遊びが開く可能性をよく考えます。
学校の勉強がつまらないのも、
家事がつまらなくなるのも、
仕事がつまらなくなるのも、
そこには、遊びがないから
ではないか?と、思ったりします。
義務感では動けない人も、
遊びならいそいそと、動けたり。
遊びならやれる
遊びなら学べる
遊びなら真剣になれる
ってのが、真実なのに、
義務だとやれる
義務だと学べる
義務だから真剣になる
という誤解がはびこって、
本質の部分から離れていってしまったのでしょう。
義務教育は、
親が子供に教育を受けさせる義務であって、
子供が義務的に勉強するものではないです。
それは、
アスリートに求めるものに似ている気がしていて、
最近は変わって来ましたけど、
オリンピック代表とか、いらない苦しみを背負わされていた気がします。
苦しんだ先の希望っていう文脈が多くて。
何かを習得するんでも、
苦しんだ先になにかを得た方が良い
って価値観はまだまだ根深いのかなと。
でも、
楽しんだり遊んだりしてたら、
なんか、スキル身についてましたって、
実は理想的なんじゃないの?
って思うんです。
何を始めても始めは上手くいかないこととか、
わからないことが多いからこそ、
遊べる人は、そのめんどくささとも、
上手く付き合ってスキルを高めていくことが出来る。
この実感値の違いが、
行動量とも連動しているから、
やっぱ遊んだ方が良いんですよ。
子供の遊びに対するあの真剣さ具合を見てくださいよってことですね。
最近ではゲーミンフィケーションという
あらゆることをゲーム化して、
体験させる試みも増えて、ゲームしてるうちに
習得してた!という学習も増えています。
さらに一歩前に進んでいくのなら、
その人自身が遊びを作れるのが、
1番だと思っていて。
いきなり、みんなが遊べる場を作る側に
立つことは難しいですが、
与えられた場を遊び化するのは、
その人次第だったりします。
勉強できる人って、
勉強が遊びになってたりします。
それは、その人自身が勉強を
遊び化しちゃってたりする。
だからこそ、
今、僕たちがここにいるこの場所は、
遊べる場所に変えることが出来ます。
これから、遊びについて
もっともっと、考えて日常生活に
落とし込んで具体的なことも
考えていきたいと思います。
まずは、生活も勉強も、仕事も、
遊びになる。遊びにしていい。
と、自分に許可を出していくことも大切。
ちょっとした散歩も本当は遊びになるぜ。