承認欲求。


この言葉がメジャーになったのは、

おそらく、SNSが拡大して以降でしょう。


まあ、SNSは自己表現でもあるし、

承認欲求の舞台だと言っても良いと思うのです。

SNSを通してプライベートを公開して、

ドヤりたい人は今も山ほどいるし、それをディスることに命をかけている人もいるよくわからない世界です。



SNSの世界にとどまらず、多くの人は他人に認められたいという気持ちを持っています。



僕は生い立ちが自分の価値を散々卑しめられてしまったというところもあってか、生まれ持ってのものなのか、すごく承認欲求が強いまま、生きて来ました。



承認欲求を消そうとしても、消すことも出来ず、

承認されたいけど、思った様に承認されず。

世の中の多くの人は僕みたいなタイプではないでしょうか。



で、当たり前のことなんですが、

承認って、自分で決められないですよね。



承認欲求が肥大する要因として、

自分で決めるって癖が子供の頃からついてないのかなーと思うのです。



どこかに正解があって、それに正解するシステム。



つまり、正解は他の誰かが持っていて、

その正解に合格するために試行錯誤する。

これ、幼少期から義務教育までの間に、

毎日反復で教育されるから、強固な癖になっている。



自分なりに答えを出す。

不正解だと言われても、自分ではマルをつける。

とか。



居直るとか、頑固になるのとも少し違います。



自分で価値を一つ一つ決めていく。

沢山の人が価値があると言っていても、

自分が価値を感じれなければ、価値を見出さなくてもいい。



反対に自分しか価値を感じてなくても、

価値を感じたら、きちんと価値を認めていく。



承認されようとし続ける生き方は、

相手の持っているボタンにいつでも左右されます。



正解かな?不正解かな?

と、相対する人のボタンをいつでも気にしてたら、

どうしたって、気が滅入って来ます。



そうではなく、自分で決める癖。



自分が自分を受け容れるというのは、

まさに自分で自分で自分を受け容れると、

決めないと、できないことです。



あのー、自分って受け容れていいんですよね?

って、やってたら、受け容れられません。

だって、相手がダメ!って言ったらそこでダメになっちゃうから。



自分の価値は自分で決める。



とはいえ、いきなりそれ決められたら、

とっくにできとるわ!

って話です。



日常の些細なことから、自分はどうなの?

ってことを問いかけて、決める。



この繰り返しですね。



これも、真剣にやっちゃダメで。

遊びにしましょう。


自分で決めるゲー


ですね。



例えば、ランチでも。



高くても満足度が高いランチ

ささっと食べれて安いランチ

普通の値段で普通の満足のランチ



1番目を選んでみようっていうのが、

結構言われがちですが、2番目でも、3番目でも良いと思います。



自分で決めていればね。



なんとなくではなく、

意識的にそういうところから、今の気分、コンディションとかから、



自分で決める癖。



選ぶ服とかでも出来ますよね。

TPOはあれど、その範囲内で

自分が良いと思う服を選ぶ。

もしかしたら、ダサくても、これが良いと思うならそれを着る。



そういう遊びです。


嬉しくなる方を選ぶ遊び。

これ、自分で決めるゲーですね。



人が良いと言ってるから、

褒められそうだから、

バカにされないように、


という基準で選ばない。というゲームを取り入れていくことだと思います。


そういうゲームの繰り返しでしか、

自分の価値を自分で決める

みたいな境地に行かないと思います。



うっさい、ワイはこれが良いんぢゃ!


という境地は承認欲求から遠いところにあります。


自分で決めるが、0だったのが1になると、

確実に変化しますよね。

1週間だけでも、0と7の差。1ヶ月だと30以上の選択の開き。(2月を除く)


ですね。



自分で決めるゲーは、無料で今からできますね。