自分に対する優しい意識を育てらることを今年の初めから、継続して続けています。


自分で言うのもなんですが、

随分と自分に優しくなったなあ。

と、感じてます。



そして、最近偶然いろんな人の話を聞いた影響もあり、段々と自分という「個」にこだわる必要ないなと思い始めています。



10代の終わりくらいから、強烈に意識する様になっていた「個」。


集団生活があまり得意ではないから、ことさら、

強い「個」を持てないか? と言うことをずーっと考えてました。



スポーツの世界でも言うじゃないですか、

日本人選手には強い個がない、とか、なんとか。



でも、僕はこの考え方こそが、

欧米から雪崩れ込んだ、最凶の外来種なのではないか?と、思うようになってきました。


欧米の人たちは1人の個として何ができるか?

お前はどうしたいんだ?

という意識が非常に強い。だから、ジャパニーズピーポーにも、同じように個を求めて来ました。



そして、それこそが正解かの様に、

個の最大化こそが、人生の史上目標みたいに

なっていきました。



で、僕も御多分に洩れず、

きちんとそこ「個」の追求をしていったら、

超きつくなりました。



「個」の追求って結局は、競争社会で、

いかに上にいくのか?というものが、

根底にあるから、結局、個を考えると、

他者との比較が大前提になります。



あいつより、上だの下だの、

自分はどういうポジションだの、

人と違った個性があるだの。



こんなこと考えてると、当たり前ですが、

世界中の人が競争相手になりあるし、

競争相手は、敵に見えてきますよね。



つまり、世界中敵だらけですわ。



そりゃー、きつくねえ? と。



どんだけ社会的に成功しても、

世界中が敵に見えてると、マジきつい。

個が立っててもきついよ。



今、世の中で流通している最強のSNSは、

全部海外から来てます。



SNSは個としての自己顕示欲を刺激しまくる装置だから、SNSのインフルエンサーって周りが羨ましくなるほど、楽じゃないと思います。



とにかく全ての責任が個にふりかかり、

個として、背負っていくなんてこと、

今まで日本の歴史であんまりないんじゃないかな?



だから、僕は自分に対する優しい意識を育てる一方で、全体性の中のちっぽけな自分を意識していきたいですね。



不思議ですけど、自分なんてどうでもいいわって思える方が、幸福度が上がるんですよね。



矛盾している行為の様にも見えますが、

自分の中の優しい意識を育てる一方で、

どんどん自分を薄めていきたいなーって思いますね。



これまだまだ上手く言語化が出来てないので、

なんのことかわからないかもですが、

結構、幸福の核心な気がしてます。