月夜
二日間荒れて、今日はきれいな月夜。星がゆったり、ゆったり浮かんでいる。
固まった雪に杖がさくりさくり軽い音で当たる。
自宅から事務所まで湯上りの体を覚ましながら歩いてきた。
あれはフランダースの犬
彼が最後に教会で見た絵を私もまた本を読みながら見た。
月夜の光は美しいのだな。
私は野垂れ死にしても、美しい空が見れるかな。
ネロ少年とちがって、社会全体が何一つよいことをしなかった人間というのかな。
そうして私は何を見るのだろうな。天幕は開かれるのだろうか。
激しく傷ついた世代。
祖父の世代。そして父の世代。私の世代。引き継いできたものがある。
祖父の屈託は、日本全体の屈服感と重なり合っている。
父の屈託は、祖父の屈託とも、重なり合っている。
そして今晩、私はまた家を出て、一人で事務所まで来てしまった。
家にいても、しかたないのだ。
ここで泊めさせてもらうことになる。
変なことばかり考えている男、浪費癖の男、モラルハラスメントの男だ
子供たちを任せておけない
信号も無視してわたってしまう男、立ち入り禁止の湖まで入ってしまう男だ
ノーセックスの男、傷つける男だ、逃げてばかりいる男だ…
何のメリットもない、そうだろう。
がんばるといってあと10年同じことをして体がだんだんにぶくなり
ライフスタイルを変えることもできなくなる
そして、もうろくして、ばかなことをするんじゃない、とばかりに言われ続けるのか
あう、もういやだよ。ちりちりとした恨みがまた私の中でも燃え始めた。
こういうふうなのはいやだ。
言葉のダンス
かなわない。言葉にはかなわない。でもダンスだ。
ダンス、ダンス。
あう
今日はずっと一人だったぁ
ブログ見て、
パソコンみて
あまりエッチな画像とか見なかったよ
メールを百回チェックして
言葉の仕入れに懸命だ
あう
つらいな
バカ旦那
このブログ開いて初めて目に付いた記事
まったく見に覚えのあることばかり
おらっちこんなつもりでないのにな
なんてことだろ
そして今日も家を出る
あう
男はしゃべらないって
しゃべってもおんなじだって
言葉なんかどうにもならない
かっこうわるいばかりだって
なんてこった、なんてこった
あぅ
セックスレス
拒否、そうだ拒否したよ
拒否だ、拒否だ
さぞやつらかろう、さぞやいやだろう、憎むだろう
一日中その思い
毎日、毎日その思い
ぁぅ
こっちはこっちで何している
つらくてつらくてたまらない
女の人と一つになるそれが夢
だたひとつの夢かもしんない
だのにオナニーばかり
他人の肉体の過去の記録映像を眺めて
何が面白いんだか
力が抜けていく
あう
いったいなんだこれ
だめな夫と
だめな父演じて
毎日毎日過ごしているだけ
あう
息子は言うよ
人との出会いが大切だって、それが勝負だって
ああ、立派になってきた、ありがとうよ
そんなふうに自立してきてうれしいなぁと。
そうしてあなたは私が人と関係を作れないことを
受け止めて、自分なりに乗りこえているんだな、ありがとうな
あう
娘は言うよ
父さん、父さんは仕事を他の人といっしょにやるがいいよ
一人じゃ逃げるでしょう
だから一緒にサポートしてもらってやりなさいよ
なんと私の仕事でゲームに逃げて幾年月
姿がすけすけ見えている
あう
責めるも、責められるももうよいのや
責められていると想像して
逃げてばかりおる私だ
おう
悪いなら悪いでしかたないだろ
つぐないならつぐないでしかたないだろ
だがどこかで思っているぞ
私が何を悪いことをしたか
おう
そうだ私は毎日オナニーオヤジ
セックスレスとは立派なブランド名をいただいたありがとう
だがわしは怖くて仕方がない
妻の理解ある態度、息子の敬意に満ちた目、そんなものがあったらすばらしいだろうな
だが今は目さえあわせられないんだよ
目線がちらちらゆれるんだよ、見つめようとしてもさ
おお
セックスレスも
モラルハザードも全部いただきだ
描いてあること全部やっている
車とか趣味に走る
話ができなくてテレビを見る
泣いている姿を背中に何かやっているふり
あう、なんてこった
弁護なんてできないな
ただ、何が間違ったのだ
これで終わるか平和な日本の私
川端康成、太宰治、夏目漱石、森鴎外
読んでもなんにもならない文学
阿部公房にふたばていしめい、ドストエフスキー
さあさあ、人生はどこにあるのかな
エリザベス・ロス先生ありがとう、ウォルシュ先生、楽しい漫才をありがとう
OSHO、かぐわしいよ
みんな同じことを言うよ
おーのー
言葉が全部バラバラさ
ダンス、ダンスで行きましょう
男と女と愛
別に受けねらいでこんなぬボーとした題名にしたわけではないよ。
本当にこの3つについて書いてみたいんだ。読んでくれるかな。おじさん、考えた。
そもそも男と女はマ反対だという気がするんだな。おんなじベースがあって、その上で何かが違うって言うより、あまりにも違いすぎて、逃げられない相手?逃げられないけれど苦しみが待っているよという落とし穴?
男は何もないのです。ゼロです。ゼロのよさというのは自由なところですね。
女は全てを持つのです。全てです。全てということは平和なところですね。
これってどうおもうですか。女性は全て持っているように堂々としている、そういつも思っていた。
母を見て、少女を見て、娘を見て。女性が絵を描くと、自分が真ん中にいる。まわりに家や木や道があり、誰かがいるとしても、自分が真ん中。まず自分がいるという絵を3歳の子から、描くね。
男の子は違う。男の子は自分に見えるものを描く。自分が「いない」。これは習ったことではない。、おちんちんに毛が生える前からそんなふうにぜんぜん違うんだね。
女の子は自分の持つものを与えたいと思うかもしれないね。それに女の子は持っているから、それを守ろうとするかもしれないね。
男の子は、何もないんだから、世界を楽しめってことになるのかな。だまっていても仕方ないしね。それは自由ということ、何もない自由、500マイル。
だから女の子は、そのまま、あるがままでよいのだがね。存在している、っていうことだね。
ところがちょっとありえないような男に近寄っていったりする。存在に退屈するのかな。そう思うことがあるね。どうしてなんだろうね、教えてほしい。
男の子は、何もないから自由で、自分の思いのまま。それが男の子の喜び。霞みたいなもの。ところが何か自分の物にしようと思い始めたりするね。そのとたんに羽がなくなっちゃうんだけど。大いなる勘違いをするんだね。
男が羽根を捨てて、女の子が大地を捨てて、いっしょにいる。そうすると苦しくなるかもしれないね。無理に自分ではないような自分を強いるんだから、一時的にはそうできても、ずっとは難しいね。
女の子が男の子を間違っている、と言う。どうしてだろうね。あたりまえかな。男の子の男の子たる理由は、間違うということ、そのものなのだが。
男の子が女の子を冷酷に扱う。どうしてそんなことができるだろうね。自分は何もないのに。すべては女性のなかにあるのに。
女性は愛にしなやかに入っていくという、男はなかなかそういかないという。
でもそうだろうか。はじめから男には何もない。だから男にとって愛はそもそもの存在理由だ。
女性にとってはどうだろうね。
男と女が愛するというのは、人が愛を知ることなくては無理だね。当たり前のことを書いている、また私のパターンが出てしまう。花を愛す、動物を愛す。そよ風を愛す。生まれたことを愛す。息をできている自分を愛す。トレカを愛す、車を愛す。何にしても」愛する」愛であるというところに行けば、ようやっと、なんとか女は男さえ愛せるようになるのかな?女の人はどう思う?男は女をようやっと、愛せるようになるかな?
愛はむずかしいのに、だれもが愛せることを前提にして結婚なんてしちゃって、うまくいかないというのだから、これは前提が違うのではないだろうか?そして責め合い、傷つけあう、冷酷な彼はモラルハラスメントだ。いったいどうしたらいいんだ?
