遊園地に行って、楽しむ時、

よく、

「臨場感が半端なかった!」

なんて、言ったりします。


実際、エソラゴトだぜと退屈なアトラクションより、

臨場感がある方が楽しいものです。


「イヤッホー!」と。


でも、



実際の生きてく中で、臨場感が高いと、

結構しんどいものです。

自分というものの中に入り込んでる感覚。



4月以降に幸福度が爆上がりした理由のひとつが、

この世界にいる自分の濃度を薄くする様に

心がけるようになった。



というのが、大きな要因です。




臨場川強すぎると、世界のあらゆる情報に

反応してしまうんですね。



臨場感の弊害で、1番しんどいのは、

他人の目線が臨場感になってしまっている状態

つまり、他人の評価に臨場感を持ちすぎる。



人が、他人の恋愛相談には強気なアドバイスするのに、自分のこととなると、途端に弱気な行動に出てしまうのも、臨場感がそうさせるのです。



友人が彼女に振られても、まあ次行こう!

って、思えるけど、

自分が彼女に振られたら、ガツーンときて、動けなくなります。



これ、臨場感が強すぎると。

その世界の主人公の感覚が強いんですよね。

でも、もっともっと薄めていくと、



自分はこの世界にいる人間の1人。



と、自分のことが人ごとになってくる。

人ごとになると、自分の目の前に起きることも、

人ごとになっていきます。



ほう、そういうことが起きたか。、と。

でも、臨場感強いと、

「ギャー!!」こんなことが起きたー!!

と、実感値が強すぎてかなりしんどい。



だから、おれはおれで生きるんだ!!



とか、臨場感強めで生きていると、

あらゆることを実感値で感じる必要が出てきて、

かなりしんどくなります。



人ごとの様に自分を見る。



僕が、継続して行っている

自分のしょぼいとこや失敗をを「かわいい」とするのも、人ごとにする言葉の威力があるためだと思います。



臨場感強いと、しょぼいとことか、失敗なんて、



「かわいい」って思えないですよね



へぇー、しょぼいんだー「かわいいね」と。



人ごとの様に愛でていく。



僕も臨場感にスッと巻き込まれることは、

よくあります。それはある種仕方ない。

でも、「あ、今、臨場感出てきてるな」と、



気づく様にしています。



そして、揺れた感情は丁寧にホ・オポノポノでクリーニングすると。



臨場感出てくるきっかけは大概人間関係です。



先日、妻とケンカしましたが、

途中から、「あ、めっちゃ臨場感出てるやん」と、

気づいて、落ち着きました。



何かの挑戦や、行動が怖いのも、

臨場感が強すぎるから。



だって、他人が何かに挑戦してるの見て、

1000回失敗してるの見ても、

よくやるなー とは思いますが、


こわっ!つらっ!とは、思いませんよね。

そして、彼はなんで出来ないんだろうと、落ち込みもしない。



エジソンが、臨場感持ってたら、

電気発明は無理だったんじゃないですかね。

失敗しても、そういうもんだろ、と

いちいち没入しないから、いろいろ試せたのかなと。



僕は引き続き、臨場感を捨てていく。

臨場感とは、別名で

社会的な自分の立ち位置を考え、わざわざ感じにいく

と、言ってもいいかも知らないですね。



キャラクターに入り込まず、

俯瞰しながら、ゲームをする。

それがいきすぎるとサイコパスとかなのかも

しれないですが、普通の人はなりません。



自分自身で在ることより、

もっと、自分なんてどうでもよくなること

その方が実は幸せだったりします。