孤独について考える。

僕は、間違いなく孤独な人間だった。
誰がなんと言おうと、孤独な人間だったと言えるのは、孤独かどうかは、自分の感覚が決めることだから。


どれだけ沢山の人に囲まれていても、
あなたが好きですと言ってくれる人がいても、
沢山の人に影響力を与えていたとしても、

孤独な人は孤独です。
羨ましがられている客観的な事実が存在しても、
孤独は孤独。


僕の例で言えば、
家庭がかなり荒れていた割には、
そのひとたち、さらには外側の人には、
関心を持ってもらっていたと思うし、
学校に友達だっていた。


でも、結局は孤独な子供だったのだと、
今、振り返っても思う。


そして、思春期を超えて、20代になると、
どんどん孤独感は増していった。
友達もいたけれど、孤独感は増していたのだ。


で、奥さんと付き合い、親友のサポートもあり、
孤独感は、次第に消えていった。


何が変わったのか。


孤独か、孤独じゃないかの大きな分かれ目は、
理解されていると感じているか?
にあるのではないかと思う。


自分の想いを誰かが理解をしてくれている。
わかってくれているという感覚が生まれた時、
孤独感は減っていく。


そこがないと、どれだけ客観的な事実として、
好かれていたとしても、孤独感は残るし、
むしろ、孤独だと感じるかもしれない。


さらに言えば、
自分が自分メッセージをちゃんと受け止めて
いるかどうかが、重要になってくる。


今、どんな感覚なのか。


これを無視し続けて、外側の埋め合わせをしていると、どうしても、孤独になるのだ。

根っこの自分を完全に無視をしているのだから。

最近、エネルギーの勉強をして、
自分の内側につながることを心がけている。
どんな時と彼から、発信される感覚を待つ。


彼からの感覚を受信する。
絶対的に、サポートをしてくれる存在は、
実は内側に存在している。


この世界が、内側の反映であるのなら、
内側とのコミュニケーションがうまく取れてなければ、外側とのコミュニケーションがうまくいくはずがないのだ。


物理的に言えば、理解してくれない人しか、
現れないとか、そもそも他人に遭遇しない
なんてことだって起きるだろう。


自分自身とつながって、
本当の安心やら、受容やらを
体験していけば、実は愛されていたことに
気づくことだってある。


目線が凝り固まらなくなるのだ。


そして、もともと1人で行動することが好きな
自分からすると、1人でもいいし、好きな人と
いてもいいという感覚になっていく。


内側の彼は、嫌いな奴といるな!
と言うから、嫌いな奴とは極力いないようにするし。


世の中的にみれば、それは「わがまま」ということに該当することになるのかもしれない。


内側の声に従うということは、
外側にばかり目が向いている人からすると、
わがままに映るものだ。


しかし、本当の答えを知っているのは、
この内側の「あいつ」なのだ。
間違いなく、思考よりも求めていることを知っている。


だから、こねくり回さず、「あいつ」の声を聞き、
「あいつ」の声に従う。


これを繰り返していくと、
孤独感はスコンと消えていき、
良質な孤独が残るのだ。


冒頭にも書いたけど、
孤独で辛いのは、本人がそう感じている時だからだ。


孤独感が、その人を苦しめる。
感じているのだから。


そこから抜け出すために、他人に援助を求めるのも、
一つの手にはなるけど、

まずは、自分の心の奥の「あいつ」の声を聞いてみてほしい。


それは、言葉ではなく、感覚として伝えてくれる。
そのうち言葉で伝えてくれるようにもなる。
まず、感覚。


たった今、自分は心地よいのか?悪いのか?


心地悪いなら、何をすればそれが少しでも和らぐのか?


頭を使うのはここからだ。


まず、感覚。
内側が発してくれる感覚は正直だから。
いっこいっこ、感じてあげることから。


たった今、心地よくこの文章を書き上げた。