

やわらかい コトノハ の連続が

僕のもとへやってきた

1枚の封書が届いた



”私の人生の中で あなたは私に

おそらくは 一番難しい質問をして下さいました

私は あの時 答えることが出来ませんでした

おそらく あなたは その答えがわかっていらっしゃるのでしょうね

私より何十も若いあなたが

私に教えてくれました

ありがとうございました

お互い一生を学びの場として研鑽して参りましょう”



最後にこう書いてあった



今度は 僕があなたに会いにいきたい

そして もっと学ばせて頂きたい

僕は いつも思う

実力社会と言われてる時代であっても

この日本は

僕たち日本人は 敬うべきだと思う

ただ年だけ重ねてる人間なんていない

年功は 揺るぎない大切なもののひとつなんだ

僕は まだまだ 年を重ねなくてはいけない



僕は いつまで苦しまなくちゃいけないのか

穏やかにすごしたいだけなのに

それを許してくれない



僕は 被災地と言われる場所で生まれ育った

そして 今もこの街にいる



心あるたくさんの人が寄せてくれた義援金

そして

行政が施してくれる助成金

命がつながった人は たくさんいる



でも

悲しい現実も ここにはある

そのお金を頼りに それが人をダメにしている現実もあるんだ

働いてしまったら 助成金は行政から出ない



・・・仕方がないこと・・・



棚からぼた餅なんてあるわけがない

ただボケッと口を開けてるだけじゃ

いつまで経っても ぼた餅なんか落ちてこないんだよ



勇気を出して手を挙げれるように

”僕 お腹が空いてるんだ

ぼた餅が食べたい

だから 僕のところに落として下さい”

そうやって口を開けて待ってられる

強い人間にならないといけない

平和ボケしてる場合じゃないんだ



でも いつの時代も どこにだって

弱い者はいる

僕は どうすべきだろう



・・・答えは簡単だ・・・



僕は いつまで苦しまなくちゃいけないのか

穏やかにすごしたいだけなのに

それを許してくれない



僕は 震災のせいにしようと思ったことは

たった1度もない

誤解を受けることを覚悟で 言っていることをお許し頂きたい

震災が ちょっとだけ早く

僕に成すべき道を教えてくれた



でも 苦しくなる

目の前の壁に押しつぶされそうになる

今は まだ僕は そのステージに立ててない

聞いて欲しいことがたくさんある

話すことすら許されない

聞いて欲しくても その人が目の前にいない

その人の前には

たくさんの分厚い人壁がある



僕は いつまで苦しまなくちゃいけないのか

穏やかにすごしたいだけなのに

それを許してくれない



なんで たかが30日後の紙切れ1枚のために

何百万もかけて

『今』を変えて

また

『今』とおんなじに

戻さなくちゃいけないんだよ

払えるわけないだろう



バカヤロウ



僕は いつまで苦しまなくちゃいけないのか

穏やかにすごしたいだけなのに

それを許してくれない



もうこの国には この国のあのお城の中には

いないんですか!?



あの温かい目をした あの気高き日本人は



もしも願いが叶うなら

・・・

いや もう7月7日は とうに過ぎた

そして もう僕は夢見る子供じゃない



・・・




 



僕は いつまで苦しまなくちゃいけないのか

穏やかにすごしたいだけなのに

それを許してくれない



・・・



僕は この街を

離れなくちゃいけない

すべてが終わったら

そして

いつか戻ろう

たくさんの荷物をかかえて



2013/7/14