限界だなぁ
そう感じた。
そんな風に感じる場面は、色んな人にとってあるだろう。
生きるため。
おそらくこの道が正しいんだろう
という、頭が判断した客観的な決断。
どんどん本来の自分と乖離していく。
仮に客観的な条件が、どれだけ揃っても、
その自分からの乖離が進むと、
とてもじゃないけど、幸せを感じるのは難しい。
幸せってどこまでいっても、
主観的な満足。
僕にとって幸せはとにかく自由にしてられること。
反対に不幸せは、他人にコントロールされること。
まして、人と人の調整は超嫌い。
ガチでそれがある。
でも、人には生活がある。
生きてくためにお金を稼がないといけない。
だから、やりたくないことでも、やりますと。
そんな人生を僕だけじゃなく、
多くの人が送っていることだろう。
でも、毎日、毎日やりたくないことをやる。
ただ、生きていくために。。
あれ?それ、、、
生命維持をしているだけじゃん。
植物状態になった人を、
安楽死させるかどうか議論になったりする。
それは、そうなる前に本人がどう考えているか?
ということが、何より重要になるのだけど、
僕の場合は、安楽死でいいと思う。
生命を維持することそのものが、
本当の意味で大事ではない。
つまり、嫌々楽しくもないことを繰り返して、
「生きている」というのは、
僕にとっては、「生きている」という認識にならない。
でも、「死なないため」に生きてきた。
「怒られないため」、「否定されないため」、
とか、そういうのも当てはまるのかな。
なんだそりゃ。魂が泣いてるぜ。
と、この1週間? 特に木曜に、下らない出来事に巻き込まれたことで強く思った。
捨てていいんじゃないのか?
究極。
今、おれが持っている全てを。
そんな風に思ったのだ。
限界が来ているだなんて、大袈裟なのかも?
そういう風におもったけど、
でも、全部捨てても、やりたいことやったら、
どーなんだ?
と。
でも、実現したいやりたいことは、
具体的な仕事じゃない。
ただ、自分の自由に決められる環境で、
ひたすらのんびり生きる。
という、かなり退廃的な欲望なのだ。
一番実現させたいのは、
時計とか、見ないで動きたい時に、
動きたいことをして、暮らすことだったり。
腐れ甘い発想なんだろうけど。
でも、やっぱりそこにいきたいのだ。
全部捨ててでもやりたいことをやる。
核になるやりたいことは、まだ先にある。
だとしても、やりたいことは、
細かくあるよね。
食いたいもの食う
サッカーみる
ウイイレやる
考え方の本読む
馬鹿馬鹿しい番組見る
非生産的なことばかり。
こんなことばかり選んでたら、僕は破滅するのかもしれない。
でも、やっぱり少し出て来てんだよね。
面白いもの。
それも、ストーリーを描きたいと。
それが、金になるかどうかではなく、
ともかく、物語を書きたいのだと。
そういうのも出て来てる。
それを表現するか。
一行でも書いてみる。
正しい病にかかった人間が、
自分を取り戻すためには、
損する勇気を持つこと。
好きなことやっても損をする。
それでもやる勇気を持つと。
やってみなはれ、自分よ。