自分の感覚を大切に。
自分以外の人の大多数が信じてることでも、
自分の中で違和感があったり、
どうなんすかね?と感じたとしたら、
その感覚を大切に。
皆が信じてることって、
あんまり個人を幸せにはしませんよね。
長い期間、経済的に豊かになることは、
そうでない人より価値があるという価値観を、
刷り込まれてますよね。中身は見ずに。
その過程で勝ち組、負け組という言葉も生まれました。
その価値観ど真ん中で生きていくことも自由だし、
こっそり、そこから脱退することも自由。
このこっそり結構大切で。
和して同ぜず。
と言いますか。
一応、この社会が是としている価値観に乗っかるフリをすると言いますか。
人間社会で生きていく以上、
不本意にでも、大多数の価値観に飲み込まれます。
そして、その価値基準で価値判断までされたりね。
若い頃はそれがすごく嫌でした。
だから、対立構造を作りたがる
ところが、ありました。
そんな大多数の価値観に負けねえ!
といった感じでね。
でも、負けますよね。笑
どんなヒーローでも、大人数には勝てませんよ。
孫悟空になればべつかもしれないけどね。
かめはめ波で一蹴ですけどね。
まあ、生身の人間は、大多数にはボコられますわ。
で、気付いたわけです。
いや、乗っかってるフリしとけと。(バレてても)
少なくとも対立構造にする必要はないです。
こっそりバックレろと。
和して同ぜず。です。
仕事してる間は少なくとも、
その大多数が信じてる価値観に乗っかったフリする。
でも、そんなの本当はどうでもいいと思ってたり。
とにかく人の価値を反対してくる価値観に
この世界は溢れかえってますし、
その価値観で合致するもの得ないと、
まあ、負けてしまうことになります。
負けてしまうのなら、負けておこう。
という。
でも、本心からその価値観に乗っかる必要はないですよね。そのゲーム楽しいんでしょうねえ。
と、眺める感じでね。
やりたくもないスポーツの試合にいつの間にか入れられて、勝ったの負けたの言われても知らねえよって思ってしまうのも仕方ないじゃないですか。
こんなクソスポーツやってられっか!
と戦うのも一つの手ですが、
とりあえず形上そのスポーツはしといて、
こっそり別のことで遊んでました。
の、スタンスで良いのだと思います。
そのためには、
自分は何に喜び何に悲しみ、
どういうことが、嬉しくて嫌なのか。
は、捉えておきたいですね。
本当に他人のルールで生きることになれば、
しんどいことばかりですよ。
でも、社会という大きなルールの中では
生きていかないといけない。
その中で、心まで乗っ取られる必要はない。
和して同ぜずで、同じない。
こっそりとね。楽しむ。バレても。
最後に白状しなければ、乗っ取られてないことは、
証明できないですからね。
そのためには、じぶんで自分の嬉しいをよく知っておく。