退屈なのが嫌いです。


だから、散歩してる時もイヤホンつけて、

トイレ行く時も、スマホを持ち込み、

風呂はサッと出る。



そんな方を続けていましたが、

この前、トイレ(小)に行こうとして、

スマホを探し始めた時、



ん?これはダメだな。



と、思ったんです。


トイレ(小)くらい、退屈でいろよ、と。



そのことをきっかけに退屈について、

よく考えるようになりました。



退屈は確かにつまんないし、苦痛とも言えるけど、

その何もしない、何もできない様な時間?

は、実は贅沢な時間とも言えないか?と。




特に現代は、情報の洪水に、「やること」の洪水の

中にいるので、常に何か摂取して、効率よく進めて行きますのスタンスなので、コスパやダイパだとかという言葉も流行ったり。



退屈は、何の役にも立たないから、

コスパもダイパも最低です。



でも、この何もしない。つまねえ。

刺激も少ない。つまんねえ。



という時間は実は豊かな時間なのだなと、

ふと思ったんです。



で、トイレにスマホは持ち込まず、

風呂もいつもより少し長くして、

散歩もイヤホンしない。



これやると、



やっぱりなんか、贅沢なんです。



意味のない、面白みもない時間。

そこにいすわる贅沢。

これ、昔なら有り余るくらいあったかもしれない。



でも、今のハイスピードなこの時代だからこそ、

この退屈でつまらない時間は、

贅沢になるのだと。



そして、これって自分の感覚と向き合う時間でもありますからね。



まだ、実験し始めですが、

退屈は悪くないって感覚は生まれてます。



そして、ゆるくやるから、

面白いことも同時に大いにやるぞ。