ドンジャラというおもちゃをご存じでしょうか。
子供でも出来る簡単な麻雀みたいな。
牌の絵柄がアニメのキャラクターで出来ています。
ルールは同じ顔の絵柄を三つずつそろえていく・・というファミリーゲーム。
一度は遊んだことがある方も多いのではないでしょうか?
私にとって、ドンジャラに関して忘れられないというか、
忘れちゃいけないエピソードがあります。
小学校低学年の頃、
ドンジャラを友人の家で遊んで、欲しくなったのです。
家に帰って、親におねだりしますが、絶対買ってくれません。
さぁ、どうする。
1.買ってくれるまでねだる。
2.おこずかい(一週間で100円だったかな?)をためる。
3.その他
1と2は気が遠くなる・・と思いました。何せ、欲しいのは、今なんですから。
でもお金はない。貰えるアテもない。でも欲しいな。
私は「3.その他」を考えることにしました。
そうだ!!
ここにないのなら、つくればいい!!
私はランドセルから自由帳を取り出しました。
真っ白い、何を書いてもいいノート。
あれって紙質がぺらっぺらなんですよ。
それにマス目を沢山書いて、その中にドラえもんやジャイアン、のび太等々の顔を、
3つずつ書いていてハサミで一つずつ切り取りました。
はい、ドラえもんのドンジャラの完成!!(爆)
でも実際に遊んでみると、さぁ大変。
牌のように立てかけてる事が出来ず、トランプのように伏せるもんだから
自分が何の牌を持っているかわからず、ゲームが進みません。でも、
紙がぺらぺらだからよーく見ると裏に何の絵柄が書いてあるかバレるわ、
紙が軽いから少しの風で吹き飛ぶわ、えらいこっちゃ。
と、えらいこっちゃを楽しんだ、という記憶が残りました。
そんなのドンジャラじゃないじゃん!と友人に言われても、
私にとっては、確かにドンジャラでした。
小学生の私の「そこにないものをつくる」というあの時の発想は、
大人になった私が、いつも、つい忘れそうになる感覚です。
大人になればなるほど、「そこにないものをつくらない」、
その理由を、言ってしまいがちなんですね。
手描きで作ったって、そんなの本物じゃないし~とか、
絵が下手だから恥ずかしいし~とか、
そもそも作るのがめんどくさいし~とか、
本物買えるまで待てばいいし~とか。
でも、子供は人の目を気にしない。絶対できる。と信じる。
自分のやることが楽しければ、何も恥ずかしくない。
そこにないものをつくるというのは、
何も目に見えていることだけじゃないんですよね。
無理だな~とか、本当に出来るんだろうか~?と不安になったとき、
私はあの紙ドンジャラを思い出します。
あの発想さえあれば、なんでも出来る気がするのです。
今思うと、あの時私はドンジャラを作りたかったのではなく、
ドンジャラを通して、楽しい気持ちを作りたかったんですね。
そして今。
私が本当につくりたいものは、何かをつくることを通して、
誰かの中の、気持ちをつくりたいんです。
本当のポジティブを。
そしてそれは、誰にでもつくれるんだ!と伝えたいのです。
今まで色んな仕事に就いてきましたし、これからもそうでしょうけど、
提供するものがどんな形に変化しようと、芯はこれだったんだ!と。
それに、最近やっと気がつきました。
本気のポジティブ職人(笑)
よくわからない肩書きですが、どうぞ、長い目で見てやって下さいね。
むしゃむしゃ。(かっぱえびせんを食べながら愛をこめて。)