世界は主観で出来ている。


と、思ってます。



同じ現実があっても、

最終的にどういう主観体験があるかで、

その現実の意味は変わります。



いつの間にか定義されてたものを

フラットにして、ひっくり返すのも、

これですね。




主観体験が変わると、事実が変わっちまう、と。




つまんないことが、面白くなるかどうか?



これも、主観体験ですよ。

この主観体験をいかに変化させていくのか。



それは、日々の生活です。



日々の生活は道場そのものですね。

今、ここ、この変わり映えのない現実。

すごい現実が動いたから、楽しいではなく。



今の現実のまま楽しむ、面白がる。幸せになる。



ということ。



現実創造の話してると、

どうしても、今、ここの否定に帰結していく

ことが、多いですよね。



今、ここの気に入らない現実が、

エネルギー変えると、ガンガン変わってった!

幸せ!サイコー!億稼ぎます!的な。



いやいや、いやいや、



いやいや、いやいや、



いやいや、いやいや、



今ここ面白がれないと、

その現実生まれてもきついぞ。マジで。

失いたくなくなるから。




自分はどこでも楽しめる、面白がれる。

今、ここの気に入らない現実だって、

めっちゃ楽しめる、面白がれる。って力。



めちゃくちゃ強いぞ。



その結果として、現実創造と呼ばれるものが、

生まれて行ってもいいんだけど、



こっち身につけてる方が確実だぞ。



と思うのです。



だって、そのまんまでも幸せなのだから。



そして、その根本は、

人生をいかに遊び化していくか、ですね。

深刻の入る隙間は作らねえぞ、と。



なんでも遊びにする。



歩くのも遊び。

電車乗るのも遊び。

退屈も遊び。

水飲むのも遊び。

仕事するのも遊び。

子育ても遊び。

ご飯食べるのも遊び。



とにかく遊び化。



遊びにしやすいことから。



反復で何回も繰り返していくと、

文字通り身についていく。

身体に染み付いていく、と。



今、この現実がつまんねーな。

嫌だなーって思ってる人ほど、

この遊びかでどんどんひっくり返してやる。



側に価値があるわけじゃなく、自分に価値がある。



いつもよりゆっくり歩くってのも、

本人が意図的にやってれば、遊びだよ。