死ぬということ | 魔法の秘密基地。

死ぬということ

熱が出て寝ていた。
今日の夕方、何となくTVをつけたら

70年代~80年代の歌謡曲、4枚組で1万円です!

みたいな商売っ気満々のヤツがやってて
“生きていると辛い事も悲しい事もたくさんあります。だからこそ沢山の音楽が世に送り出されるのでしょう。”
とナレーションが流れた。

“あぁ、そうだよなぁ。”と素直に思えて涙が出そうになった。BGMは何故か薬師丸ひろ子が唄う“時代”。中島みゆきではない。

これがつけっぱなしのTVだと響いては来なかったろう。
こんな当たり前の言葉にぐっときてしまった。
買おうかな、4枚組。

最近会社の1つ上のお姉さんにミッシェルのDVDを借りたり、適当にお酒でも呑みながら格好いい格好いい言おうぜ、なんてお楽しみ企画をしている。
正直、アベの死が無ければこんなに話はしてないと思う。

“死”がばらばらの物をひとつにしていくのを何度か経験した。

小学2年の頃、飼っていた猫が死んだ。当時は新しいお母さんが来て、きっと母自身も窮屈だっただろう。私もよそよそしかったし、ぎこちない感じで家族という歯車は回転していた。
しかし、そんな家族が全員泣き、皆で思い出を語り合った。初めて“家族っていいな”と思った。
言葉にはしなかったけど“死ぬって悲しいけど美しいな”とも思った。

父が死んだ時もずっと疎遠だった親戚とも交流するようになった。母と私は血の繋がりが無い。母と私は他人で、親戚もそう。
けれど“きつい時は頼ってね”と叔父さんは言ってくれた。
祖母の時は事故だったので、すぐにとはいかなかったけど加害者側の人達とご飯を食べたり談笑したり。
そして上京する事を決めた。祖母が大好きで私は離れられずにいた。
背中を押されたのだ。
“好きなようにやれ”と言われたのだと思う。

悲しいなんてモンじゃなかった。
宗教にさえ、偽善者にさえ縋りたいと本気で思っていた。

月並みだけど意味のない事なんて何一つないんだな。ただただ“悲しい”でカタをつけちゃ勿体ないや。

ありがとう。
もう、なんか、色々大好きです。