僕は他人の目を気にして生きてきました。


だから、人の目が気にならない人(様に見える人含む)に憧れて、どうにか真似できないかと、


いろいろやってきましたが、

人の目はやはり気になります。



で、ここで一度立ち止まる。



人の目が気になる。ということを悪のように

してしまっているんです。



こういうことは、たーくさんあって、

それが、自己否定を生むというわけです。



自分を全受容=全てを「かわいい」とする



からすると、



人の目が気になるじぶんって、かわいいんです。



そして、人間の進化の過程を考えて、

遺伝子レベルでいけば、



人の目が気になる=自然

人の目が気にならない=異常



という捉え方をしてもよく。

まあ、群れで暮らしてきた生き物ですからね。

群れから暴れると死んじゃうから。



で、僕は人の目が未だに気になります。

でも、それは悪いことではない。と思える

様になりました。



それは、やっぱり人の目が気になる自分が、かわいいからですね。


僕みたいに人の目が気になる人は、


あー、気にしちゃってんの? かわいいねー



って、騙されたと思って言ってみてください。

あー、別に気になっても良いのかも?



と、薄ら甘えたりしますから。(反復必要)



人の目が気になるのに、

随分と楽になりました。

おー、やっぱり気になるのね。と、向き合えると言いますか。



だから、人の目が気になる人は、

もう、諦めた方がいい、

人の目を気にしていきましょう。



そして、そんな自分が「かわいい」としていきましょう。



そしたら、人の目が気になってもいいんだから、

なんだか、どうでも良くなってきます。



実はこの、どうでもいいやん?



が、人の目が気にならないに求めてことだったりしますからね。



どうでもいいって、投げやりですけど、

ほんと、多くの人を救いますよ。

だって、どうだっていいんだもん。



そして、僕の場合は、ホ・オポノポノも忘れ様にやってます。



人の目が気になるといろんな感情が湧いてきます。



だから、それもクリーニングして愛でる。



へー、不安になるんだね、嫌な気持ちになったんだね、 腹が立ったんだねー



と、向き合いながら、クリーニング。



人の目を気にするというポイントだけでなく、

なぜか、世の中で是とされてる価値観は、

結構、個人を不幸にしますから気をつけたいです。



世界がどう動いていようと、

頭の中に侵入は出来ませんから。

こういう人の目を気にする自分って「かわいい」で、

いきますね。