急にいきなり本題に入るが、私は感覚過敏がある。
最も困っているのが聴覚過敏。
鼻すすりの音が苦手、というか苦手では済まないくらいの恐怖感に似た嫌悪感。
飲み物をすする音、食べ物の咀嚼音、咳払い、などなど、主に消化管から発せられる断続音を聞くと
殺意を抱くくらいの嫌悪感が自動的に湧き上がる。
最も苦手なのは消化管由来のものではあるけれども、基本的には断続的な音はどんな音でも大体苦手で、アイドリングの音も抹消したいというような気分になる。
これは、かなり日常生活に支障が出る。例えば風邪が流行る冬や花粉症が蔓延する春(最近は通年の印象もあるけれども)は、
世界は鼻すすりであふれているのだ。
例えば電車に乗った時にとなりの人が鼻すすりをすることは私にとっては耐え難い拷問になる。
このため、私は常にノイズキャンセリングつきのヘッドホンとイヤホンを持ち歩き、更にはバッテリー切れの可能性もあるので普通の耳栓も予備として持ち歩いている。しかも2個。
それくらいしないと安心できない。
基本的は五感全てで強い刺激は苦手だが、次に困るのが触覚。
締め付けが強い服やゴワッとしている服は非常に苦手。
あとは、首の後ろのタグは基本的に切り離す。
でもこれくらいって、私の過敏の中では大したことない部類に分類される。
最も困るのが、汗のべとつきが耐え難いこと。
そして、それなのに、私は汗をかくことが好きなのである!
どっちか選べや、という声はさておき、このため、私は基本的に夏になると(というか最近温暖化で春の時点から)
汗をかくような運動をする→自身の汗のべたつきに発狂するというサイクルを1日に何回も回す羽目になる。
夏には小型扇風機と制汗系シートは欠かさず持ち歩き、電車の中だろうとどこだろうと、とにかく汗をかいたらそれで拭きまくっている。ちなみに、そのシートで拭いて扇風機を直撃させればなんとか耐えられるレベルにはなるため、
汗のべとつきが大嫌いとは言いつつもせっせと汗かきに励んでいる。
でも、夏の夕方に家に帰ってきた時、家族の誰かがシャワーに入っているとものすごい苛立ちはある。
先日、人生で始めてかなり重度の感覚過敏の人と話す機会があった。
サングラスがいるんだ。けっこうどんな光も辛いの?
私は鼻すすりの音が本当にだめなんだ、あ、そっちはそういう特定の音って言うよりは、大きい音が苦手なんだね。
この耳栓良いよ!そっちが使ってるのはソニーのイヤホンなんだね。
みたいなやりとりを、人生で始めてした。
そして、私は、自分がそれをとても喜んでいるのを感じた。
同じ土俵で話している感じ。気軽に情報交換できる感じ。
それがすごく心を温めた。
この感覚過敏は地味に、地味に、すごく辛い。
幼少期はそれほどひどくなかった。思い返せば大きなサイレン音に泣いたりしたことはあったけれども、
それが社会生活で顕在化するほど深刻な悩みになったことはなかった。
困り始めたのは、子供を産んでからだ。
始まりは授乳時の嫌悪感だった。
赤ちゃんに乳を吸われる感覚に、私はどうしても慣れることができなかった。
母と子の最も神秘的な時間である(と当時の私が信じていた)授乳を苦痛に感じるということ自体が、
ダメ母の証であるような気分になった。
ましてや、一人目はそれで授乳自体を諦めた。母乳に入っている成分がどれほど赤ちゃんに良いものか、
授乳行為がどれほど母子関係構築に必要か、そしてシンプルに莫大なミルク代のレシートを見るたびに、
自分への失望が募った。
それだけではない。赤ちゃんを抱っこするのも苦痛であることが多かった。
赤ちゃんの汗ばんだ肌が、自分の素肌に長時間密着しているとたまらなく不快な気分になった。
赤ちゃんがちょっとでも泣くと、赤ちゃんが心配だからではなく、その騒音から逃れたくてあやしている自分がいた。
そして、この頃から聴覚過敏が悪化していっている感覚があった。
正確には、一人暮らしの状態から一気に家族が増え、
狭いスペースにいる人数が増えたのが影響して、刺激に晒される頻度が増したということだとは思う。
理由はなんであれ、最も深刻だったのは、夫が食事時に立てる音が耐えられなくなったこと。
それを夫に伝え、夫も努力してくれているのは分かるのだが、
夫にとっての「音を立てていない」と、私のとっての「音を立てていない」のレベルははるかに違い、
どんなに伝えても、そして夫が努力しても、ほんの僅かに、でも確実に咀嚼音は聞こえ続けるのだった、、、
そして、私は不機嫌になってしまう。気持ち悪すぎて。
夫は、次第に私がなにかの音を嫌がる度に激しく苛立つようになった。当たり前だ。
私が夫だったら、常に音が嫌だと不機嫌に言い渡す妻なんて速攻で離婚しているとも思った。
それくらい自分がひどいことをしている自覚は十分あり、申し訳ないと24時間中23時間59分思っていても、
咀嚼音が一瞬聞こえるだけで強い強い嫌悪感が湧き上がり、強い憎しみや怒りのようなものが全身にあふれてしまう。
夫のことを心の底からかわいそうだとおもったし、申し訳ないとも思った。
それでも、どうしても変われない。
ただ、それ以外、何か、すごくすごく困っているのかと言われると、そういう感じでも無い。
仕事でなにかに深刻に困っているわけでもない。
大抵のことはイヤホンと制汗剤シートでなんとかなってはいる。
でも、そういう一つ一つの自分自身の嫌悪感自体に、それを湧き上がらせる自分自身に、
私は激しく、激しく失望している。
幼少期から特に何か目立った困りごとがあるわけではなかったけれども、私はイライラしがちな少女だった。
今から考えるとその大部分は感覚過敏から来る苛立ちだった。
今だって、隠すのが上手になっただけで何も変わっていない。
もしこの感覚過敏がなかったら、私ももっと良い母親であり、妻だっただろう。
そんなことを考える度に、自分のことをキライ、と思うのだ。
私は、この感覚過敏のせいで、世界で一番大好きな夫と子供を傷つけている。
そんな気持ちを誰かと分かち合いたいと思ったことも無かったのだけれども、
偶然感覚過敏の話題をポップにできる機会に恵まれて、
それを想像以上に喜ぶ自分がいて、
思ったのだ。
誰かと分かち合いたかったんだなあって。
多分、感覚過敏を直すことってほとんど不可能で、ありえる最も現実的な解決方法はツールを駆使して対処していくことだけだ。
あとは、例えば家族が大きくなるにつれ刺激自体は減るだろうし、私の五感も衰えることで少しづつ解放されるだろうという淡い期待はある。
だから、この気持ちを分かち合うことにメリットなんてほとんどないと思っていたし、そのこと自体はそのとおりと今でも思うのだけれども、、、
でも、やっぱり、聞いてほしいし、聞きたいかもしれない。
これって、究極には心の問題に集約されていく気がする。
私だって、感覚過敏の人がその過敏を全開にして上から目線で「その音やめろや?」ということが良いなんて全然思っていない。
でも、他人を責めない代わりに、私はその矛先を自分自身に向けており、
いつも自分を責めており、結果として著しい自己肯定感の低下がある。
みんな、他の感覚過敏のみんなは、どうしているんだろう?
自分のことを、どう捉えてるんだろう?
そんなことを知ってみたいなとふと思った出会いでした。
